第97話 異種編6
「どうにかしてあの化け物を葬ろうと考えに考えていた日だったかと思う。1人、儂はここでずっとそれを考えていた。身動きせず、腕を組み、ただじっとしていた。不思議なことに、この閑静な村はいつも以上に静かだった。
その静けさを打ち破るようにして戸を開け、村人の1人が儂の家へと血相を抱えて飛び込んできた。何事かと尋ねてみて・・・儂は驚愕した。疫病が蔓延したと、そう言っておった。
唐突な出来事で頭が回っていなかったが、儂は家を飛び出して走った。娘夫婦がその病にかかっておらんか、気が気でなかった。全力で走って、息が切れても構わず、とにかく2人が無事でいることを願い続けた」
当然のことながら、長が心配している対象に、孫という存在であるルウネは入っていない。娘夫婦に向けているその想いを、なぜ少しでもルウネに分けてやれないのだと思わずにはいられなかった。
「必死になってたどり着いた娘夫婦の家の戸を開けて、儂はその場に座り込んでしまった。儂の目に飛び込んできたのは、床に伏している娘と夫の姿だった。苦しそうに呼吸を繰り返していてな。お互い手を握り合って、そのつらさを紛らわしていた。
その手の下では、実の両親が病で苦しんでいるというのに、呑気に眠る化け物の姿があった。そこでふと思ったのだ。なぜ両親が病にかかったというのに、まだ抵抗力のない幼子が病にかかっていないのかとな。それを考えようとして・・・すぐに理解した。この疫病は、こいつが振り撒いたのだとな」
いくらなんでも乱暴な決めつけ方だ。大体、長ともあろうものが、疫病という天災を人為的に引き起こすことなどできるわけがないことくらいわかっていないはずがない。
おそらく、これを好機と捉えたのだろう。ルウネは今まで村に害悪を与えない、不吉で不気味なだけの存在だったが、疫病を撒いたと村全体が判断さえすれば、いくら子を大切に想う両親も諦めざるを得ない、という考えらしい。そうすれば、ルウネの両親の合意を得て、目的通りルウネを抹殺し、両親の信頼もなくならない。
考えられてはいるが・・・汚い手だ。これ以上病原菌を撒かれ、村人の命が失われてもいいのかという脅し以外の何物でもない。娘の命とこの集落に住む村人の命を天秤にかけさせる、実にえげつない手だ。
「迷いなどはなかった。すぐに化け物を葬ろうと、儂は土足で家へと入った。眠りこけている化け物へと近づき、その首に手をかけたとき・・・ふと力が抜けたのだ。一瞬なぜかわからんかったが、すぐに理解した。儂もこの化け物の振り撒いた疫病にかかったのだとな。呼吸が苦しくなり、眩暈がして、体温が急激に上がるのを感じた。情けない話だが、元凶を目の当たりにして何もできんかった。
それからは死ぬ物狂いで自宅へと帰り、ただただ体を休めた。化け物を殺すどころの話ではなかった。あれだけ死ぬ思いをしたのは初めてだった。体がまるで燃え上がったかのように熱くなって、何度も何度も嘔吐した。息をするのも苦しくて、意識を手放したこともあった。辺りは静かで、村人の声はちっともせんかった。皆、儂と同じように苦しんでいることは容易く想像できたわ。
忌々しくて、仕方がなかった。せっかくの好機なのに動けない、これほど屈辱的なことはなかった。もう少しのところだったのにと、後悔しながらの闘病だった。が、その悔しさが儂を支えた。貴様が撒いた疫病なんぞに負けてたまるか、これを乗り越えたら、絶対に殺してやると、そう思いながら床に伏しておった。
苦しみ続け、ろくに食い物も口にできない、地獄なような長い日々も終わりを告げ、儂は疫病からようやく解放された。熱も引き、体のだるさもなくなって、ようやくあの化け物の呪いを断ち切ったのだと確信した。
体が満足に動くようになって、儂はまず一番に娘夫婦の家へと向かった。安否はいかがなものか、不安だった。家へと向かう途中、儂と同じように疫病から解放され、外を出歩いている連中と出会った。話を聞くと、どうやら家々を歩き回って疫病による被害を見て回っているとのことだった。被害は相当ひどいものだったらしい。分が死に絶え、もう半分はまだ床に入って苦しんどるという話だった。動ける連中も、そこまで大人数ではなかったしな。いかに奴の振り撒いた疫病が凄まじいかを物語っていたよ。
連中に、疫病と化け物の関連性を言ったら、途端に怒りだしてな。一刻も早くその化け物を駆除せねばと、そう口にしておった。が、駆除よりも先にやるべきことは夫婦の安否を確認することだ。連中も怒りを鎮めてそれに賛同し、儂らは夫婦の家へと向かった。
家に到着し、戸を開けて・・・儂らの目に入ってきたのは、前にここを訪れたときよりも、さらにひどいものだった。苦しさのあまりに激しく呼吸をしているはずの2人はすでに息をしておらず、村を半壊させたとも言える疫病を振り撒いた当の本人は、2人の死に気付かず、死してなお握り合っている夫婦の手の下で、体を縮めて寝こけておった。
夫婦が死んだ悲しみよりも、悪魔から救うことのできなかった後悔よりも、儂は怒りを覚えた。自分が殺したくせに、散々苦しめたくせに、2人の間で安心しきったような顔で眠りについている化け物を、どうしても許せんかった。
家に上がり込んで、儂は眠っているその化け物の顔面を蹴り飛ばした。首の骨を折るつもりで蹴ったのだが、その化け物は驚いたように目を覚まし、泣き出しただけだった。子供のような見た目とは裏腹に打たれ強く、そして丈夫だった。まさしく化け物だった。
それを皮切りに、村の者たちも儂と同様、家に上がり込んで、その化け物を取り囲むような形になり、踏みつけ、罵声を浴びせ、叩き伏せ、そして殺そうとした。心の底で、もしかしたら化け物が反撃をしてくるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。ただ亀のように丸まり、頭を守るように押さえ、痛い痛いと、そう泣き叫ぶだけだった。
いい気味だった。今まで、どれだけお前に苦しめられてきたと思ってるのだと、儂らは怒りを言葉にし、それをその化け物に浴びせ続けた。容赦などしなかった。殺す気で、本気で蹴り続けた」
心底、救いようのない話である。当人であるルウネは、両親とただ平凡に暮らしてきただけであるというのに、乱暴な言いがかりをつけられ、ただ暴力を受ける。
何が悪いのかもわからず、自分が何をしたのかもわからない。ただ襲ってくる痛みに耐えることしか、幼いルウネにはできなかったのだろう。
大人たちが小さな子供を取り囲んで暴力を振るうだけでも非道な話であるというのに、その暴力が行き場のない怒りの矛先という、何とも言えない理不尽な理由からくるものだというのならばなおさらだ。
本当に気でも違っているのではないかと、そう思わずにはいられない所業だった。
「だが、その化け物は死なんかった。いくら蹴っても泣き声は止まず、弱る気配など微塵も見せんかった。さすがにこれでは死なぬのではないかと不安を覚えてな、焼き殺そうと外へ連れ出したのだ。ずっと喚いていてたからな、疲れて身動きなど取れないと思って特に縛りもせず、ただ外へと放り出した。
だが、まだやつは動くことができた。あれだけ痛みつけたというのに、獣のように素早く動き、村から逃げ出した。もちろん、村の者総出で探し出そうとしたが、どこに行ったのか皆目見当もつかない。広大なこの土地が、見事にやつの味方となっていた。完全に姿をくらましてしまって、儂らはもうどうすることもできなかった。
始末しなければならないことは確かだったが、探し出せぬのならば仕方がない。あれだけ痛めつけたのだから、おそらくもう2度と村には近寄らないだろうと、儂らは捜索を断念した。災厄の芽は摘み取ることができなかったが、先の疫病をばら撒かれるような事態にはもうならないだろうと、儂らは思っておった」
あとは今の通りだ、と。
長はそう締めくくって話を終えた。
「もう2度と村には近寄らなかったけれど、その代わり村の外で襲われるようになった、と?」
雷光が確認するかのように長に尋ねる。
「あぁ。村の中にも畑はあるが、そこから取れる食料などたかが知れている。大雨で村が水没するのを防ぐために、川から離れたところに集落を立てたものだから、水をやるのにも一苦労だしな。どうしても、外に畑を作らざるを得なかったのを見計らったかのように食料を奪われ、血を吸われる。
それを防ごうと集団で行動しても無駄だった。集団の中の人間を早技で気絶させ、拉致される。懸命に追いかけたが決して追いつけず、何もできずに村の人間を拉致したその化け物の背中を見つめるだけだった。
意外だったのは、拉致された人間が殺されなかったということか。一通り探し回った後、攫われた者は必ず村の近くに横たわって気絶していた。その首筋には歯型が残っている以外は、特に痛めつけられた形跡もないのが驚きだった。初めて拉致されたときは、もうその者は帰ってこないのだと諦めておったからな。
その後、幾度となく村の者が攫われたが、1人も殺されず帰ってきておる。・・・忌々しい。一体何のつもりなのだ、あの化け物は」
吐き捨てるようにそう言って、顔をより一層歪める。
ルウネが村人を殺さないということは、確かに化け物と定義している村の人たちから言えばおかしいのだろう。血を吸うのに、なぜ殺さないのか。ひょっとして、何かを企んでいるのではないのか。村人たちはそう思い込み、一層ルウネへの憎しみを強める。
そうして、悪循環は続いて行く。
当のルウネはただ生きるためだけに食料を強奪し、吸血しているで、人を傷つけるつもりはさらさらないとしても、村人たちはどうしても悪いほうに考えがいってしまう。
目の色が違うルウネを、薄気味悪い悪魔のようだと陰口を言うのも。
吸血しなければ生きていけない体質を、化け物と定義付ける証拠だとするのも。
災害であるはずの疫病を、ルウネがばら撒いたのだと叫ぶのも。
そうやってずっと悪い方向に進んで行ってしまう。
希望の星となるはずだった赤ん坊―――ルウネ。
誰しもが産まれてくることを望み、楽しみにしてきたはずなのに、誕生したのは誰もが予想しなかった『化け物』。
望んでいない目と体質を持ち合わせてしまったことで皆から忌み嫌われ、そして四六時中村人から災厄の種を摘もうと狙われ続ける。
何のために生きているのか。
どうして自分は他の人たちと違うのか。
それを、今までどれだけ思ってきたのだろう。
どれだけ、自分の目と体質を恨んできたのだろう。
それを思うと、先ほどから沸き上がってくる、ルウネを無下に扱ってきた村人たちへの怒りよりも、一同は虚しさと悲しさを覚えてしまう。
「これにて、化け物にまつわる話は終わりだ。あとは主等が知っている通り、今もあの化け物は村の脅威となっている。一刻も早く駆除したいのだが、なかなかうまくいかないというのが現状でな」
「・・・なるほど。貴重なお話を、どうもありがとうございました」
あくまで笑顔はを崩さず、雷光は長にそう言った。
雷光の胸の内の感情と表情は、もちろん噛み合ってなどいない。感情をそのまま表に出せば、目の前の長はたちまち恐怖に戦いてしまうだろうから。
「・・・ん、む。そういえば、1つ思い出したことがあった」
「思い出したこと、ですか」
雷光が、目を見開いて長の言葉を繰り返す。
もともと、雷牙たちはルウネの誕生のことを訊きに来たわけではなく、ルウネが産まれる前に『何か妙なことが起きなかったか』を訊きに来たのだ。
言ってみれば、今までの話は前座に過ぎない。大事なのは、次だ。それが、ルウネがこの世界の罠ではないということを裏付ける重要な証言になるかもしれない。
「それで、その思い出したこと、とは?」
答えを早く知りたくて、雷光が長の言葉を急かす。
「あぁ。娘夫婦には、なかなか子が宿らなかったということは、さっき言ったな?」
「ええ」
「いつになっても子が宿らず、半ば2人が諦めかけておったときじゃった。主等と同じように、ある日突然こんな辺鄙なところへやってきた、黒いマントを羽織った1人の男がおってな。その男に、世間話がてらに娘夫婦の問題を相談したのだ。
そしたら、自分に任せろと言って、小さな粒のようなものがたくさん詰まった瓶を娘に手渡し、1日に三度これを飲めと言った。これは薬だから飲み続けろ、そうすれば子が宿りやすくなると言って、その男はそのまま去っていきおったよ。
結果は・・・良いとは言えんかったが、あの2人が子を成すことができたということは事実。薬というものは、なかなか役に立つものだと、よく話の種になったもんだ」
長の、何気ない昔話。
それを黙って聞いていた一同は、背筋に冷たいものが走り、それと同時に実に嫌な考えが頭に浮かんできた。
まさか、と。
そんなことあるわけない、と。
あんな健気な娘が、まさかそんなことに、と。
4人はそう思い込まずにいられない。
もしも、長の言っているその『男』が、一同の予想通りであるとするならば。
今までずっと、それこそ産まれてから今までの間、不憫で哀れな人生を送ってきたルウネが・・・報われない。
本当に救いようのない、最悪の結果になってしまう。
そんなのは・・・あんまりだ。
「そういえば、その男は不思議な術を使って去っていったな」
落胆し、酷過ぎるルウネのことを思い、絶望すらしている4人に、長は追い打ちをかけるように告げる。
「空間に、何やら穴のようなものを開けて、その中へと入っていったのだ。その穴は、男が侵入したと同時に閉じて、もう2度と開くことはなかったよ。自分はまだ世界を回って、罠を残し続けなければならないと、小難しいことを言い残してな」
長の何気ない一言。
その一言が、ルウネがこの世界の罠であるということの、決定的な証言であった。




