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第92話 異種編1


◆◆◆◆◆




種族? そんなの関係ないわ

アタシはもうそんな鎖には囚われない

自分のあるがままに生きる

それをあの人たちは教えてくれたから




◆◆◆◆◆



満月に限りなく近い、少しだけ欠けた月の薄明かりだけを頼りに、褐色の肌をした少女が夜の道を駆け抜けていた。草花を踏みしめ、束ねている長くて黒い髪の毛を揺らしながら、後ろから迫ってくる村の人間から必死に逃げる。


追いつかれれば、おそらく少女は殺される。村人の形相は凄まじい物で、たった1人の少女を相手にしているのに殺気を隠せないでいるからだ。もう何度も味わってきた恐怖を一身に受け、少女はただ走った。



「待ちやがれぇっ!! 今日こそはぶっ殺してやるからなぁっ!」



「生かしてきてやった恩も忘れやがってっ! この『化け物』がぁ!!」



冗談で言っているわけではない本気の怒声が、静かな夜の空気を震わせる。1人のか細い少女を、松明と武器を持って追いかける村人たちは、傍から見れば暴挙でしかなかった。1人1人が罵詈雑言を少女の背中に浴びせ、手に持っている武器を力強く握りしめているその様は、まるで獲物を追いかける獣のようでもあった。



「はっ、はっ、はっ・・・」



息を切らしながら、懸命に走る少女。追いかけてくるのは大の大人なのに、少女は足が村人たちの接近を許さず、空いている距離を徐々に大きくしていく。生きたいという本能からくる力なのか、それとも別の何かなのか、そんなことはわからない。


少女と村人たちの距離は大きくなり続け、終いには姿が見えなくなるほどにまで離れてしまう。これ以上追っても意味がないと判断したのか、村人たちは苛立ちながら足を止めた。



「ちきしょうっ! あの小娘がっ!」



「今度会ったら、バラバラにして畑に撒いてやるからなぁっ! 覚えてろよぉっ!!」



もうずいぶん遠くへと行ってしまった少女に聞こえるよう、大声で少女に暴言を吐いた後、村人たちは揃って踵を返し、自分たちの村へと帰っていった。逃がしてしまったことの苛立ちは隠し切れておらず、手に持った武器に当たり散らしていた。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・」



もう追いかけてくる村人はいないというのに、少女は走り続けていた。見えない恐怖から逃げるように、少女はただ走る。


走って、走って・・・もうどれくらい走ったかわからないくらいの距離を走った少女は、ようやく足を止めた。汗で張り付いた髪の毛を手で掻き上げ、己が走ってきた道を振り返ってため息をつく。


もう何十回と繰り返されてきた命懸けの鬼ごっこだが、依然として慣れることはない。何度も捕まりそうになったり、何度も死にそうな目に遭ったりしてきたが、今回のようにあっさり逃げ切れたのは運がよかったとしか言えない。



「・・・何で、アタシだけ」



ぽつりと呟いて、少女は住処へと帰ろうと止めていた足を動かす。今夜は心も体もとても疲れていて、一刻も早く藁の中で眠りたかった。



「あ、れ・・・?」



しかし、少女の足は再び止まってしまう。動けと頭で命じてもぴくりとも動かず、力が抜けて膝から崩れていく。距離こそは走ったが、まだ少女の体力には余力がある。倒れるほど疲労は溜まってなどいないのに、なぜ?



{あ・・・忘れて、た・・・}



倒れる原因など、少女にはすぐわかってしまう。このしばらくの間、食料を村人たちから奪うことだけに目がいっていて、肝心な『あれ』をしなかったからだ。


体が鉛のように重くなり、少女はその場に倒れこんでしまう。村から離れているとはいえ、ここで倒れてしまうのはまずかった。眠っている間に、ひょっとしたら散歩か何かでやってきた村人に捕獲されてしまうかもしれないからだ。



{ここ、は・・・まず、い・・・}



気力を振り絞って意識を保とうとするが、無駄であった。少女の意識は機械の電源のように一瞬で途切れ、柔らかな草の上に体を預けることになってしまう。


この危険な状況の中、少女は穏やかな寝息を立て、深い深い眠りについてしまった。いつになれば目が覚めるかはわからない。月光に照らされて露わになる少女の寝顔は、年相応の本当に可愛らしいものであった。





+++++





「お~っ!! 何か馴染みのある風景じゃねぇかぁ!!」



ゲートをくぐった先の風景を見た雷牙が、心からの歓声を上げる。どこを見回しても、あるのは眩い太陽に照らされている美しい自然。同じような自然環境の中育ってきた雷牙は、しばらくぶりに見たその光景に心から感動する。



「そうですね。僕たちの世界を出てからもうほんの少ししか経っていないのに、何だか懐かしいい気持ちになります」



雷光も雷牙の言葉に賛同し、新鮮な空気を吸って背伸びをする。森の空気の中で育った者である2人の兄弟は、目的も忘れてこの場の風景と空気を味わっていた。



「あんなにはしゃいじゃって・・・。本当にバカなんだから。ね、レナもそう思うでしょ?」



やれやれとため息をつきながら、風蘭がレナに同意を求める。風蘭のその問いに、レナは含んだ笑いを見せて言った。



「ふふ、風蘭・・・あの2人が羨ましいんでしょ」



「へ? あ、いや! 別にそんなことないってばっ! ホントに!」



慌ててレナの言葉を否定するも、本心ではないことなど丸わかりだ。やっぱりか、という表情を浮かべながら、レナも背伸びをする。



「はしゃいじゃってもいいのに。こういう所、好きなんでしょ?」



「そりゃ嫌いじゃないけどさ・・・さすがにあいつらみたいにはしゃげないって」



そう言って、風蘭が2人のほうに目をやる。


雷牙と雷光はもうその場の空気に順応してしまったのか、先にある原っぱに寝転がっていた。ごろごろと体を回転させながら動く2人のはしゃぎようは、風蘭が真似るにはちょっと抵抗がある。



「でも、故郷の世界と同じ雰囲気なんでしょ? せっかくなんだから、今の内に色々楽しんでおいたほうがいいと思うよ」



「まぁそうなんだけどねぇ・・・」



それでも抵抗があるのか、風蘭はなかなか羽を伸ばそうとしない。腕を組みながら転げまわっている雷牙と雷光を羨ましそうに眺めているだけで、特に何か行動に移そうとはしなかった。



「ま、あたしは遠慮しとく。別にそこまで懐かしくもないし」



そっけないふりをしているが、どうも本心とは逆らしい。原っぱにいる2人と同じように転げ回りたいという衝動を抑えられず、足をぴくぴくと可愛らしげに動かしている。



「素直じゃないなぁ・・・」



くすくすとレナが笑う。何だか、こういう風蘭の態度がものすごく可愛らしくて仕方がなかった。風蘭がじとっと睨んでくるが、それでもレナは笑うことが止められない。


あ~もう! と一言だけ言って、風蘭が何とか話題を変えようと柔らかい黄色の髪の毛を指で弄る。



「あたしはともかく、レナはどうなのよ。素直になれてるの?」



風蘭にそう言われて、少しだけ考えてレナが言う。



「私は、そうだね・・・時と場合による、かな。素直になる時はなるし、なれない時もあるの」



「ふ~ん。確かに、レナは素直だろうね。最近、元気がないですって顔に出てるし」



「? そんなことないよ。特に体調悪いってわけでもないし」



思いがけない意外な言葉だったのか、レナが少しだけ戸惑い気味に答える。



「体調が悪くないならいいんだけどね。初めて会ったときと比べて、何だか笑顔が暗いっていうか、寂しそうな顔してるからさ」



目の前ではしゃいでる男2人はどうやら気がついてはいないようだったが、同じ女である風蘭にはレナの笑顔の微妙な変化に気がついてしまう。どこか寂しげなレナは、何だか水を満足にもらえていない花のような感じがしてならない。



「・・・そう見える?」


「見える」



レナの問いに、風蘭がはっきりと答える。あまりに風蘭に迷いがなかったので、レナは少しだけ驚いてしまう。



「悩み事? あるなら聞くけど」



「・・・気になっていることはあるんだけど、今はとりあえずいいかな」



「? どうしてよ。あたし、頼りにならない?」


「そういうわけじゃないんだけど・・・2人とも、いなくなっちゃってるし」



「え? あっ!!」



レナの言葉で、風蘭がようやくそのことに気がつく。先ほどまで原っぱではしゃいでいた2人の姿はどこにもなく、話しているうちに取り残されてしまったのだということを、風蘭は今更ながら理解する。



「うわぁっ! あの2人、乙女2人残してどこに行ってんのよ!!」



「だ、大丈夫だよ。そんなに遠くには行ってないはずだから、今から行けば間に合うよ」



「よし! じゃあ行こ、レナ! あ~、あの2人はホントにも~・・・」



肩下げている医療用のバッグをがちゃがちゃと鳴らしながら走りだした風蘭に続いて、レナも走りだす。野生育ちは伊達ではないのか、風蘭の足は想像以上に速かった。普段から剣を振るって鍛錬をしているレナも、少し本気を出さなければ追いつくことができない。雷牙と雷光の狩りについていったことの賜物だった。



「あ、いた。やっぱりあまり離れてなかったみたい」



2人がはしゃいでいた原っぱを越え、レナと風蘭は呆気なく2人を発見した。ただ、何か様子がおかしい。先ほどあれだけはしゃいでいたというのに、何かを観察するように2人ともしゃがみ込んでいる。



「・・・何かあったのかな」



「まぁ、行ってみたら早いわね。とっとと行きましょ」



レナと風蘭は顔を見合わせ、雷牙と雷光の元へと向かう。ひょっとしたら、この世界の『罠』につながる何かを見つけたのかもしれないと思ったからである。

草花を駆け抜け、レナと風蘭は一直線にその場へと駆けつけた。



「2人とも、何か見つけたの?」



駆けつけたレナが、しゃがみ込んでいる2人に尋ねる。何を見ているのかは、2人の体で見えなかった。


「いや、何かっていうか何というか・・・」



困ったように、雷牙が立ち上がって発見した『者』をレナと風蘭に見せる。そこにいたのは、草むらをベッドに深く眠っている少女だった。ぱっと見る限りでは、レナたちと同年代か、それに近い年頃であることはわかった。


特徴的な長く、黒い髪の毛は古びた紐で束ねられており、決して裕福な生活をしているわけではないためか、所々穴のあいたボロの服を纏っている。土にまみれた褐色の肌と、少しやせ気味な体型は、そのことを裏付ける何よりの証拠だった。


その少女を見て、真っ先に声を上げたのは風蘭だった。



「あ、あんた達! いくらなんでもはしゃぎ過ぎでしょうがっ! 女の子になんてことしてんのよこのバカッ!!」



「ち、違うって! そこに倒れてたんだよ!」


風蘭の怒鳴り声に、雷牙が慌てて説明する。どうやら、はしゃいでいて突き飛ばしたという類のものではなかったらしい。それならばと、風蘭はため息をついて納得する。



「この女の子、怪我とかしてるのかな」



眠っている少女を見て、レナが心配そうな声を出す。いくらのどかだとはいえ、こんな人気のない所で故意に野ざらしになっているとは考えづらい。もしかしたら怪我で動けないのではないかという考えが、レナの頭をよぎった。



「いえ、血の臭いはしませんから外傷はないかと。ただ、何か病気で動けないという可能性は十分あります」



雷光たちの鼻ならば、血の臭いも嗅ぎわけることが可能であることは周知の事実であるから、外傷がないということは間違いない。怪我がないことに少しだけ安堵の色を表情に出したレナだが、まだ安心はできないと表情を引き締める。



「それじゃ、とりあえず木陰にでも運びましょうか。直射日光に当てるわけにもいかないし。雷牙、あんたこの子運んで。雷光、あんたは綺麗な水を汲んできて」



医療に心得のある風蘭が2人に指示を出す。この少女が病気を原因に倒れたとすれば、ここに放置するのはあまりにも危険。体温を上昇させる直射日光を避け、綺麗な水を用意しておくのは的確な判断であった。



「確かに、この自然の中の水なら大丈夫でしょう。風蘭さん、道具を」



「はい、これ。近くにいるから、汲んだらまた戻ってきて」



雷光に催促され、風蘭はその手に折りたたまれた簡易のバケツを手渡す。サイズこそ普通のバケツよりは小さいが、持ち運びができる柔らかな素材で出来たそのバケツは、持ち運べる量が限られているバッグの中に入れるにはうってつけの代物だった。


そのバケツを受け取り、雷光は走り出した。遠くで水の流れる音を確認していたのか、向かう先には迷いが一切見られなかった。



「んで、どこに運べばいいんだ? あんま遠くには行かねぇんだろ?」



すでに背中に少女を背負った雷牙が、運ぶ場所を風蘭に尋ねる。

言われた風蘭はきょろきょろと辺りを見渡し、視界内に入った一際大きい木を指さした。平たい位置にあるその大木は、斜面にある木よりもずっと寝かせやすいだろうという判断だった。



「あそこかな。お願い」



「うっし、任せな」



なるべく振動を与えないように、雷牙がゆっくりと歩いて行く。普段の行動が荒っぽい雷牙が、こんなことができるとは少し意外でもある。



「レナは、あの子が起きたら頑張ってもらおうかな。本人にしかわからない傷があるかもしれないから、お願い」



「わかった。任せておいて」



レナの快諾に、風蘭が頷く。正直な話、患者自身の回復力に依存して効力が高まる縫合や投薬よりも、裂傷部の治癒力そのものを高める回復術のほうが、傷の治療には効果的なのである。


もちろん、回復術の届かない深部に傷があるならば話は別だが、それ以外ならばほとんど治癒できてしまう幅の広い治療法を優先させるのは当然だった。


やることはやった。あとは少女の目が覚めるのを待つだけ。


2人は、雷牙が向かった大木の元へと歩き出した。


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