癒える疵なら
王都に勤めている施療医さんをつれて、キュリオス先生が戻ってきた。
エリシアちゃんは扉の開閉音を聞くやサッと体を起こして、涙の痕を拭うと私の枕元に控えた。とほぼ同時に、カーテンの向こうから声が掛かる。
「起きてるか、キングオブトラブルメーカー」
「……はい」
あんまりな言われようだけど返す言葉も無い私は、大人しく答えた。
カーテンが開いて、キュリオス先生ともう一人、見慣れない人がベッドの傍らに立つ。王都の聖職者が着るような白と青のローブみたいな服を着た、綺麗な男の人だ。どうやらこの人が王家に仕える施療医さんらしい。
薄水色の長い髪はまっすぐサラサラで、瞳も同じく薄水色をしている。すらりと伸びた手足といい、怖いくらいに整った顔立ちといい、神様はどれだけ気合い入れて彼の造型をしたのかと思うほどに、外見に欠点がない。
もしやこの国では、顔面偏差値と地位が比例するのだろうか。
「随分と、無茶をしたようですね」
暫く私をじっと見つめていたかと思うと、施療医さんはそう呟いた。
「見たところ打ち身が多くあるだけで、命に関わるような怪我は負っていないようです。ただ、一番強くぶつけた場所が場所ですので、治癒術をかけておきますね」
「はい……お手数お掛けします……」
階段から落ちたこと自体は私のせいじゃないとはいえ、もうちょっと上手く落ちてたらここまでひどいことになっていなかったわけだし。しかも、キュリオス先生だけじゃなく王都の人にまでご足労頂いているとなれば、いくら私でも恐縮してしまう。
私が緊張しまくっていると、施療医さんがほんの僅かに微笑んだ。
「大丈夫、すぐに良くなりますよ」
そう優しく言いながら額に手を当て、謳うように詠唱を始めた。
この世界の古代語は、私たちの世界で言う『詩』だ。単語は感情や自然物などが殆どで基本的に一人称で紡がれる。想音譜っていう独特の音が合間に挟まったりして、謳うにも技術がいる。音痴にはつらい世界だ。たぶんその辺も、魔術の才能に含まれているんじゃないかな。
そしてなにより、詩が力を呼び起こすわけだから、声がいい人はそれだけで天才に分類される。精霊は特に声がいい人に寄りつきやすいし、魔法生物もそうだ。音が心地いいというのはそれだけで世界に愛されている証拠でもある。
だからきっと、例の聖女様は鈴のような美声だったんだろうな、と思う。
詠唱が終わり、温かな光が私を包んだかと思うと、痛みがとけるように消えた。
「……ふぅ。如何でしょう? 痛むところはありますか?」
さっきまでは首を傾けただけでも頭が痛かったのに、体を起こしてみても何ともない。全身ズキズキ痛かったのも嘘みたいに消えている。
「ありがとうございます。どこも何ともないみたいです」
「ああ、良かった……もういつも通りにして大丈夫ですよ」
私以上にホッとした表情で、施療医さんが安堵の息を吐く。その献身が眩しくて、私は改めてお礼の言葉を口にした。
「では、私は戻ります。お大事になさってください」
「はい」
施療医さんは最後に私の頭をひと撫でして、エリシアちゃんとキュリオス先生にお辞儀してから、救護室をあとにした。最後までやわらかくて温かい人だった。
それとほぼ同時に、二時間目終了の鐘が鳴り響いた。救護室のスピーカーは有事のとき以外はオフになっているから、鐘の音は廊下から届くちょっと遠い感じの音だ。
「エリシアちゃん、ごめんね。二時間目丸ごと抜けさせちゃった」
「いえ、良いのです。わたくしだけ授業に戻っても、きっとニーナのことが心配で、身にならなかったでしょうから」
「う……以後気をつけます」
ぐっと言葉に詰まった私を見て、エリシアちゃんがくすくす笑う。
良かった、やっと笑ってくれた。なんて暢気なことを思っていたら、ベッドの足元から盛大な咳払いが響いて、肩が跳ねた。
「お前さん方、救護室をイチャつくためにつかうんじゃねぇよ」
「あ……」
そういえばいたんだった、と思ったのが顔に出たのか、キュリオス先生は「治ったならさっさと戻りな」と手を振った。
ベッドから降りて伸びをする。痛みがないどころか、体が軽い気さえする。
「三時間目の準備もあるしね。エリシアちゃん、行こう」
「はい。キュリオス先生、お世話になりました」
先生にお辞儀をするエリシアちゃんの手を取って、私は救護室を出た。休憩時間だから当たり前だけど、廊下にはたくさんの生徒や教師が行き交っていて、時折視線が刺さる。慣れたとはいっても全く気にならないわけじゃないし、なによりエリシアちゃんが私より気にしてしまうから、出来ればやめてほしい。
ただ、目を合わせないように廊下を進んでいるあいだ、何となく違和感がした。
いつも通り視線のほかにヒソヒソ話す声もしていたんだけど、その話し声に棘がないというか、笑い声交じりじゃないというか。だからといって聞き耳を立てる趣味もないし、構わず教室に入った。
「はぁ……なんか凄く久しぶりに、自分の席に着いた気がする」
椅子に座って机に上半身を預ける格好でとけると、エリシアちゃんが私の頭を撫でた。
「エリシアちゃん……?」
目線だけ上げて見ると、エリシアちゃんは目を細めて私を見下ろしていた。その表情は慈しむようでも哀しそうでもあって、益々謎と疑問が深まる。
「ニーナは覚えていないでしょうけれど、あなたがわたくしを避けて身を捩ったときに、此処を階段に打ち付けていましたのよ。そのせいで受け身も取れず、そのまま……」
エリシアちゃんは私が上から降ってきて自分を避けて、それから落ちていく一部始終を目撃していた。ガツンと衝撃があったような感覚はうっすらあるけど、私がちゃんと記憶出来ているのはエリシアちゃんを避けた瞬間までだ。
あのときは必死で、自分を庇うどころじゃなかったからわからなかったけど、思い切り体を打ち付けながら落下していったらしい。
「ちょっとバランス崩しただけで落ちるなんて情けないなぁ……次は体術も鍛えないと」
「もうっ。そういう問題ではありませんわ」
頭を撫でていた手で、今度は私の頬を突っつき始めた。エリシアちゃん精一杯の抗議がこれだと思うと、可愛さしかなくて迫力が見当たらない。
「んーん、ちゃんと考えてるよ」
にやける顔を誤魔化すために抗議する手を捕まえて口元に引き寄せると、体を起こして真っ直ぐにエリシアちゃんを見つめた。
「これからは自分を犠牲にしないように、しっかりエリシアちゃんを守りたいからね」
明かりが灯ったみたいに頬が色づいたエリシアちゃんの可愛い反応に、私は満たされた気持ちで笑い返した。




