あの日の出来事
「まあ、キュリオス先生。そう仰らずにお願い致します」
「わぁってるよ。仕事はするさ」
そう言うと、キュリオス先生は指先で自分の正面の椅子を指し示した。座れということなのかなと思ってそろりと腰を下ろすと、キュリオス先生は大病院に初めて行ったときに書くようなA4サイズの問診票を放り渡してきた。
「書け」
「はい……」
「キリエさん。私は授業があるので、先に戻りますね」
「はい。ありがとうございました」
インカルナータ先生は私の頭をふわりと撫でて微笑むと、施療室を出て行った。
「……えーっと……?」
羽ペンを取り、問診票に目を落とす。書かれている文字はイストリア語なのに、脳内で日本語に変換されるのか何なのか、ちゃんと意味が通じる。そして私も、まるで産まれたときから慣れ親しんだ言語であるかのように、その文字を書くことが出来る。
授業のときもそうだったんだけど、ファンタジー系のゲームでエルフ語とかを表現するときに使うみたいな不思議な記号の羅列なのに、ちゃんと言葉に見えるんだよね。しかも魔術に使う古代語も、悲惨だった古文の成績が嘘のように使いこなせている。でなきゃ、フィーちゃんを召喚するなんて出来なかった。
問診票は日本の病院で書くものと大差なくて、具合が悪いところはあるかとか、どこか違和感がするところはあるかとか、魔素酔いの兆候はあるかとか、そんな感じ。
魔法を使うには、自分の魔力と自然界の魔素を練り合わせて結果を生み出すんだけど、魔素との相性が悪かったり潜在魔力が低すぎて魔素を余分に取り込んだりすると副作用が発生してしまう。らしい。
私はいままで魔素酔いを感じたことがないからわからないけど、目眩とか吐き気とか、ひどいときには痙攣して意識を失ったりすることもあるらしい。
ここにきたとき倒れたのは、単純に至近距離で爆発が起きたからで、幸い魔素酔いにはなっていなかった。症状を聞いただけでも、絶対体験したくないと思う。
「……出来ました」
問診票を返すと、キュリオス先生はざっと目を通して脇の棚に放った。
さっきからやることが雑なんだけど、あれでなくしたり壊したりしないのかな。
「もののついでだ、軽く検査もしておくか」
「検査ですか? いったいなにを……」
「大したことじゃねえよ。学校で出来ることなんざたかが知れてら」
そう言いながら、キュリオス先生は背後の棚をガチャガチャと音を立てながら漁った。硝子とかあったら割れてもおかしくないような音まで聞こえてくるけど、私にはあの棚にあるもののどれ一つとして何の用途かもわからないから、見ていることしか出来ない。
「あー、あったあった。取り敢えず魔力量だけ測定するから、そっち握れ。軽くな」
「はーい」
謎の機械から伸びる金色の鎖に繋がれた、淡い赤紫色の鉱石。檸檬型に磨かれていて、表面はつやつやでつるつるしている。
言われたとおり軽く握ると、機械のメモリが凄い勢いで上がった。見た感じは、水銀の体温計とかのメモリに似てる気がする。その他の部分がわけわからないけど。
これでなにがわかるのか、この数値がなにを表わしているのかもわからないので先生の反応を窺っているんだけど、キュリオス先生は呆気にとられた表情のまま固まっていて、なにも言ってくれない。
「あの……?」
「っ、あ……ああ、悪い。もう離していい」
「はーい」
手を離すと、爆速で跳ね上がったメモリが今度はストンと落ちた。これが握力とかならちょっと落ち込んでるところだけど、確か魔力量を量るとか言ってたっけ。どれくらいが一年生の平均なんだろう。
「……お前さん、入学前に計ったときはこんなもんだったの覚えてるか?」
数値の見方がわからなくてじっと機械を見つめていると、キュリオス先生が、メモリのだいぶ下のほうを指して言った。その位置は定規なら三センチくらいを示している辺り。私のメモリが示したのは、三十センチに届くかどうかってくらいだった。
私は首を横に振ってから、そういえば『私』になる前の学園生活って、どんなだったんだろうと今更に思った。
「読んでみな」
そう言って先生が投げ渡したのは、ちょっと前の日付が書かれたカルテだった。
私の名前とエリシアちゃんの名前が記されたものの二種類あって、私は二つを見比べる形で目を通した。内容はというと、エリシアちゃんの杖に細工がされていて爆発が起きたときの私たちの症状とか怪我の具合についてのようで。
「……私が、庇ったんですか?」
「ああ。状況と魔力の流れから、担当教諭がそう判断した。攻撃魔術の実技担当は学園の中でも抜きん出て優秀な術者だ。流れを読み違うことはそうそうあり得ねえ」
危険な魔法を取り扱う担当なら、それはそうだろう。
というか、余計なことをしなくても事故が起きかねない授業で、よくも杖に細工なんて思いついたものだと思う。
キュリオス先生は難しい顔で、更に続けた。
「女子寮の救護医も、持ってた杖が暴発したはずの公爵令嬢には傷一つなかったと言っていたしな。爆発の衝撃をお前さんが一手に引き受けて、魔力変換して、相殺した。これが俺たちの見解だ」
「そんな凄いことをした記憶は全くないんですが……」
「だろうよ。火事場のクソ力ってヤツだろうな」
ナチュラルに口が悪い。
私からカルテを受け取ると、先生は「それはそうと」と話を変えた。
「お前さんは健康そのもの、問題なしだな。見たところ、魔力欠乏も起きちゃいねぇし。っつーか、有り余ってるくらいだ。大精霊サマを呼び出したにしちゃ、平然としすぎてる感もあるがな。化物かよお前さん」
「ストレートに失礼ですね」
別に良いけど、と付け足して溜息を吐くと、キュリオス先生はひらひらと手を振った。形としては犬やら虫やらを追い払う、あのシッシッていう動き。
「次は来月な」
「はーい。じゃあ、戻りますね。ありがとうございました」
立ち上がり、ぺこりとお辞儀をして施療室を出る。
去り際、先生の「量はともかく、質まで別人ってのはどういうことだ……」って呟きが聞こえたけれど、聞き返す気にはなれなかった。
だってそこに触れたら、私がこの世界の異物だと認めることになっちゃうから。




