仕事は仕事として
「ニーナ様」
自分のしたことなのに自分で驚いて呆然としていたら、カミルさんの手が横からスッと差し出された。手には、レースで縁取られた可愛いピンクのハンカチが。
「はぇ……?」
間抜け面を晒して見上げると、心配そうな顔のカミルさんがいて、なんでそんな表情をしているんだろうって思ったら、頬を熱いものが伝い落ちるのを感じた。
「……ぁ……れ? 私、なんで……」
「どうぞ、お使いください」
「ありがとう、ございます……」
お言葉に甘えて、ハンカチで涙を拭う。
ふわりと甘い香りがして、どこかで嗅いだ匂いだなって思ったらエリシアちゃんの匂いだった。それはそうだ。ここはエリシアちゃんの部屋なんだから。
「今日は、泊まっていかれては如何でしょう」
「え……でも私、着替えとかなにも持ってきてないですし、制服で寝るのは……」
「では、お部屋までお供致します。……エリシアお嬢様が目覚められたとき、ニーナ様がいらっしゃらないと、不安になられるかと存じますので」
そう言われると、断るのも申し訳ない気がしてしまう。
「じゃあ、着替えだけ取ってこさせてください」
「畏まりました」
カミルさんに付き添ってもらって一度部屋に戻ると、部屋着を小さいバッグに詰めた。
「あ……私転んだから、お風呂も入りたいな……どうしよう……」
「でしたら、エリシアお嬢様のお部屋でどうぞ」
「お借りしてもいいんですか?」
「はい。お嬢様が起きていらしたとしても、同じことを仰ったことでしょう」
それは思う。エリシアちゃんは優しいから。
お言葉に甘えて、お風呂グッズも一緒に詰めて、カミルさんと部屋に戻った。それからお風呂を借りて、私は制服以上に楽な格好になって、ようやく人心地ついた。さっきまであまりにも現実味がない世界にいたから。
「お風呂、ありがとうございました」
「いえ。ニーナ様、よろしければどうぞ」
手のひらでぱたぱたと襟元を扇ぎながら薦められたソファに腰掛けると、カミルさんがグラスを差し出した。条件反射で受け取ってから、首を傾げてグラスを見た。中身は青い液体で、何だか炭酸っぽい泡も見える。
「本日は色々と慣れないことが続いてお疲れのご様子でしたので、勝手ながら私がご用意致しました」
「わ……ありがとうございます。頂きます」
カミルさんはいちいち眩しいし顔面と気遣いの解像度が高い。
ありがたく頂くことにして、一口。味は見た目通りというか、ソーダっぽい炭酸で少し甘いような、甘酸っぱいような、そんな感じ。お風呂上がりだからか尚更美味しい。
くーっとグラスを傾けて飲み干して一息つくと、スッと手が差し出された。
「お下げ致します」
「ありがとうございます」
私がお礼を言ってグラスを渡すと、カミルさんはにっこり笑ってから、グラスを下げに行った。最上階フロアは使用人専用のお部屋が併設されていて、ちょっとした軽食とかはそこで用意出来るらしい。特別待遇の極みって感じ。
……そういえば私、カミルさんとは普通に話せてる。
従者さんだから異性にカウントしてない……なんてことはない。だってカミルさんは、攻略対象にも劣らないキラッキラのイケメンだから。物腰やわらかで丁寧で所作も完璧な美男子を男の人だと思えないほど、感覚が鈍くさいわけではない、と、思う。
でも、カミルさんを異性として意識することも、たぶんないと思う。私とは仕事として接してくれているんだって、ちゃんとわかっているから。プロの仕事に対して色恋沙汰に結びつけるのは、なんか失礼だと思うから。
「それに……お母さんみたいにはなりたくないしな……」
思わず零れた呟きで、私はカミルさんと普通に接していられる理由に気付いた。相手が仕事で、こっちはエリシアちゃんのおまけ。
これって、現実世界でいうホストクラブみたいなものじゃない?
「……そっか……なんでなのか、わかっちゃったかも……」
そこで、嫌なことまで芋づる式に思い出してしまった。
私のお母さんは、ホスト通いが趣味な人だった。指名した若いお兄さんにどんなことを言われたかとか、どれだけ愛されているかとかを私相手に自慢して、それから……
――――私に比べて、あんたって色気もないし男っ気もないのよね。可哀想に。まあ、あんたには女らしいものなんて似合わないから、当然でしょうけど。
私が少しでも可愛い格好をしようとすると貶して、下着もお母さんが買ったシンプルなスポーツブラ限定で、男子にからかわれて泣いて帰ったときなんか、うれしそうだった。
お母さんからの圧もあって、私はろくに異性と話せた記憶がない。ていうか、女の子として可愛さとかそういうのを求めたことも、そういえばなかったっけ。
「…………やめよう」
首を振り、溜息を一つ。
今日は色々あったから気持ちも後ろに引っ張られてるんだ。きっとそう。
「カミルさん、そろそろ休みますね」
「はい。お休みなさいませ」
「お休みなさい。カミルさんも、お疲れさまでした」
ベッドの傍まで行って、エリシアちゃんの隣に潜り込む。
マシュマロほっぺを撫でていると、ふにゃりと笑顔になった。
「エリシアちゃん……お休み。……大好きだよ」
起きてるときは言えない本音を、お布団に潜り込む音に紛れ込ませて囁いた。




