知られざる過去
エリシアちゃんのお母さんが、亡くなっていた。
写真に写っているエリシアちゃんは、どう上目に見積もっても、五歳か六歳くらいだ。そんな小さい頃に母親を亡くして、それなのにこんなに真っ直ぐ育ってたなんて。
「……ごめん、知らなくて……」
「話したことがないのですもの、当然ですわ」
エリシアちゃんの手を握ると、その上からもう一つの手が重ねられた。
「元々、体の強い人ではありませんでしたの。わたくしが六歳になる誕生日を迎える前の日に、突然高い熱を出して、そのまま……父もわたくしも、事実を受け止めるのに時間を要しましたわ。父は、人前では決してそのようには見せませんでしたけれど」
私は、アルバムを一番古いほうまで遡って見た。
そこには、赤ちゃんのエリシアちゃんを抱いてしあわせそうに微笑むお母さんと、その肩を抱いて不器用な笑みを浮かべるお父さんが写っていた。
お母さんは百人中百人がお母さん似だと言うだろうほどに、エリシアちゃんをそのまま大人にしたような美女だ。
私は、エリシアちゃんの過去を知らなかった。
このゲームは乙女ゲーム。攻略キャラの過去を掘り下げるイベントはあっても、お邪魔キャラであるライバル令嬢の過去なんて触れられもしない。感情移入の対象はあくまでもヒロインで、心を寄せる対象は攻略キャラだから。
ライバルキャラの過去を描写して、感情の矛先がぶれるのはゲームとして宜しくない。だから、私はエリシアちゃんのことをなにも知らなかった。
でも……ゲームで描かれてなかったことや設定に書かれてなかったことが、この世界に来てから次々明らかになっていくのは何でだろう。ゲームの世界に来たならゲームの中で描かれたことしか存在しないものだと思っていたのに。話を聞いてると、この世界はもう一つの世界のように思えてくる。
皆、ここで生きていて、人生があって、その人として生きている。
「……ナ、…………ニーナ?」
「……っ! えっ、あっ……ごめん、ぼんやりしてた」
つい考え込んでいたら、エリシアちゃんの泣きそうな顔が目の前にあって驚いた。
「ごめんなさい……あまり楽しくないお話でしたわね」
「ううん、違うの! それは違う! 友達のことを知れて、嫌なわけないし。私はもっとエリシアちゃんのことが知りたい。お母さんのことは哀しかったし、こんな小さいときに家族を失ってつらかっただろうなって思うけど、それで私が嫌な気分になるわけないよ」
お母さんの話を聞いたせいだって思われちゃったみたいで、私は全力で否定した。細い手を両手で包んで、必死に説得する。
「もっと甘えたり、教わったことが上手に出来たらお話したり、そういうことしたい年の頃に亡くしたのは、私が想像するよりずっとつらかったと思う。なのに、公爵令嬢として周りの期待に応え続けてきたんでしょ? それってすごいことだよ」
「…………ニー……ナぁ……っ」
エリシアちゃんが、私に縋りついて泣き出してしまった。何だか私、泣かせてばかりな気がする。
「エリシアちゃん。私は貴族でも何でもないから、たくさん泣いていいよ。私の前では、立派なお嬢様じゃなくていいから……色んなエリシアちゃんを見せて」
大したことは言ってないのに泣いちゃうってことは、やっぱり重圧が凄いんだろうな。公爵って王家の血を引く唯一の貴族だって話だし、王族を存続させるために存在している家系らしいし。公爵令嬢は王家に嫁ぐものだって決まってるみたいだし。将来的に王家の一員になる者として恥ずかしくない人間でないといけないって、凄く重たい。
背中をさすって、頭を撫でて。
そうしていたら、小さく寝息が聞こえてきた。
「………………」
どれだけ気を張っていたんだろう。
今日は私と王子のタイマンもあったし、余計気遣っていたんだろうな……申し訳ない。
「エリシアちゃん……」
一度体を離してから、脚の下に右手を滑り込ませて左手で背中を支える。
エリシアちゃんをお姫さま抱っこしてソファから立ち上がると、カミルさんを見た。
「こちらへ」
「はい」
エリシアちゃんをベッドに寝かせて、離れようとしたところで、エリシアちゃんが私の手をきゅっと握った。なにこの可愛いの。
「……お……かあ……さま……」
「っ、エリシアちゃん……」
エリシアちゃんの目尻に涙が滲む。そのままこめかみへと伝って、枕に滲んで消えた。いままで誰にも言えなかったのだろう、エリシアちゃんの本心みたいに。
私はベッドの傍に膝をついて、エリシアちゃんの手を両手で包んだ。
月の聖女は祈りを形にすることが出来る存在だって、作中では描写されていた。正直、私はまだそんな凄い力がある自覚はない。でも、私の祈りが本当に形になるのなら、いま願っていることが形になってほしい。
エリシアちゃんのお母さん。
もしいまもエリシアちゃんを見守ってくれているなら、お願い。一言だけでもいい……エリシアちゃんに想いを伝えてあげて。
ずっと一人でがんばってきたことも、泣きたいときに泣けなかったことも、縋る相手がいなかったことも、見てたんでしょう?
エリシアちゃんの手を額に当てて、強く祈った。
そのときだった。
――――エリシア。
どこからか、優しい女性の声がした。エリシアちゃんの声に似ているけど違う。もっと大人の、落ち着いた声だった。
思わず顔を上げると、エリシアちゃんを挟んだ私の向かい側に綺麗な女性がいた。
――――ごめんなさいね。あなたをひとり残してしまって。ずっと、見ていましたよ。
心の深いところに、すとんと落ちてくる、とても優しく慈愛に満ちた声で語りかける。無償の愛を形にしたような、母の愛そのものが人の形を取ったような、どこまでも優しい人だ。
私が、息をするのも忘れて見入っていると、私の枯れ果てた語彙では慈愛の女神としか言いようのない綺麗な女性が、ふと私を見た。
――――どうか、エリシアをよろしくお願いします。
私はもう声を出すのも烏滸がましい気がしてしまって、何度も頷いた。
心の中では「娘さんは私がしあわせにします」って叫んでた気がする。
最後に、エリシアちゃんの頭をひと撫でしてから、眩しいくらいの微笑を浮かべると、エリシアちゃんのお母さんは光にとけるようにして消えた。




