感情が忙しい一日
エリシアちゃんの言葉を黙って聞いていた王子が、フッと笑った。
いつもの不敵な笑みでエリシアちゃんを見下ろしてから、私に視線を移す。
「……面白い。ならば貴様にそれほどの価値があるか、この俺が見極めてやる」
結構です。って喉まで出かかったのを、何とか飲み込んだ。
エリシアちゃんがここまで言ってくれたんだから、恥をかかせたくないし。他の貴族と比べたら周回遅れどころじゃないけど、それでもいまから学べることはあるはず。
「別に、王子のお眼鏡に適うかどうかはどうでもいいです。ただ、私を友達だって言ってくれたエリシアちゃんの隣にいて恥ずかしくない教養は、学園で身につけるつもりです。聖女だからって理由で、お情けでここにいることくらい、私が一番わかっているので」
私がそう言うと、王子は一瞬目を丸くしてから思い切り笑った。
「この俺を相手に、そこまで啖呵を切った女は初めてだ。貴様、ニーナと言ったな。俺が名を覚えた女は貴様で二人目だ。光栄に思うがいい」
王子の言葉に、周りがまたざわめいた。
王子、どんだけ人の名前が覚えられないんだろうって思ってたら、周りの反応を見るにそういうわけではなさそうだった。何でも王子は、エリシアちゃん以下の人間は有象無象くらいにしか思ってなくて、個体識別する価値がなかったってことらしい。どんだけだ。
だから、王子に馴れ馴れしくしてるロザリオ先輩とかの僅かな生徒くらいしか記憶していないんだって。
ほんと、どこまでも俺様王子様なんだなってしみじみしてしまう。
そんな私たちのやり取りを、人垣の外側で静かに見守っている人たちがいた。
「……オーギュスト王子が、珍しいですね」
「ユベールもそう思うだろ? あの聖女様、ちょっと面白そうじゃない?」
「どうでしょうね。私にはその辺の者たちと大差ないように見えますが」
「じゃあ、賭けるか」
「は? なにを馬鹿な……」
「オーギュストはともかく、シャーディが懐くかどうか」
「それは……無理でしょう」
「なら、俺は懐くほうに賭けるぜ」
「待ちなさい。私は賭け事に興じるとは一言も……」
三年生のユベール・クリヴィエイラと、ロザリオ・ディモルフォス。彼らの話の対象はダンスホールの中心にいる、月の聖女――――つまり、私だ。
噂のネタにされている私は、全然気付きもしなかった。
知らないあいだに賭けの対象になっていることも、ロザリオ先輩にまで目をつけられてしまっていることも、ユベール先輩という、会ったこともない人に一方的に知られていることも。なにも知らなかった。
「珍しくなかなか有意義であった。卒業までの僅かなあいだ、楽しませてもらうぞ」
忍者でもスパイでも戦士でもない私は、外から注がれている視線に気付くはずもなく。悠々と去って行く王子の背を、ただ眺めることしか出来なかった。
「なんか、すごいことになっちゃった……」
「ニーナ……ごめんなさい、わたくしが殿下にあのようなことを言ったばかりに……」
「エリシアちゃんのせいじゃないよ。喧嘩売ったのは私だもん」
エリシアちゃんに向き直って、両手でほっぺたを包んで笑いかけた。そのままむにむに包んでいるうちエリシアちゃんも笑ってくれて、額を合わせて笑い合った。
――――そんなこんなで。
パーティは比較的無事に終わり、私はエリシアちゃんの部屋で着替えさせてもらうと、ソファに全身を預ける格好で座った。というより、とけた。
「疲れた……貴族の世界ってすごく疲れるんだね……」
「慣れないうちは皆そう言いますわ。わたくしも、幼い頃はそうでしたもの」
「幼い頃……」
ちょっと想像してみた。
初めての社交界で、緊張しているエリシアちゃん。覚えたばかりのダンスを披露する、ちっちゃいエリシアちゃん。だめだ。可愛いしかない。
「いいな……エリシアちゃんの小さい頃も可愛かったんだろうなぁ……」
隣に腰を下ろしたエリシアちゃんの手を握りながら言うと、エリシアちゃんは頬を淡く染めて俯いた。
「ご覧になりますか?」
照れるエリシアちゃんを見つめていたら、傍らで控えていたカミルさんがそんなことを言って、いつの間にか手にしていた大きな冊子をテーブルに置いた。
その瞬間、エリシアちゃんの顔が発火したように染まった。
「カミル、あなた、いつの間にそんなものを……!」
「先日の定期報告の際、お嬢様にご学友が出来ましたとご報告致しましたところ、ならばその者に見せるときが来るだろうと、旦那様がお送りくださいましたもので」
しれっと言いながら、カミルさんは私の前でその分厚い冊子を開いた。見た目からしてアルバムだろうなって思ってたけど、本当にアルバムだった。
この世界の写真は魔石をレンズ代わりにして特殊な紙に転写する方法で撮るんだけど、魔力の質が悪いと写真写りも悪くなってしまう。だから腕のいい写真家は重宝されてて、王族や階級が高い貴族にはお抱えの写真師がいたりする。
エリシアちゃんの写真写りは抜群で、いまにも動き出しそうに見える。
「すごい、可愛い……! お人形さんみたいっていうか、天使……? どんな芸術家にもエリシアちゃんを正確に描ける気がしないんだけど……エリシアちゃんのお家に雇われた画家さん、自信なくしちゃわない? 大丈夫?」
「ニーナ……お父様と同じことを言わないでくださいまし……」
「えっ」
お父さん、実は親馬鹿?
でも、わかる。私が同じ身分の貴族だったら「わかるよ、イノシェンテ殿」って力一杯頷きながら握手を交わしたいくらいだもん。
本当、どれもこれも可愛い。
天使しかいないアルバムをめくっていたら、珍しく黒いドレスを着たエリシアちゃんがいて、目を止めた。
「……エリシアちゃん、これは……?」
エリシアちゃんは、少し迷ってから、静かな声で言った。
「……お母様の、葬儀のときのものですわ」
そう囁いたエリシアちゃんの横顔は、深い憂いを纏っていて、言葉にならないくらいに綺麗だった。




