白馬のお姫様
「イベルニカ、どうしたの!? 落ち着いて!」
私はなにもしていない。急に走り出すようなことはなにも。エリシアちゃんだって。
一瞬見えた光。あれには魔力の流れを感じた。誰かが使用禁止エリアで魔法を使った。たぶん、私を陥れるために。
イベルニカは止まってくれない。ていうか私、止め方を教わる前に歩き出しちゃった。初めての乗馬で止まり方を知らないって、致命的どころじゃない。
「柵が……!」
馬術場と外を隔てる柵が迫ってきていて、もうどうしようもないって目を閉じかけた。そのときだった。
「ニーナ!」
背後から、エリシアちゃんの声がした。
「体を起こして、手綱を左に引いてくださいまし!」
「……っ!!」
思わず前のめりになっていた体を引き起こして、手綱を引いた。イベルニカが苦しげな甲高い声を上げて立ち上がり、転げ落ちそうになるのをどうにか太腿で挟んで堪えると、横からアリステラが駆け込んできて私たちの前に立ち塞がった。
「……っ……はぁぁ……」
深く深く息を吐いて、そろりと顔を上げる。心配そうなエリシアちゃんがいて、綺麗な青い目をしたアリステラが、イベルニカを労るように寄り添っている。
「イベルニカ、ごめんね……びっくりしたよね……」
頭を撫でて囁くと、私はエリシアちゃんを見た。泣きそうな顔だ。
「エリシアちゃん、ありがとう……」
「いえ……ニーナがご無事でなによりですわ。ですが、わたくしは生まれて初めて誰かを赦せない気持ちになりましたわ」
「えっ……」
エリシアちゃんの目は、馬術場中央の待機場所にいる、さっきの男子を見据えている。凛とした眼差しは数百メートルの距離をものともせずに相手を貫き、戦かせた。
「まずは戻りましょう」
「う……うん、そうだね」
エリシアちゃんと並んで、馬に乗ったままゆっくり戻る。例の男子は教師と言い争っているみたいで、今度は何だろうって思ってたら、馬術教師のほうが彼の父親よりも爵位が下なのに命令されるのが気に入らないとのことだった。
教師は使用禁止エリアで危険な魔法を使ったため、学園理事に報告すると言っており、男子のほうはそれをするなら父親に告げ口をして二度と学園で教鞭を執れないようにしてやると喚いている。
周りの生徒たちは、私が平民だから云々よりも貴族でありながら姑息な手を使った上に見苦しく喚いている彼のほうを迷惑そうにしていて、特に彼の親と自分の親の爵位が同じ生徒は「子爵が皆ああだと思われたくない」と遠巻きに囁いている。
「エリシアちゃん……」
「ニーナ、少々こちらでお待ちになってくださいませ」
「うん……」
エリシアちゃんは、いま滅茶苦茶怒ってる。私のほうを見もしないで真っ直ぐ向かっていって、男子の上に影を作った。
「でしたら、わたくしから進言致しますわ」
「な……!?」
ほんの二秒前まで威勢良く吼えていた男子が、青い顔をして振り向いた。
「この件は、我が家への定期報告にも添えさせて頂きますわ。……わたくしの前で友人を陥れようとしたこと、後悔なさいまし」
白馬の上から真っ直ぐ見下ろして、静かにそう宣言するエリシアちゃんの迫力は、さぞ凄かったんだろう。あれだけ偉そうにしていた男子はその場に呆然と膝をついた。
ちょっと心臓に悪い事故未遂はあったけど、一応怪我人は出ないまま授業は終わった。厩舎に帰って所定の場所にイベルニカを戻すとき、私はイベルニカの首を撫でた。
「今日はごめんね。ここ、痛くなかった?」
馬銜に触れないように、頬を撫でる。イベルニカは少しだけ弱々しい声だったけれど、首を振って私にすり寄ってくれた。あんなに怖い思いをしたのに。
長い睫毛も、大きな瞳も、凄く綺麗。ふさふさの尻尾もよく手入れされていて、きっといつか学園の生徒と一緒に走る日を夢見ていたんだろう。初日がこんなことになったのは本当に哀しいけど、イベルニカが私を見捨てないなら、私もがんばらなきゃ。
「私、きっともっと上手になるから……次の授業でもよろしくね」
最後にぎゅっと抱きしめてから、手を振って厩舎をあとにした。
外に出ると、馬丁さんに馬を預けてきたところのエリシアちゃんがいて、私は真っ直ぐ駆け寄った。
「エリシアちゃん」
「ニーナ……」
目の前に立った瞬間思いっきり抱きしめられて、私は頭に疑問符を浮かべながらも細い背中に腕を回して抱き返した。耳元に、啜り泣く声が掠める。
「泣かないで。私もイベルニカも、エリシアちゃんのお陰で無事だったから……」
宥めるつもりでそう言うと、更に腕の力が強くなった。
「ニーナ……」
そっと体が離れ、エリシアちゃんの涙に濡れた綺麗な瞳が目の前で揺れている。澄んだ湖みたいな、丁寧に磨かれた宝石みたいな、水色の瞳に吸い込まれそうになる。
「今日は、わたくしのお部屋で共に眠ってくださいまし……不安で、怖くて、眠れそうにないのです……」
私は、まるで催眠にかかったみたいに、小さく頷いていた。




