5.5─X
アストリッドはその後、式典の服について、いくら言っても言い足りない程の改善提案を仕立て屋に押し付けた。
ゼノンはクロノスの城下町にある魔法管理委員会に「魔術式の省略詠唱と魔脈の関係性」についての研究結果を報告する為に出立し、帰り道がその行き先と同じ方角であるベルクも、それに同伴する形で村への帰路に就いた。
そして、それから一夜が過ぎ、夜が明ける。
「……よし!」
朝食を摂り終えて研究室の扉を潜ったアストリッドは、両頬をパンと叩いて気合を入れ、開発していた魔法の試験運用に向けた最終確認──論理的法則の元に導き出された魔術式の書き起こしに取り掛かる。
いつぞやの約束通り、研究を手伝うために後から合流したマックスがアストリッドの書き起こした暗号のようなメモを解読し、魔術式の後半部分を書き起こしていく。
「……ねえ、マックス」
そんな中、不意にアストリッドの声がマックスに届き、「ん?」とマックスは顔を向けずにそう返す。
すると、帰ってきたのは「ありがとう」と言う言葉。
「何だよ気色悪ぃ」とマックスが返す。
すると、アストリッドは作業の手を止め、マックスの方を向かぬままこう言った。
「アンタは昔から気に入らなかったけど、アンタの努力を諦めない姿勢と失敗を恐れない勇気は、私よりも優れていると認めざるを得ないわ。
でも、そんなアンタが近くに居たから、私も抜かれないよう、必死になることが出来たの。
……だから、ありがとう」
お互いに顔を見ることも無く、数秒の静寂が訪れる。
その時には既に、二人は作業の手を止めていた。
すると、マックスが言う。
「へっ、何既に勝ったようなつもりでいんだよ」
それは、いつもの口調。二人は結局、嫌味や憎まれ口を叩き合う関係の方が性に合っていたのだ。
だが、アストリッドはその言葉に、普段とは異なる感情が含まれていることをどことなく察知していた。
そして、アストリッドの予感の通り、マックスは更に言葉を続ける。
「お前は、所々ズボラだ。……ズボラだが、その頭の回転の良さが本物だって事も、俺はよく知ってる。
それに、今お前がこうして複合属性魔法っていう全く新しい概念を作ろうとしてるのが、何よりの証拠だ。
それにお前は、力の抜きどころも分かってる天才だ。
……恋って感情が分からなかった俺は、それを劣情と勘違いした部分もあったんだろうな。だからこそ、お前のやり方を必死に観察して、ある程度努力を加減することも覚えられた。
だから、感謝すべきなのは俺の方だ。お前と出会えてなかったら、もしかすると俺は今頃、根を詰めすぎて死んでたかもしれないからな」
今更どうこう言ったところで、二人の関係がこれ以上変化することは無い。だがあの日、腐れ縁から好敵手の関係へと変化した二人の間には、確かにある種の信頼関係が生まれていた。
その思いを、二人は初めてお互いに吐露したのだ。
そして、マックスは最後にようやくアストリッドの方へと向き直り、晴れやかな顔でこう言った。
「……けど、これだけは覚えとけ。これが終わったら、俺は必ず、俺一人の力で、お前に匹敵する以上の研究成果を出して見せる。努力すれば天才も超えられる事を、俺自身が身を以て証明してやるって事をな」
その宣戦布告にアストリッドもマックスの方へと向き直る。そして、出るのはやはり遠慮のない嫌味。
「大した目標ね。でも、本当に私のこの研究成果を超えられるかしら?
むしろ、心が折れないようにする準備もしといた方が良いんじゃないの?」
「へっ、言ってろ。そっちこそ、後で吠え面かいても知らねぇからな」
それだけ交わし終えると、二人はフッと笑い、休憩は終わったと言わんばかりに作業を再開する。
そして──昼食を兼ねた昼休憩を挟んで作業を再開してから間もなく、その記念すべき試作の複合属性魔法の魔術式が完成した。
それを見たマックスはその全体を通し読みし、改めて呆れたと言わんばかりに溜め息をつく。
「しっかし、流石に全部の属性を使うのは、いくら何でも盛りすぎじゃねぇか?」
「だって、閃いちゃったんだからしょうがないでしょ? こういうのは早い者勝ちよ。
それに、私が初めて見た魔法も複合属性魔法だった……。
それを客観的にも理解できる理論として纏められる機会なんだもの、張り切らない訳がないわ」
マックスの率直な疑問に、アストリッドはあっけらかんとした様子でそう答える。
しかし、マックスは胸の内に残る懸念を払いきれない様子でこう言った。
「正直、お前が閃いたこの概念は、あまりにも未知の部分が多すぎる。
それに、魔法管理委員会に承認して貰ったんなら、少なくとも容認期間中は先を越される心配なんて無いだろ?」
マックスが言った容認期間とは、申請した研究内容に対して掛けられる"最長期間"であり、この期間中は他の人間が既に容認された物と同一テーマの研究を行おうとしても、その研究の実行が認められることは無いという保証期間である。
しかし、アストリッドはその疑問を抱くのも分からなくも無いと言った様子で、こう言った。
「……私、小さい頃から村の中でしか暮らしてなくて、時々村に来る商人や冒険者の人達から、村の外の事について聞くのが好きだったの。その中でもとりわけ好きだったのが、滅多に聞けない魔法についての話だったわ」
幼少の頃を思い出しながら語るアストリッドの声は、次第に震えを増してゆく。
「そして……、お祖父様と出会って、こうして魔法を学ぶ機会まで与えられて……、魔法がより一層、好きになったわ。
だから……、私は、今自分が持ちうる知識の全てを使って、新しい概念の第一号になる、凄い魔法を作りたいの」
「お前……」
──泣いてんのか?
そう言おうとして、マックスはその言葉を飲み込んだ。
そして──
「だって……、それぐらい大きな失敗で挫折しないと……、私、魔法を諦めるなんて出来そうにないもの……!」
そう言いながら振り向いたアストリッドの顔は、表情こそ平静を取り繕っていたものの、その切れ長の瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れていた。
アストリッドは父親から魔法を学ぶことを許された代わりに、来年──弟子入りから十年目までにアストリッド名義の研究成果を魔法管理委員会に認めさせなければ、魔法のことをすっぱりと諦め、魔法抜きで貴族としての務めを果たすという約束を交わしている。
しかし、その様子を見たマックスはツカツカとアストリッドの目の前に歩み寄り──
「パァン!!」
と、その顔の目の前で猫騙しを行い、それを食らったアストリッドは思わず目を見開いて硬直する。
するとマックスは、苛立った様子でこう言った。
「目ぇ覚ませ、馬鹿。
いつもの自信はどこ行った?
いつも俺の先を行って、自信満々で待ち受けてるお前はどこ行った?
……見せつけてくれるんじゃねぇのか、俺に実力の差って奴を。
努力じゃ超えられねぇ壁って奴をよ」
苛立ちを含んだその声で言われた内容を聞いて、暫し呆然となるアストリッド。
しかし、その言葉を理解する頃には、その瞳から溢れていた涙はいつの間にか止まっていた。
◇ ◇ ◇
それからややあって、二人の手によって"世界初の複合属性魔法(仮)"は完成した。
そして最後に、アストリッドは紙に書きだした詠唱分の全文を、魔力を込めずに何度も空詠唱して練習を行うと、見届け人である使用人七人を伴って、邸宅の庭へと足を運んだ。
作り上げた魔術式の文脈に不自然さはなく、消費魔力の見積もりも済んではいる。しかし、どんな現象が起こるか分からない以上、ゼノンが持つ邸宅のだだっ広い庭は魔法を試用するにはうってつけの場所であった。
「今から、試作した魔術式の詠唱を開始するわ! どんな現象が起こっても見逃さないよう、しっかり目を開いて観察してて!」
使用人たちから遠く離れた場所に陣取ったアストリッドは、風属性他分類魔法"拡声"を使用しそれらが頷いた事を確認する。
そして、アストリッドはいま一度深呼吸し、心を落ち着かせて足を肩幅程度に開く。
「……準備はいいか?」
隣に立ったマックスが、そう言ってアストリッドに確認する。
今回の魔力は消費魔力があまりにも大きく、現在のアストリッドの魔力量では、半分を少々超える程度しか供給することが出来ない。
そのため、ほぼ同じ魔力量を持つマックスが詠唱中のアストリッドに魔力を注ぐことで、その不足を補う事になっていた。
アストリッドはマックスの問いに頷き、その肩に手が置かれたことを確認して、新魔法の詠唱を開始する。
『……炎、氷、風、雷、地、水。それらの森羅万象を司る精霊達よ。我が願い、六霊神に聞き届けたまえ』
アストリッドの全身に魔力が満ち、それに一瞬遅れる形でマックスによる魔力供給が開始される。
『我が名は、術師アストリッド・クランマーベル。我、六霊神に許しを請う者也』
六属性全ての魔法言語が混ざり合ったカオスな詠唱文がアストリッドの身体の周囲に現れ、フラフープのように羅列されたその文字は、電光掲示板のように早目に出現した文字を先頭にする形でぐるぐると回転していく。
しかし──
「『我が望むは、秩序をもたらす力──』って、え……!?」
「おい……、どうしたアストリッド! まだ詠唱は──」
そこまで言ったところで、マックスは思わず目を見開く。
先程まで六色それぞれの魔法言語で構成されていた、アストリッドの身体の周囲をぐるぐると旋回する魔術式──その色が、真っ黒に変色していた。
だが、異変はそれだけでは終わらない。
「なっ……、離れねぇ……ッ!! それに、これは……!!」
異変を察知したマックスは、アストリッドの肩に置いた手を放そうと試みる。だが、その手はまるで接着剤で固められたように、一切離れようとしない。
それどころか、アストリッドも同様に、一歩も動けない状態に陥っていた。
更に──
「……!! マックス、すぐに魔力供給を中止して! 何でか分からないけど、多分これ、私たちの魔力が吸い取られてる!!」
「やれるならとっくにそうしてる!! けど、止められねえし離れられねえんだ!!」
"魔力視"を使用したアストリッドが見たのは、自分で止めようとしても止まることのない魔力の流れ。
その上、こうしている間にも、アストリッドの身体の周囲を旋回する真っ黒い魔術式はその量を増やし続けている。
しかし、まるで夜の明かりに本能的に惹かれる虫であるかのように、魔力の流れは止まる様子を見せない。
すると、流石に離れて観察していた使用人達もこれが異常事態であると判断したようで、二人が助けを呼ぶために屋敷の外へ向かい、残りの五人はアストリッド達の方へと駆け寄ってくる。
「だ……、駄目……!! 来ちゃ駄目ーーーーーーッ!!!」
──そう叫んだ次の瞬間、アストリッドの魔力の動きが止まり、身体の周囲を旋回していた魔術式が一斉に上空へと飛び立つ。しかし、文字達は空中で一瞬だけ動きをぴたりと止めると、一斉に方向転換してマックスと使用人達の身体にぺったりと張り付いた。
そして、張り付いた漆黒の魔術式が怪しい光を放つと同時にその文字から漆黒の霧が噴き出し、マックスと使用人達の全身を包み込む。
(な……、何が起こって……)
殆どの魔力を何かに吸い尽くされたアストリッドは、自分を囲うようにゆっくりと移動した六つの黒い霧を前に困惑する。
そして、漆黒の霧が一斉に膨らんで自分を飲み込む光景を最後に、アストリッドは一度意識を手放してしまうのだった。
好敵手:実力に過不足のない、丁度良い競争相手。ライバル。
猫騙し:立合いと同時に相手の目の前に両手を突き出して掌を合わせて叩く相撲の技。相手に隙を作り、有利な体勢を作るために使われるが、失敗すると一気に不利になってしまう。




