5.5─V
Q:本気で言っているのか?(後片付け的な意味で)
A:ええ、本気です(目が泳ぎながら)。
──話は再び、現代へと戻る。
「利口だったその子が父親に我が儘を言ったのは、それが最初で最後だった。
少女は夢が叶うという事に心を躍らせて、村を発つ祖父と、別れ際に指切りをしたのさ。
そして……翌年の春、その子は無事に、当時どの町よりも発展していた最先端の大都市・エンデに向かったんだよ。
その子は当初こそ不安もあったけど、祖父の使用人や近所の人達も良くしてくれたし、活気にあふれる街並みを散策するだけで日が暮れたりしたこともあるほどだったんだよ。
ただ、一つだけどうしても我慢ならなかったことがあってね……」
アストリッドはそこまで話したところで一旦話を区切り、話に聞き入っている二人へと視線を向ける。
「アンタ達……、ゼノンの二人の弟子が、どんな関係だったか知ってるかい?」
唐突に話を振られた二人は一瞬困惑し、思わずちらと顔を見合わせる。
先に向き直ってその質問に答えたのは、アスナだった。
「伝記では、出会った当初から共に高めあう好敵手だった……そんな印象を抱く描写だったように記憶しているんですけど、もしかして、違うんですか?」
アスナのその問いに対し、アストリッドは目を瞑り、また一口珈琲を啜る。
二人も紅茶を啜ってはいるが、アストリッドが飲み物に口を付ける頻度は、二人よりも明らかに多くなっていた。
「……他人に伝わっていく話や子供向けの話っていうのは、いつかどこかで捏造されちまうもんさ」
どこか呆れたように現状を憂いながら、アストリッドは何事もないかのようにそう言って見せる。
しかし、二人は気付いてしまった。
ソーサーにカップを置く際のアストリッドの手が、微かに震えていることに。
話を続けるアストリッドの表情が、僅かに影を帯びたことに。
「本当に……、一々癪に障る、嫌な男だったんだよ」
少女の話は、尚も続く──。
◇ ◇ ◇
一年の月日はあっと言う間に過ぎ去り、霊神暦353年、夏。
十五歳になったアストリッドは村を発ち、エンデに居を構えたゼノンの下へと弟子入りを果たしていた。
そしてこの日、アストリッドは夏の日差しを浴びながら、邸宅の庭で魔力を感じるための修行を行っていた。
「よし、今から送るぞ。よいな?」
自らの手を取ったゼノンの確認に対し、アストリッドはこくりと頷き、目を閉じる。
「よろしい。では──」
ゼノンの掛け声と共に、アストリッドは自身の両手に何か見えない力が注ぎ込まれ、それが全身を駆け巡っていく感覚を覚える。
「……どうじゃ?」
「血じゃない何かが……、一つの大きなたまり場を中心に、身体中を回っています」
肌を焦がす太陽も、町の遠くから聞こえてくる喧騒も切り捨て、アストリッドは己の内側を巡るエネルギーを感受する。
それは、今まであまりにも当たり前すぎて気付くことすら出来なかった、全身に渦巻いている"魔力"そのものであった。
「では、魔力を止めるぞ。その感覚を忘れず、自分の身体に流れる魔力を意識しながら、身体の外側にも意識を向けてみい」
ゼノンから送られてくる魔力が止まり、夏にも関わらず冷涼な気候の風が、アストリッドの頬を優しく撫でる。
そして、アストリッドは気付く。その風や自分が立っているこの大地に、自身の内側に宿る物と同じ力が含まれていることに。
──その中に、じっと感じ続けていると思わず身震いしてしまいそうな、自分達とは異なる力も含まれていることに。
「おじ……お師匠様、何か、異質な力も感じます……。
もしや、これが"黒の魔力"ですか……?」
一瞬「お祖父様」と言いそうになったのを飲み込み、アストリッドは助けを求めるように、その手をギュッと握る。
しかしゼノンには、まだそこで終わらせるつもりなど毛頭無かった。
「そうじゃ。
……では、魔力を見ることを意識して、目を開けてみぃ」
そう言われ、アストリッドは恐る恐る目を開ける。
──その視界に広がったのは一般的な光景では無く、例えるならばサーモグラフィーの様な、そんな光景であった。
「えっ……!?」
「今、見えておるのじゃな?」
祖父の形をした、周囲の琥珀色よりも一際明るい色を持つ存在が、アストリッドにそう言った。
「こっ……、これは……!?
お祖父様、何故そのようなお姿に……え、急に元に戻って……!?」
突然のことに困惑し、魔力を見るということに意識が向かなくなったことで、アストリッドの視界は一瞬で元通りの光景を取り戻す。
「えっ、えっ……あれ? 元に戻って……え、でも今確かに……」
「……混乱するのも無理は無いが、落ち着くのじゃ、アストリッド。ほれ、深呼吸じゃ」
ゼノンに諭され、アストリッドは助言に従い、三度深呼吸する。
そして、落ち着いたのを見計らい、ゼノンは落ち着いた声色で、アストリッドに今の出来事の正体を説明する。
「よいか、アストリッド。お主が今見ていたのであろうそれは、人類の中でもエルフだけが使える力……"魔力視"じゃ。
文字通り、白と黒の魔力を可視化する効果がある。
白と黒の魔力の比率と、大気中と地面の比率の差がどういう作用を及ぼすかについては、覚えておるな?」
「はい、勿論です。
それが見えると言うことは……、まさか、街や村などの人が暮らす場所は……!?」
「そう、そのまさかじゃ。エルフは未開拓地域や新大陸の調査部隊でとても重宝される……が、お主にはそちらは無縁じゃろうな。
むしろ、もし一人はぐれたとしても魔物が近寄らぬ安全な場所を探すという用途の方が、使う機会は多いじゃろうな。
じゃがそれ以前に……、"魔力を使う"と言うことのイメージを掴みやすいという最大の利点があるんじゃ」
ゼノンの言葉を聞き、アストリッドは喜びに打ち震えた。
この魔力視という技術を身に付ければ、基本的な魔法の使い方を教わることが出来、果ては祖父の研究の手伝いをすることも可能となる。
伝聞で聞いた情報を元にした妄想では無い、本物の魔法が使えるようになる。
例えそれがどんなに小規模であっても、憧れていた技術を使えるようになると言うことの喜びは、過去最高潮と言っても良いレベルにまで達していた。
しかし──
「……おっと、そうじゃ。わしは明日から二、三日留守にする。
その間に、魔力視を安定して維持できるように練習しておくのじゃ。良いな?」
「えっ……」
ゼノンの珍しくない外泊発言に、アストリッドのテンションは一気に鳴りを潜めた。
何故なら、使用人もいるとは言え、最高の喜びを一気に台無しにするほどの存在と過ごさなければならないと宣言されたも同然だったのだから──。
◇ ◇ ◇
「……………………」
翌朝、ゼノンを見送ったアストリッドは庭に立ち、ゼノンの指示通り、魔力視の練習を行おうとしていた。
しかし、当の本人は周囲の気配や音を警戒する事に気を取られてしまい、魔力視を練習するためにおちおち目を瞑る事すら出来ずにいた。
(……念の為に、もう一度探しておきましょうか)
いつ、何処から邪魔を仕掛けてくるかも知れない相手を前に、そんな不安が脳裏を過ぎる。
しかし、既に二度確認したにも関わらず再度確認するのも余計不安になるだけだと考えを改めたアストリッドは、目を瞑り、魔力視を発動するために意識を集中させる。
「……っ!?」
だが、いざ発動しようとしたその時、上方から蛇口を捻ったような水がアストリッドの頭に降り掛かり、髪も服も瞬く間にびしょ濡れになってしまう。
怒りの形相で目を見開いたアストリッドは、発動の直前に魔力の揺らぎを感じた場所──屋敷の屋根の上へと視線を向ける。
そこには、腹を抱えてくつくつと笑いを堪えている、うねった茶色の髪の毛とロバの耳を持つ、同い年の兄弟子が居た。
アストリッドはその犯人を恨めしげに睨み付けるが、その男は意にも介さないと言った様子でこう言い放つ。
「これはこれはお嬢様、無様に濡れた姿も絵になる顔だなぁ……くくっ……、おお恐い恐い。
流石お貴族様、ご立派な向上心だよ」
それは、普段は決して見せることの無い、今自分が行った行為を楽しんでいるかのような台詞であった。
それもそのはず。兄弟子の彼こそ、アストリッドが留守番を言い渡された時にテンションが一気にがた落ちした原因であり──歴史に名を刻んだ偉人・ゼノンには、二人の弟子が居た。その片割れが、正しく彼であったからに他ならない。
一人は、アストリッド・クランマーベル。賢人ゼノンの孫にして、地方貴族のしっかり者の長女である。
そしてもう一人は、マックスと言うオーガの男。この者はゼノンがエンデに居を構えることになった後、アストリッドよりも半年ほど早く弟子入りした"兄弟子"である。
しかしこのマックスと言う男、伝記の物語と実際でのアストリッドとの関係が、主に心理面において異なっている人物でもあった。
そしてもう一つ、伝記にするに当たって捏造し、簡略化しなければならないほどの悲劇が起こることになるのだが、それはもう少し先の話である。




