5.5─IV
「お父様……、一生のお願いです。
私、ゼノンお祖父様の下で、魔法について学びたいんです」
夕食後、朱に染まった夕日が差し込む屋敷の一角で、アストリッドは父親に自らの考えを打ち明けた。
しかし、サイモンはすぐに次の言葉を出すことが出来ないまま、頭を抱えてゆっくり歩きながら、アストリッドの周囲をぐるぐると周回する。
すると、サイモンは足を止め、確かめるようにこう言った。
「アストリッド……、本気で言っているのか?」
「ええ、本気です」
そう答えて見せたアストリッド瞳はとても真っ直ぐであり、迷いなど見受けられはずもなかった。
だが、アストリッドの貴族として果たすべき義務と今述べて見せた本人の望みが相反する関係にある為か、サイモンは答えを返すことも出来ず、長考する。
何故、娘はこんなにも強く懇願しているのか。何故、魔法を学ぶためにわざわざゼノンを指名したのか。
「昔から魔法に憧れていたから」「身内だったから」──。確かに、そう考えることもできる。しかし、その瞳の奥には、まるで貴族としての義務を捨てずに魔法について学ぶ──そうする為の確信があるようにも感じられた。
そして、サイモンは一つの可能性に当たりを付け、こう問い掛けた。
「……アストリッド。昨夜は寝付くのが遅かったようだが、何をしていたんだ?」
それは、大分遠回しながらも、確信を得て尋ねている、そんな言葉であった。
その雰囲気を察したアストリッドは、昨夜の事を正直に告白する。
「……昨夜、昼間に見たお祖父様の魔法の光景が忘れられず、魔法について尋ねるために、私はお祖父様の下へ行こうとしました。
そして、その時に……」
アストリッドは、その後の言葉を発することは無かった。
サイモンが掌を突き出し、「それ以上話さなくていい」と意思表示をしたためである。
そして、サイモンはそれらを踏まえた上で、こう問い掛けた。
「……それが、お前の望みにどう繋がると言うのだ?」
父親のその問いに、アストリッドは安堵する。
それは、賢いアストリッドであれば、個人的な望みを叶えるために貴族としての義務を放棄する事など有り得ないと安堵したからこその問いであった。
アストリッドはゆっくりと、しかしはっきりとした声でこう言った。
「私が魔法を学ぶのは、他ならぬ村の方達の生活の為です。
村の方も、"生活の負担が楽になるならそれに越したことは無い"と口にしていました。
魔法が誰にでも使えるようになると言うのであれば、きっと昨日お祖父様が使って見せた泥落としの魔法のように、"日々の生活の役に立つ魔法の在り方"と言う物が必要になってくると思うのです。
その技術をお祖父様と共に見つけ出すためにも、十五……いえ、せめて十……いや、五年だけでも構いません。どうか、私が魔法を学ぶことをお許し頂けないでしょうか」
そう言って、アストリッドは深々と頭を下げた。
その内容は夢踊る物ではあるものの、ジュードの言っていたことをダシにした自分の我が儘だと言うことは重々承知している。
そして、この優秀な子にこの親有りと言うべきか、父親もまた、その真意を察せられぬような人物では無かった。
しかし──
「分かった、許可しよう」
意外にも、サイモンはあっさりとアストリッドの頼みを承諾した。
もう少し返事を考えるだろうと考えていたアストリッドは、予想外の返事の早さに思わず顔を見上げる。
だが、サイモンの言葉がそれだけで終わるはずもなく、「ただし」と一言添え、こう続けた。
「お前が向かうのは、お祖父様とその周囲が落ち着くであろう一年後だ。
それに、魔法はまだ未解明の部分も多いと聞く。
お前の言う魔法の在り方の実現が不可能と判明した時や、生活に役立つ魔法の在り方について……そうだな、先程お前が言った、十年以内だ。それまでに何か一つでも研究結果を発表できれば、更に五年、お祖父様の下で学ぶことを許そう。結婚相手についても、好きな相手を探すと良い。
ただし、成果を出せなかった時は魔法のことをすっぱりと忘れ、こちらで用意した相手とお見合いで結婚してもらう。そして、この村で貴族としての務めを果たすことに専念しなさい。
そう誓いを立てられるのであれば、お祖父様の下で魔法を学ぶことを許可しよう」
それは、アストリッドの果たすべき義務を忘れさせないための誓約。しかし、アストリッドにはそれでも十分すぎるほどの譲歩であった。
サイモンは窓の方へと顔を向け、空に薄らと浮かんだ月を見上げる。
「他ならぬお前が、初めて我が儘を言ったんだ。ならば、その背中を少しでも押してやるのも親の務めというものだ。
……さぁ、もう間もなく消灯させる。明日に備えて早く寝なさい」
静かな声でそれだけ言い残すと、サイモンは自室と逆の方向へと向かっていく。
それは、祖父・ゼノンが使用している客間の方角であった。
この日、一人の少女の望みが成就することが確約された。
その喜びは並大抵の物では無く、少女は寝付けぬ夜を過ごしたという。




