5.5─II
──現代。
「……それが、その子と祖父……後に魔法の師匠になる人物との出会いだったんだよ」
アストリッドはそう言って、休憩ついでに淹れた珈琲を一口啜って話を続ける。
「その頃は、魔法はまだまだ大衆が学べるような知識として確立されるどころか、魔法言語という属性毎の文字としての体系化すらされてなくてね。
一部の人間が、一人から三人ぐらいの弟子に口伝で受け継がせて行くだけの物だったんだ。
紙になる物なんて羊皮や木簡ぐらいだったし、魔法具の動力である魔法石すらも発見されてなかったんだよ」
「そうだったんですか……」
ソファーに腰掛けて休憩するガイアとアスナを前に、アストリッドは時代背景も解説しながら一人の少女の話を続けていく。
後に大魔法時代と呼ばれる歴史の発展期に突入する少し前に当たる時代に生を受けた、一人の少女の話。
ガイアもアスナも、既にそれが誰のことを指しているのか、とっくに理解していた。
だが、二人ともそんな話し方をするアストリッドの心の内を理解できないほど鈍感なわけでは無い。
二人は何も言わず、ただただ"一人の少女の話"に耳を傾け続ける──。
◇ ◇ ◇
それは、その日の夜の出来事であった。
子供達が寝静まった後、父親と義理の息子は蝋燭を灯したテーブルを挟み、積もる話に花を咲かせていた。
「引退、ですか?」
そんな中、サイモンは義父・ゼノンから突然打ち明けられたその言葉を、信じられないと言った様子で復唱した。
だが、ゼノンは「そうでもない」と言わんばかりに首を横に振り、こう言った。
「わしももういい歳じゃ。
それに、研究にも打ち込みたいしのぉ」
理由を聞いたサイモンはただ一言「そうですか……」としか返すことが出来ず、確かにその通りだということに気付いてしまう。
ゼノンの歳は、既に五十代後半。更に、種族はドワーフである。
ドワーフは環境変化にこそ脆弱なものの、その知能は高く、過去の歴史でも時代の最先端を行く発明を作り出してきた。
故に、歳を重ねて仕事を引退してから打ち込むというスタンスが鉄板であり、当のゼノンもその適齢期が目前に差し迫っているという事を示していた。
そして──サイモンは今まで冒険者活動一筋だった父のその言葉に一つの心当たりをつけ、ゼノンにその真意を確かめるべくこう尋ねた。
「じゃあ、お義父さんが今日ここに来たのは……」
「……わしは今まで、冒険者人生一筋じゃったからな。
依頼主の中には懇意になった商人なんかも居るんじゃが、可能性は沢山賭けておくに限るからの」
仕事を引退し、これまでの人生で思いついたもののやむにやまれぬ事情があって出来なかった発想を、実現させると言うこと。それは、ドワーフであれば珍しくも何ともない話であり──更にゼノンには、もう一つやらなければならないことがあった。
「それに、術式使いの後進も育てにゃならん」
それは、自身がかつてそうであったように、弟子を取って魔法を教えると言うこと。
ゼノンは、その二つのことを行わなければならなかった。
だが、サイモンには不安もあった。
「でも……、お義父さん、両立なんて出来るんですか?
確か、魔法には属性毎に発音の異なる術式が必要で──」
「わしが行う研究で、魔法の在り方に革命が起こる……と言えばどうじゃ?」
そんなサイモンの言葉を、ゼノンはそう言ってぴしりと遮った。
そして、サイモンが突然告げられたその言葉を飲み込みきらぬ内に、ゼノンは熱が入ったようにこう語った。
「その研究が完成して、今わしの立てている仮説が正しいと証明されれば、魔法は特別な物では無くなる。
誰もが、当たり前のように日常で魔法を使える時代が来るんじゃ。
……その為には、まず大量に量産が可能な紙の技術を確立する必要がある。
それには人手と、そういった諸々の研究を行うための場所が必要なんじゃ」
ゼノンの言わんとしていることを察したサイモンは、思わず嘆息した。
あるものを活かして使うのは、冒険者の心得である。
だが、それがまさか自分に向いてくるとは思っても居なかった。
──全く、強い人だ。
サイモンは、この人には敵わないな、と苦笑する。
だが、ドワーフの高い知能から導き出された仮説であれば、賭ける以上の価値はあると言えるだろう。
サイモンの決断は、早かった。
「そうですね……クロノス王国領のエンデ、そこの研究機関に勤めている知り合いがいます。
ある程度の便宜なら図れると思いますよ」
その言葉に、ゼノンは目を見開いて立ち上がった。
「何!? エンデじゃと!? あの最先端の技術が集う都か!?」
「何か、不都合がありましたか?」
「そんなもんあるはずなかろう! むしろ最高じゃ!!
それ以上に良い場所なんぞ思いつかんわい!!」
ゼノンはこれ以上無いほどの上機嫌で、サイモンの背中をバシバシと叩いていた。
──そしてこの時、扉の向こうで聞き耳を立てている存在が居たことなど、二人は微塵も気付いていなかった。




