4─XIX
雨具を羽織ったガイアは、真っ先に"地理掌握"のある機能を起動した。
すると直後、ガイアの視界にウィンドウが展開し、エリア毎に区切られたローネル森林地帯の全景地図が映し出される。
そして──
〔検索機能起動……条件:ローネル森林地帯/西部/過去三十年以内に開拓された場所〕
〔…………〕
〔……………………〕
〔検索結果:四件……エリアG(平均難易度:D)/エリアH(F+)/エリアI(B+)/エリアJ(A)〕
地理掌握のエリア検索機能によってふるいに掛けられた非該当のエリアが暗転し、四つのエリアとその難易度が表示された。
そして、イーシスから聞いた話──二コラの父・ファルスが子供の頃、一人でもその場所に行けていた事を考慮すると、答えは自ずと出てくる。
現在地からエリアを二つ経由する必要があったものの、そのどちらとも、出現する魔物の討伐難度はF以下であった。
(エリアHまでは徒歩で片道三時間……。更に休息や戦闘、エリアHの探索もするとなると……)
二コラの命がいつ消えるか分からない今、悠長に事を進めている余裕はなかった。
ガイアはすぐに風の支援魔法「疾走」で脚力を強化し、目的のエリアに向かって真っすぐに進み始めた。
──しかし、そう簡単には行かなかった。
ガイアが移動を開始してから三十分程経過した頃、曇天の空から、終秋の冷たい雨が降り始めたのだ。
その冷たい雨は、森中に土の匂いを充満させてガイアの嗅覚を鈍らせるのと同時に、雨具に身を包んだその身体にも容赦なく降り注いだ。
足元の土は進めば進むほど泥濘が増え、その身体には鎧とインナーを通して徐々に冷たさが浸透していく。
耐寒強化のマキナ草を煎じた薬湯でその影響は軽減されていたものの、それでもガイアの疲労は徐々に増加していった。
更に、雨の中でも狩りを行える狩人達の毒牙が、遂にガイアとかち合ってしまう。
「ガウゥ……」
足を止めて一息ついていたガイアが周囲を見渡すと、そこにはいくつもの目が、ガイアを獲物として捉えていた。
ダグウルフ──雨の中でも匂いをかぎ分けられる嗅覚を持った、討伐難度Fの群れで行動する狼型のモンスターであった。
ガイアはすぐさま剣を抜いて戦闘を開始するも、その最中、ガイアは右腕に妙な違和感を感じていた。
自分の思っていた腕の動きと、何かが違う。
当初は気のせい程度に思っていたガイアだったが、戦闘が何度起こっても、その違和感は付きまとい続けていた。
──そして、その違和感の理由がはっきりと自覚できたのは、エリアHで出くわしたベズアーとの戦闘中の事。
前回、前々回と戦った時と比べ、明らかに攻撃の通りが悪くなっていた。
そして、その合間に何があったかと言われれば、その理由は明白──右腕の骨折であった。
魔力切れは自身が無防備になる上に、魔物化してしまう恐れがある。故に、ガイアは魔法を下手に多用するわけにも行かず、魔法剣士としてのポテンシャルを活かすことが出来ずにいた。
その上、骨折の治療によってトレーニングを控えていたガイアの身体は、入院する前よりも明らかに鈍ってしまっている。
身体は思うようについて来ず、特に右腕には、その影響が顕著に出てしまっていた。
そして──
「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……クソッ……」
体力が遂に限界を迎えたガイアは、木を背もたれにしてその場に座り込む。
ベズアーを倒し終えたその時、ガイアには、立ち上がる体力すらも残っていなかった。
だが、雨で魔除けの香草の効果が余程間近で無ければ期待できず、いつどこで魔物に襲われるとも分からない中、眠ってしまう訳にはいかなかった。
ガイアは腰の道具袋に手を入れ、鮮やかな赤い液体の入った瓶を取り出す。
それは、疲れと眠気を一気に吹き飛ばす特製活力薬──マキナミンXであった。
だが、その蓋を開けようとして、ガイアはその動きを止める。
マキナミンXの効力は六時間。しかし、一度服用してから二十四時間以内は再度服用することが出来ない上、効力が切れるとその間に溜まった疲労が一気に押し寄せるのだ。
故に、ガイアは飲む事を躊躇った。今すぐ復活できる代わりに馬車へ帰還するまでのタイムリミットを縮めるか、今ここで寝ずに休んで疲労を回復するか──。
しかし、その迷いは一頭の闖入者によって振り払われる事となる。
「グルルルル……」
右方から聞こえた、聞き覚えのある唸り声。
その方向にガイアが顔を向けると、そこにはリスの頭と虎の身体を持つ魔物──タミアスタイガーが、真っすぐこちらを見据えており──選択肢は、最早用意されていないも同然であった。
それからというもの、ガイアは必死にエリアHを捜索し続けた。
だが、秘境と言うだけあってそう簡単に見つかるはずもなく、時間だけがどんどん過ぎ──気付けば空は晴れ、マキナミンXの服用から六時間が経過してしまっていた。
ガイアの身体に一斉に疲労が襲い掛かり、視界がふらつく。
バランスを崩したガイアは何メートルもある高さの草藪へと倒れこみ──そのまま、草藪の中にあった傾斜になされるがまま、ゴロゴロと転がり落ちて行った。
そして、傷だらけになった身体が回転をやめると、目を閉じたガイアの鼻に、ふわりといい香りが漂ってきた。
それは、全身の痛みに苦しむガイアの心に安らぎを与え──そのまま、ガイアは眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
何時間寝ていたのかなど、分からなかった。
だが、ガイアが目を覚ました時、空は既に闇に染まっていた。
そして、ゆっくりと身を起こしたガイアは、周囲を確認──しようとして、まず最初の違和感に気が付いた。
──生きてる……?
疲労が限界に達して眠った時、まだ時刻は夕方だった。
それから何時間も無防備に眠っていたにも関わらず、魔物に襲われていないとはどういうことなのか──その理由を探ろうとしたところで、雲がから顔を覗かせた月によって照らし出された風景が、ガイアの視界に映り込んだ。
(え……!?)
そこには、見渡す限りの辺り一面にガーベラが咲き乱れ──文字通りの"花の絨毯"が広がっていた。
自分が今どこにいるのか、それを理解してからのガイアの行動は早かった。
魔除けの香草と秋の花々が一面に咲き乱れていたその場所の調査を速やかに終えると、鉢金の代わりに小型照明を装着して行先の視界を確保しながら、ガイアは休息小屋への道のりを必死に走り続けた。
魔物に襲われることが無い、背の高い草藪に囲まれた窪地──そこにあった「ひみつのおはなばたけ」の存在を伝える為に。
上空からは周囲の物よりも一段と高い木々に遮られてクーリアが侵入することが出来ず、窪地になっているが故に発煙玉の高度が足りない故に、その場所は秘境と化していたのだ。
だが、地理掌握の地図にマーキングを行った今となっては、再びその場所を訪問するのは難しい話ではない。
ガイアは吉報を届けられるという希望を胸に、息が上がり切った状態のまま、二人が待つその場所へと足を踏み入れた。
しかし──
「あ……、ガイア君……」
掠れた声でそう言ったイーシスの顔は、明らかに泣き崩れた人のそれであり──その腕には、冷たくなった銀髪の少女が抱きかかえられていた。
霊神暦713年14月21日、未明。
二コラは、ガイアの吉報を聞くことも叶わぬまま、静かに息を引き取った。
そして──ニコラの葬式が行われても尚、ガイアは涙を流すことが出来なかった。
闖入者:突然入って来た者、突如許可なく入り込んで来た人。
未明:深夜0時から3時ごろの時間帯。




