4─XVI
「……お邪魔します」
ガイアはそう言うと、魔力が注がれたことで明かりが灯ったニコラの病室へと足を踏み入れる。
そこは、ガイアが居たような複数人が入れる部屋とは異なり、一部屋を一個人が広々と使うことが出来る"個室"であった。
洗面台やトイレ、シャワールームといった物は室内に完備されており、部屋の奥には普段使っているのであろう広めのベッドが一つ、静かに佇んでいた。
だが、その部屋の風景はえらくこざっぱりとしており、ぬいぐるみ等の小物は一切置かれていない。
しかし、その代わりと言わんばかりに置かれている物がある。
窓辺の台にある簡易の日除けの下に置かれていたのは、大量の本。それも、齢十三歳の少女が読む物とは思えないような、難しそうなタイトルの物まで置かれているのだ。
「本当に、本が好きなんだね」
「ええ。一人で外出は出来ないもの」
そう言って、ニコラは静かに視線を落とす。
だが、すぐにその視線をガイアへ戻すと、椅子に座るよう促す。
そして、ニコラも傍にあった椅子を引き寄せ、ガイアの近くに腰を下ろした。
「あなた、親を恨んだことはある?」
静かな口調で、ニコラはガイアに問い掛ける。
ガイアは自身の辛い記憶を思い起こしながら、静かな声でこう返した。
「ああ……。まだ俺が六歳だった時に母さんが死んで、それ以降俺に暴力を振るようになった親父を、何度も何度も、数え切れないくらい恨んだよ。
……でも、怖くて……、泣くことしか出来なかった」
「……そう」
暫しの沈黙が、二人の間に訪れる。
「君は?」
ガイアの静かな声が、部屋の中に静かに木霊する。
「……今でも、恨んでるわ」
自分をこんな病弱な身体にする原因を作ったのが、他でもない母親であること。
腫れ物のような扱いをされ、親族として認めてくれない原因を作ったのも、母親であること。
更に、色欲に負けたせいでこうなってしまう事を見抜けず、時折自分の現実を思い知らさせるような事をしてくる父親の迂闊さ。
両親に対するやり場の無い怒りが、ニコラの内側で渦巻き続けていた。
「私は……っ、もっと生きたかった!!
でもそれ以上に、こんな思いを抱かせるぐらいなら観光なんて連れて行って欲しくなかった!!」
何粒もの涙が頬を伝う中、部屋中にニコラの本音が響き渡る。
ニコラは、世界中を父親と共に見て回った。
だが、病弱なニコラは楽しそうなことがあっても、参加することが叶わないこともしばしばあった。
そして、その度に脳裏には母親の顔が浮かび、自分の身体という残酷な鎖を思い知らされる羽目になったのだ。
ニコラは、母親のことを恨んでいた。
だがそれ以上に、父親のことも恨んでいた。
故に、父の遺品は一刻も早く処分してしまいたかった。
これらは全て、イーシスにすら明かしたことが無い、まごう事なき彼女の本音であった。
そして、それらの言葉に対して、ガイアは何も言わなかった。
「……あなたは、何も言わないのね。
普通なら、"分かるよ"とか言う物じゃないの?」
激しかった感情の波が落ち着き、ニコラは自分の話を黙って聞き続けていたガイアに対し、そう問い掛ける。
すると、それに対して返ってきたガイアの答えは、予想外のものであった。
「俺は、想像だけで他人の辛さを分かるって言うのは、無責任だと思ってる。
むしろ、無責任にそう言われたように感じて、腹が立つって人もいるだろ?
"お前に何が分かるんだ"ってさ。
だから、"分かる"とは言わない。君に残された時間を一緒に過ごすことで、"生きてて良かった"って思いを、少しでも持てるように手伝わせてくれないか?」
ガイアのその答えに、ニコラは暫し沈黙した後、こう言った。
「……死んだら、私のために泣いてくれるの?」
「少なくとも、イーシスって人は確実だよ」
「ちょっと……、あなたが入ってないじゃない」
「それは、これからそうなるようにするんだよ」
その軽いやり取りの中には、ニコラの笑みがあった。
そしてこの日以降、ガイアはこの少女との約束を果たすために、通院する必要のない日にもイーシスと共に病院に足を運ぶようになった。
外出許可を得た日は、修道院で子供達と遊んだり、通りの店をぶらぶらと散策したり。
はたまた、未だ処分されていないニコラの父親の遺品の中にピアノがあると判明した際には、前世で嗜んでいたガイアが「奇跡」という歌を治りかけの右手のリハビリがてら弾き語りして聞かせてみた結果、その歌声が耳に届いていた吟遊詩人からスカウトを持ちかけられ、それを丁重に断ったり。
またある時は、ニコラにオススメの本を訪ねてみた結果、止まる事を知らないマシンガントークに圧倒されたり。
だが──彼女の身体に巣食う不治の病魔は、密かに、そして着実に、彼女の身体を蝕んでいた。




