3─I
胡蝶:蝶の異称。
ガイアが異世界に転生してからひと月以上が経過し、日付は12月23日。
この頃のガイアは、城下町の北西部に存在する図書館に通うのが日課になっていた。
そして、ガイアは玄関をくぐり抜けると、受付で個室の自習スペースの手続を行う。
すると、最近足繁く通っているからか、受付の女性がガイアにこんな質問をする。
「あの……、近頃よくご利用頂いてますよね? 何を自習していらっしゃるんですか?」
「あー……、ただの一般常識や冒険者の仕事に関係ありそうな知識について、必要だと思う物を兎に角頭に叩き込んでるんです。
俺、実は記憶喪失でして」
ガイアのその言葉を聞いた女性は、驚いたと言った様子で目を丸くさせた。
そして、「くれぐれも、お疲れの出ないようにして下さいね?」と言う言葉と共に番号札を受け取ったガイアは、お礼の言葉を告げて本棚へと向かと向かった。
ここ数日で"地理掌握"の加護によって完全に場所を把握した本棚の脳内地図に従い、ガイアは「一般教材」の棚の列へと入る。
その棚には、この異世界の義務教育に使われている教本が、ずらりと並んでいる。
その中でガイアが集中的に読んでいるのは、「冒険者/傭兵」の札が打ち込まれた棚の本であった。
今月上旬から読み進めていた『魔物図鑑大全 第3版』をようやく読み終えたガイアは、次に何の本を読もうかと吟味する。
(……よし、これにするか)
そう決心して手に取ったのは、『冒険者/傭兵座学 職業編』と題された本であった。
◇ ◇ ◇
『第二次開拓期が始まる少し前、ヴィオールという名前の左大臣が居た。
そしてある日、彼は王から新大陸の調査隊を派遣する任を命じられ、新たなる開拓時代の責任を背負うこととなった。
彼は思わぬ大役を授かったことに心躍ると同時に、のしかかる責任の重さをしかと感じ取り、その役目を声高らかに拝命した』
『任を受けたヴィオールは各国に対し、調査隊の人材を募るよう懇願の文を出した。
そして、彼自身も城下町へと繰り出し、中央広場に募集の看板を立てて「我こそは」と言う者を募った。
結果、主に冒険者を生業とする者達が次々と名乗りを上げ、その数はおよそ150名にも上った』
『王国兵団の立ち会いの下で、実力試験が行われた。
試験の内容は苛烈を極め、その結果残ったのは、募集人数の半分にも満たない、たった47名であった。
この結果には、ヴィオール本人も目を丸くさせていた。
だが、他の町からも続々と試験を通過した者が集まり、その数は最終的に400を超えるまでになった』
『ヴィオールが任を受けてから、早三ヶ月。
新大陸の本格的な調査が、いよいよ開始される運びとなった。
港から三隻の船が出航し、船に乗った実力者達は、見送りに来た家族が見えなくなるまで手を振り続けていた。
今回新大陸に向かうのは、437人中の105人。
先遣隊として派遣される彼等は、今頃「誰が一番最初に新大陸の土を踏むか」といったようなことを腕相撲等で決めていることだろう。
彼等から一報がもたらされるのを、ヴィオール達は待ち続けた。
しかし、出発から二ヶ月が過ぎても、先遣隊の彼等が帰ってくることは無かった』
『「彼等に何が起こったのか、早急に調査隊を編成する必要がある」と、ヴィオールは言った。
地平線の向こうに、薄らと見える新大陸。
そこに向かった先遣隊は、出発から三ヶ月経過したその時も、誰一人として帰還を果たしていない。
ヴィオールは船を五隻手配し、残った332人の中でも特に強い者達を、調査隊として起用した。
先遣隊の時とは異なる、重苦しい空気が港を包んでいた』
『「船が帰ってきたぞ!」
誰かがそう言って、調査隊の紋章入りの帆が掲げられた船を指さした。
しかし、ヴィオール達の顔色は優れなかった。
何故なら、五隻出航したその船は、たった二隻しか戻って来ていなかったのだ。
「新大陸の魔物があんなに強いなんて聞いてねぇぞ!」
「勝てない訳じゃねぇが、あんなのと何度も戦ってたら流石に身が持たねぇ!」
痛々しい傷を増やして帰ってきた冒険者達は、口々にヴィオールに詰め寄った。
ヴィオールはそんな彼等に対し、ただただ謝る事しか出来ずにいた。
そして、彼は数多の命を死に至らせてしまった罪を背負い、自ら願い出てその職を辞した』
『ヴィオールが職を辞めてから、三年の月日が流れた。
新大陸の開拓事業は白紙になり、誰もが新大陸への進出を諦めていた。
だがそんなある日、王に謁見を願う一人の男が現れる。
それは、職を辞めてから農村へと移り住み、農業で日焼けして逞しくなった事で、すっかり別人と化したヴィオールであった。
「精霊が、私に道を示して下さいました!」
王にそう告げたヴィオールは、すぐに誰か一人、出来れば王国兵団から指名して自分に協力して欲しいと願い出た。
王は、他ならぬヴィオールの頼みとあって、すぐにその申し出を承認した』
『「剣に魔力を注ぎ、"渾身斬"を使ってみて下さい」
ヴィオールの言葉に従い、両手剣を構えた兵士が、眼前の直径15cm程の丸太に狙いを定める。
そして、上段に構えられた兵士の剣が琥珀色の光を纏い、兵士はそれを勢いよく振り下ろす。
すると、丸太は確かに両断され、勢い余った兵士の剣は、地面へと刺さっていた。
「これが、"転職"による力です。これがあれば、新大陸の開拓も可能になるかと」
ヴィオールは、満面の笑みで王にそう言った』
『ヴィオールが見つけ出した"転職"という奇跡の技は、瞬く間に人々の間で話題になった。
特殊な配分で決められた素材を調合して作り出した"聖水"で身を清め、そうありたいと強く願うことで、戦士系四つ、術式使い系四つの合計八つの職業の内の一つに就くことが出来る。
そして、その職業に転職した者達の能力の伸びは、これまでの比では無かった』
『ヴィオールが転職の奇跡を生み出してから、四年の歳月が過ぎた。
そしてこの日、新大陸に向けて出航する船に乗るのは、転職して経験を積み、基本職の中でも「上級」と名の付く職業に見事転職できた実力者達である。
基本職や上位職、職業の相反関係等を知らない人間は、最早世の中には居ない。
そして今日は、実に七年ぶりとなる出航の日。
だが、あの時のような陰鬱な空気は、港のどこにも存在していない。
何故なら、今の彼等には力があるのだから』
『今、我々人間がこうして世界中に分布できているのは、今は亡きヴィオール氏が夢の中に現れた六霊神から授かったと言う、転職の奇跡のお陰である。
今や人類は、中央大陸とライル大陸の北部を除き、ほぼ全ての領域への進出を果たした。
しかし、ヴィオール氏の奇跡が無ければ、人類は今も、新大陸への進出を行えずにいただろう。
彼の偉大な業績に敬意を表し、この教本をここに綴る』
◇ ◇ ◇
『冒険者/傭兵座学 職業編』の序盤には、そうした数十ページに渡る伝記が記されていた。
ガイアは現在のページをメモ用紙に書いて本を閉じ、ふと壁の時計に視線を移す。
時計の針は正午を過ぎており、それを確認したのと同時に、ガイアの腹の虫が「ぐう」と鳴いた。
(……ギルドの食堂でも行くかな)
ガイアは静かに自習室から撤収し、本を元の棚に戻して図書館を後にするのだった。




