2─XI
一切の暗闇に包まれていた世界から、次第にガイアの意識が覚醒してゆく──。
「ん……、あ……?」
そして、目を覚ましたガイアの視界にまず入ったのは、見慣れない真っ白な天井。
首をもたげてみると、まるで病院のベッドのような、落下を防止する為の柵が両脇に姿を現す。
「おはよう、気が付いた?」
すると、その声と共に視界の右側からガイアに影を落とす人物が一人。
それは、いつもの見慣れた藍髪サイドテールの女性であった。
「……アスナ……?」
意識が完全にクリアになり、状況が掴めぬまま視界に捉えた人物の名前を呼ぶガイア。
そして、アスナが黙ったまま頷き、ガイアはそのまま気になった事を質問する。
「えーと……、ここは誰? 私はどこ?」
「ここは病院よ。
あんた、シュウ先輩のあの暗黒料理を食べたの、覚えてる?」
「あー……。そう言えば……」
アスナにそう言われ、ガイアは意識を失う直前の事を思い出す。
その後の記憶が一切無い事から、今まで自分が意識を失っていた事は明白であった。
「あんた、それで意識失って倒れた後に、白目剥いて泡吹きながら痙攣し始めたから、皆でここに緊急搬送したのよ。それが一昨日の話」
「マジか……」
そんな自分の姿を想像して、思わずゾッとするガイア。
すると、アスナがこんな言葉を口にした。
「……それでね、今までシュウ先輩は自分の料理の不味さを分かってなかったみたいなんだけど、今回の騒動のお陰でようやくそれを自覚できたみたい。今までは純粋な善意だけで作ってくれてたから言いづらかったんだけど、そのお陰でフェズさんが皆の言いたかったことを代弁してくれたわ。
そしたら、"もう料理は二度と作らない"って、フェズさんにこってり絞られた後に泣きそうな顔で誓ってくれたのよ。
……あんたが過去に例を見ないほどに先輩の料理に対して拒絶反応を示してくれたお陰よ。ありがと」
「そっか……、なら良かった……。あんな得体の知れない物を食わされるのは、もうごめんだよ」
そこまで言って、二人はハハッ、と笑い合う。
そして、またもアスナから別の話題が振られる。
「そう言えば、聞いたわよ。あんた、頼りになる所もあるじゃない」
「え?」
そう言われて、ガイアは思わずキョトン顔になる。
「ミラさんから聞いたのよ。自分から率先してゴキブリ退治してくれたんでしょ?
それも含めて、少しだけど、あんたの事見直したわ」
「少しって……。じゃあ、それまで俺の事どう思ってたんだ?」
「加護が無いと戦える勇気すら持てないような、情けない人」
「ひでぇ……いや、確かに否定も出来ないけどさ」
「ふふっ、だって本当の事じゃない」
そう言って、アスナは優しく笑った。
(あ……)
その不意打ちの笑顔に、ガイアは一瞬、心を奪われる。
そして同時に、自分と話すアスナの物腰や表情が、先日までと比べて多少柔らかくなっているということに気付く。
何故そう思うのか──答えはすぐに見つかった。
ガイアは、アスナと出会ってから今まで、一度も笑顔を見たことが無かったのだ。
その笑顔も先程の笑顔も、自分に対して少し心を開いてくれたということをガイアが悟るには、充分すぎるものであった。
「まぁ、今日中には退院できると思うわ。
後、シュウ先輩も謝りたいって言ってたから、話、聞いてあげてね。
後、ここの費用は皆で分けて出し合ったから、今度何かお返ししなさいよ?
……じゃ、先生と皆にあんたが目覚めたって伝えて来るから、家に一足先に帰るわね」
最後にそれだけ交わすと、アスナは病室から去って行った。
四人部屋の内の一角のベッドに寝かせられていたガイアは、改めて周囲を見渡す。
自分以外の三つのベッドの内、部屋の対角線上の反対側にある所から割と大きめのいびきが響いていた為、加護について話すときに声量を小さくしたのも相まって、誰かに聞かれている心配は皆無であった。
(……トイレ行くか)
そう考えたガイアは、足下に用意されていた院内スリッパを履き、ふとベッド脇のテーブルに視線を移す。
そこには、『好きなように使ってくれ シュウ』と書かれたメモ書きと共に、丸形の小銭入れが置かれていた。
◇ ◇ ◇
用を足して戻った後、アスナの一報を聞いた担当医と話し合ったガイアは、スッカラカンになっていた腹に病院食を詰め込んだ。
そして、腹が落ち着いた頃にシュウの小銭入れをポケットに入れ、ラウンジへと足を運ぶ。
(それにしても……、まだ暫く暇だな……。
何か無いかな……)
ラウンジの購買で注文したリンゴジュースに口を付けながら、ガイアはそんなことをぼーっと考える。
すると、ガイアの視界に、ラウンジの端に座っていた銀髪の少女が映り込む。
その少女は窓辺の席に座り、眼鏡を掛けて手に持った本に視線を落としている。
そして、その手に持っているのは小説──ではなく、真新しい雑誌であった。
やがて、少女はその雑誌を閉じて立ち上がり──彼女の行く先には、本棚があった。
ガイアも立ち上がってその本棚へと向かい、少女が戻そうとしたその雑誌のタイトルを見て、思わず目を見開く。
その雑誌には、『冒険の轍』というタイトルが冠され、表紙には魔物と戦う人間の絵が描かれている。
その表紙から、ガイアはそれが冒険者や傭兵向けの情報誌であろうということを推測する。
しかし、それを読んでいた少女の腕はあまりにも細く、白い。
故に──
「……あのさ、その雑誌、面白かった?」
小説らしき本を取ろうとしていた少女に、そう尋ねずには居られなかった。
しかし、少女は無愛想な顔を貼り付けたまま、「別に」と素っ気ない返事をする。
そして、こう続けた。
「まぁ、良い暇潰しにはなるんじゃないかしら」
それだけ言うと、少女はその手に一冊の本を携えて、元いた椅子へと去って行った。
ガイアは本棚に視線を戻し、『冒険の轍 713年秋号』と書かれたその雑誌を手に取り、元の椅子に座ってそれを読み始めるのだった。
そして、ガイアが担当医に呼び出されるまでの間、その雑誌に夢中になってしまっていたのは、ここだけの話である。
轍:通り過ぎた車輪の跡。先人の行き方や先例。




