2─X
その後も二人は、黙々と牛丼を食べ続けた。
その間、ガイアが「ミラの細い身体のどこにあれだけの量が入っていくのだろう」と言わんばかりの見事な食べっぷりに目を丸くさせたのは、ここだけのお話である。
そして、食事分の支払いをキッチリ分けて精算を終えた二人は、牛丼屋を出た所で解散した。
それからと言うもの、ガイアは城下町の様々な場所を周り、夕方までの暇な時間を潰していった。
やがて太陽も西へと傾き、夕焼けが町を包み込む。
店じまいを始める店舗もあれば、開店作業を始める店舗もある。
辺りの家家の換気扇から様々な料理の香りが排出され、風に乗って空へと飛ばされて行く。
そして、ガイアも明かりが点いたシェアハウスの玄関を開け、中へと入る。
「只今帰りましたー」
大きめの声でそう言いながら靴を脱ぎ、靴箱へとそれを収納する。
すると、リビングの方から顔を覗かせる女性が一人──アスナである。
「お帰り。買い食いとかしてないでしょうね?」
「してないしてない。腹ペコだよ」
「そう。なら、先にシャワー浴びてきたら?」
「ん、そうする」
今日はガイアの歓迎会である為、皆張り切っているのだろう。
リビングと台所がある部屋からは、廊下に立っているガイアが扉越しでも分かる程、住まいを共にする仲間達の声が飛び交っていた。
ガイアはアスナから言われた通り三階へと上がり、汗を掻いた服を洗濯籠に入れ、シャワーを浴びて部屋着へと着替える。
そして、散策の疲れを少しばかりスッキリさせる為、十分ほど自室でのんびり過ごしてから一階へと向かう。
すると、丁度リビングでは大テーブルの上には料理が並べられ始めており、間もなく歓迎会が始まるであろうというタイミングになっていた。
やがて全ての準備が終わり、六人の前に取り皿と空のグラスが置かれる。
そして、キンキンに冷えたピッチャーから麦茶がグラスへと注がれ、全員がグラスを持って立ち上がる。
「それでは、ガイアさんの加入を祝して!」
「「「乾杯!」」」
フェズの音頭で乾杯が告げられ、六人はグラスを高く掲げて一口だけ喉に通す。
それからは、完全に自由な立食バイキングパーティーとなった。
一同は思い思いに料理を楽しみ、会話に花を咲かせたり、舌鼓を打ったり──そんな楽しい一時は、あっという間に過ぎていった。
そして、メンバーの腹具合が六、七分目辺りに差し掛かった辺りで、フェズがふと一人の人影が消えていることに気付く。
「……あれ? シュウは?」
「さあ? 花摘みじゃね?」
多分そうじゃないかという風に予想し、トーマスがなんとなしにそう言う。
だが、ガイアには一つ心当たりがあり、更に台所へと入るその背中を目撃していた。故に、その事を一同に伝える為、その言葉を告げる。
「シュウ先輩なら、〆の麺料理作りに台所入りましたよ?」
刹那。
ガイアのその言葉を聞いた瞬間、リビングの空気が一斉に凍り付く。
そして、フェズは「みしり」と食い込む音がする程の力でガイアの右肩を掴み、冷や汗を流しながら問い掛ける。
「ガイアさん……、今、何と……?」
「……シュウ先輩が料理すると、何かまずいんですか……?」
「まずいも何も……」
そう言って、フェズは後方の三人へと視線を移し、ガイアもその方向へと目を向ける。
「シュウ……料理……ウッ、頭が……!!」
トーマスは脳内で記憶認識の齟齬が発生しているのか、頭を抱えて蹲っている。
「あわわ、あわわわわわわわブクブクブクブク……」
ミラは顔面を真っ青にさせて震え声を出したかと思えば、そのまま流れるように口から泡を吹いてその場に崩れ落ちる。
「オイシイオイシイオイシイオイシイオイシイオイシイオイシイオイシイ……」
アスナはその瞳から光が失われ、抑揚のない声でうわごとのように同じ言葉を延々と繰り返している。
そして、それらの異様な光景を見て、シュウの料理の腕前がどれ程壊滅的なのかを察せないガイアではない。
だが、一筋の希望を見出したガイアは、その希望にすがるかのようにフェズに質問する。
「……いや、今シュウ先輩が作ろうとしてるの、即席麺ですよ? お湯を注いで三分待つだけですよ? それを不味く作るだなんて──」
思えば、この時ガイアは、自分の考えの甘さに気付いて居なかったのだろう。
"かのメシマズヒロインである緑ジャージの肉女と赤雪の若女将の二人も、即席麺は作れていたから大丈夫だ"。
そんな無責任な希望が、易々と打ち砕かれるとも知らずに。
そして──
「よー、お待たせー!」
「「「ッ!!」」」
ガイアの言葉を遮ってシュウの声が聞こえたその途端、一同に戦慄が走る。
鍋づかみに掴まれた、やや大きめの土鍋。
その内側から発せられる、あまりにも禍々しく、それでいて一切の悪意を感じさせない混沌とした存在感。
誰も何も言えぬまま、その鍋がテーブルの上に置かれ──シュウの手によって、その蓋が外される。
「……っ!!??」
その内側から姿を現した"ソレ"に、ガイアは言い知れぬ恐怖を覚える。
ただただ黒く、その闇は静かに蠢いている。
それは、料理の中でも最も入ってはいけない進化の袋小路に迷い込んだ料理──"物体X"。
最早原型を留めていないソレを、シュウは気にした風も無く小鉢によそって配って行く。
しかし、誰もその鉢に手を触れようとはせず──否、シュウだけは平然とその料理を咀嚼し、味わって飲み込んでいる。
「……ん? どうした、皆食べないのか?」
「い、いや、そう言うわけじゃ……。
そうだ、ガイア! 俺達は、お前が食うのを待ってるんだよ! お前が食わないと始まらないだろ!?」
「……えっ?」
そのトーマスの言葉に、唖然とするガイア。
そして、ガイアに注がれる四人の視線には、言い知れぬプレッシャーが含まれていた。
(うっ……)
"お前のせいだ"というそのプレッシャーに負けたガイアは、意を決して自分用に分けられた鉢をその手に取る。
物体Xが浸かっているスープの見た目はそのまま──しかし、奇妙なほどにその料理は無臭で、それが言い知れぬ恐怖を掻き立てる。
しかし、いくら知らなかったとは言え、こんなものを用意させてしまった自分にも責任の一端はある。
ガイアは意を決し、箸を使って物体Xを掴む──が、その口へと運ぼうとする手が、途中で止まる。
それは、「食べなければならない」という義務感と、「食べてはいけない」という本能のせめぎ合い。
箸を掴む腕がぷるぷると震え──遂に一口の物体Xを、その口で咀嚼し始める。
そして、これまた驚くほどに無味な事に驚き、何も起こらないことに頭上に「?」を浮かべるガイア。
しかし──
(……あれ? 意外と普つつつつつつつつつつつつつつつつつ○※¥□#▽〆*$)
その瞳から光が失われ、ガイアの動きが完全に停止する。
そして、微動だにせぬまま制御を失った身体は前のめりに傾き、まるで栽培兵士にやられた元山賊の如きポーズを取って倒れ込む。
そして、それと同時にガイアの意識も闇へと呑まれて行き──
(こ……、これが……、孔明の……罠…………か…………)
その思考を最後に、ガイアの意識は一度途切れた。
後に、伝記『魔法剣士ガイア』にて、本人はこの時の出来事をこう振り返っている。
"世の中には、即席麺すら作る事が出来ない猛者が居るのだということを痛感した"と──。
物体X:メシマズが作り出す料理の中でも、最強最悪レベルの化学兵器。
調理方法は一切謎に包まれており、基本的に製作者の純粋な善意によって作り出される。
そして、これを口にした者は漏れなく幻覚、精神汚染、失神等の症状に見舞われる。
孔明の罠:大体勝てない。




