2─III
トレーニングが佳境を迎えたその時、それは唐突に訪れた。
「シュウ……。私が何で怒っているのか、分かりますよね……?」
ガイアが見学している目の前では、つい2分程前までシュウとトーマスによる対人戦闘訓練が行われていた。
それが、今はどうだろう。冷や汗をだらだらと流しながら正座するシュウの目の前に立っているのは、怒気を放ち、仁王立ちで腕組みしているシュウの同期──フェズであった。
その顔は笑顔ではある。しかし、額には軽く青筋が浮かび、「ゴゴゴゴゴ……」という大地がうねるような擬音が今にも聞こえてきそうな圧を放っていた。
「え……、えと……、アッ、アノ、ナンノコトデショウカ、ふぇずサマ?」
本当に覚えがないのか、シュウはその身体を恐怖でカタカタと震わせつつ、片言気味の言葉でそう尋ねる。
そして──、その言葉に、フェズの眉毛がピクッと反応する。
「本当に……、"身に覚えが無い"と……、そう言うんですね……?」
その言葉に、シュウはこれでもかと言うほど首を縦にぶんぶんと振りまくる。
すると、フェズはその額に更なる青筋を浮かべ──
「昨夜の冷蔵庫の魔力補充担当……、シュウでしたよね……?」
にっこりと、その顔でたっぷり怒笑をしてみせるフェズ。
その言葉の意味を理解できず、一瞬ポカンとなる一同。
そして──
「……あ」
シュウはその言葉でようやく思い出したらしく、先程よりも激しく冷や汗を垂れ流し始めた。
「いつも……、いつも言ってますよね……? シュウはそういうこと忘れっぽいから、食後のシャワーを浴びる前に実行しなさいって……。
冷蔵庫の中身、全部腐らせると大変なことになるのも、身を以て教えさせましたよね……?」
どうやら過去にも何度か同じ過ちを繰り返したことがあるらしく、フェズが放つ怒気は更に激しさを増していた。
シュウはフェズの顔を見ることが出来ないのか、ずっと顔を下に俯かせてカタカタと肩を震わせている。
そして、フェズは冷酷なトーンで、静かにこう言った。
「……久しぶりに、たっぷりとお仕置きが必要みたいですね?」
シュウはその言葉に「ヒッ!?」と情けない声を上げ、フェズに襟首を掴まれてずるずると部屋の隅──トレーニングルームの倉庫へと引きずられて行く。
その涙目で、シュウは助けを求める視線をトーマスとガイアに向けるが──
「シュウ、安心して死んでこい。骨は拾ってやる」
「シュウ先輩。短い付き合いでしたが、ありがとうございました」
既に諦める方向に悟りを開いた二人の瞳は、それはそれは優しいものだったと言う──。
◇ ◇ ◇
「それでは全員揃ったので、改めてご紹介しますね」
シェアハウスの生き生きした五人と死にかけの一人が全員朝食の席に着席した事を確認すると、フェズはそう言って場を仕切り始めた。
そして紹介というのは、当然ガイアのことである。
「先日からここで生活を共にすることになりました、剣士のガイアさんです。
そしてガイアさん、こちらがトーマスさん、そしてミラさんです」
フェズは簡単にガイアの紹介を終えると、今度はそのガイアに二人を紹介する。
「ま、改めてよろしくな」
トーマスはそう言って、ひらひらと手を振る。
そして、今回で初対面となる、ガイアの二つ上のビーストの女性──ミラの方へと向き直り、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
しかし、その肝心のミラは──
「こ……、こち、らこそ……っ! よろしくお願いします……っ!
ええええとっ、ああああああの私っ! 援術士でミラをやっている冒険者ギルドといいいいい言いますッッ!!」
完全に顔を真っ赤にさせ、早口でちぐはぐな内容を口走っていた。
そして、たった今自分がワードを入れ違えて喋ってしまった事に気付いたのか、更に顔面をトマトの如く真っ赤にさせ──
「ご……っ、ごめんなさい!! まだ私には無理ですッッ!!」
一目散に、二階へと逃げ出してしまった。
その様子から全てを悟ったガイアは、確認のために恐る恐るその事を尋ねる。
「あの、もしかしてミラ先輩って……」
その言葉に、生ける屍と化したシュウ以外の三人全員が頷く。
「悪いな、ガイア。ミラは見ての通り、人見知りが激しくてな……。
わざとじゃないんだ、分かってやってくれ」
トーマスが苦笑いしながらそう言うと、アスナがそれに続けてこう言った。
「私の時もそうだったから、安心して大丈夫よ。その内慣れてくれば、段々接してくれるようになるから。
あ、フェズさん。ミラさんの分、後で私が持って行きますね」
そうフォローを入れると、朝食が並べられたテーブルを見て、最後に一言。
「……さ、早く食べましょう?」
こうして、"八時だぞ! 全員集合!"とまでは行かなかったが、賑やかな朝食の時間が幕を開けた。
──トーマスさん、コーヒーと紅茶、どちらが良いですか?
──コーヒー。ミルクちょい、砂糖無しで頼む。
──ガイア、そのマヨネーズこっちに頂戴。
──あいよー。ほい、どうぞ。……あ、シュウ先輩、そこに立ったついでにドレッシングお願いします。
──アー……。
そんな感じであれよあれよという間に食事が終わり、本日の朝食の食器洗浄担当であるガイアは、ヘチマのスポンジを使って食器を片付けていた。
そんな中、ひょっこりと台所に顔を覗かせる女性が一人──フェズである。
「ガイアさん、洗いながらで良いので聞いてもらえますか?」
「はい。何ですか?」
「ええと、今日は全員依頼に出る予定とかも無いとのことなので、今夜はガイアさんの歓迎会を開こうと言うことになったんです。
なので、今夜はいつもよりもお腹をすかせておいてくれませんか?」
「ああ、成る程。分かりました」
「……本当は、ミラさんがガイアさんに慣れてから開きたかったんですけどね」
「え、そうだったんですか?」
「はい……。けど、ミラさんも"なるべく今夜は食事の場に出るようにする"って言ってました。
……まあ、元はと言えば、どこかの誰かさんのせいで期限が危ない食材が出てしまったせいなんですけどね」
「あ、ああ……。あはは……」
その言葉に、ガイアは先程の生ける屍と化した状態のシュウを思い浮かべる。
──フェズさんは怒らせないようにしよう。
そう自分に言い聞かせ、新たな覚悟を決めるガイアなのであった。




