2─II(☆)
ガイア達冒険者が暮らすシェアハウスには、一階部分に必ずトレーニングルームが備え付けられている。
共同生活を共にする冒険者達が身体を鍛えるために男女が日替わりで利用することが出来、今日は男性陣に使用権がある日。
そして、早朝にその部屋まで足を運んだ所で、ガイアは目の前の光景によって唖然となっていた。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……」
その目の前では、金髪イケメンの虎のビースト──シュウが倒立状態で腕立て伏せをしながら、足上げ腹筋を行っていた。
……もう一度言おう。
目の前で金髪のイケメンビーストが、倒立状態で腕立て伏せを行いながら、足上げ腹筋をしているのである。
その光景は、最早シュール極まりない事請け合いであろう。
そもそも、ガイアがどうしてこんな場面に遭遇したのか。
それは、ほんの数分前に遡る──。
◇ ◇ ◇
ガイアは朝の手入れを終え、トーマスより一足先に洗面所を後にしようとする。
するとその時、何かを思い付いたトーマスが、不意に声を掛けた。
「なあ、ちょっといいか? 俺、今から朝の自主練するつもりなんだけどさ、せっかくだし一緒にやらないか?」
その提案に、ガイアは「はい」と言いながら頷く。
そして、用意する物と服装を指示されたガイアは、足早に自室へと戻り、インナーの上下セットをその身に着込む。
そんなこの上なく動きやすい服装に着替えたガイアは、タオルと水筒を持って廊下へと出ると、先程まで着ていた寝間着を洗面所の洗濯籠へと入れ、同様に洗濯物を詰め込み終えたトーマスと合流する。
「タオルと水筒、確かに持ったな?」
そうして確認を終えると、二人は一階へと向かうために階段を下り始める。
しかし、その途中の段で、ガイアの右足に刺すような痛みが一瞬だけ走った。
「っ……!」
「ん? どうかしたか?」
真後ろから聞こえた小さな呻き声を気にしてか、トーマスが振り返ってそう尋ねる。
右足の膝小僧の右脇の部分に手を触れていたガイアは、隠す必要も無いだろうと判断し、少し苦い顔をしてこう言った。
「実は先日、依頼の途中で野盗に遭遇してしまいまして……」
「……は?」
ガイアのその言葉に、トーマスは呆気にとられた様子でそう答える。
そして、その混乱を予測していたガイアは、言葉を続けて補足を加える。
「その野盗、俺を激痛毒で行動不能にしたら、何も奪わずに立ち去ったんです。
すぐに動けるようになるって言って……」
「つまり、その毒を受けた所が痛んだのか?」
「はい……。丁度ここに毒投げナイフを受けてしまいまして──」
「傷を見せろ」
「へ?」
「いいから見せろ!」
強めの口調で迫って来たトーマスの要求に従わない理由が無かったガイアは、大人しく階段に座ってズボンの右足を捲る。
そして、既に瘡蓋となったその傷を、トーマスは舐めるように凝視し始めた。
「…………」
「えーと……、どう、ですか?」
ガイアは怪我が気になっていたという事もあり、ついついそんなことを尋ねてしまう。
すると、トーマスはこう言った。
「他に、何か気になる症状は無いか?」
「いえ……、さっき一瞬だけチクッと来ただけで、それ以外は特には」
「……腫れや化膿も無いし、問題無さそうだな。
俺の治癒魔法も必要無いだろう」
その言葉を聞いて、ガイアはトーマスの行動の理由に納得していた。
上級治癒士であるトーマスは、毒と聞いて黙っては居られなかったのだろう。
そして、トーマスは続けてこう言った。
「でも、大事を取って今日の朝練は見学するだけにしとけ。
九時になったら店が開くから、念のため薬屋に行って専門の人に診て貰った方が良い」
「はい……、分かりました」
トーマスの気遣いに感謝しつつ、ガイアはその指示を了承する。
そうして軽い診断を終えた二人は、家の一階へと下りる。
時刻は6時40分を指しており、台所、リビング、食卓には誰の人影もなく、しんと静まりかえっていた。
二人の歩く音だけがギシギシと鳴り、やがてリビングの奥──"トレーニングルーム"と書かれたプレートが張られたその部屋の前で立ち止まる。
そして、トーマスがドアノブを回して扉を開けたその場所には──
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……」
倒立状態で腕立て伏せをしながら、下半身をビチビチと生きのいい魚のように荒ぶらせる──もとい、足上げ腹筋を行っている、珍しく寝癖が付いていないシュウの姿があった。
そして、お分かり頂けただろうか。人間誰でも、いきなりこんなシュールな場面に遭遇すれば、呆気にとられて何も言えなくなってしまうのである。
そんなこんなで、ガイアがその名状しがたいトレーニングのようなものを呆然と見つめていた時だった。
「ふっ、ふっ、……あ、先輩おはよーっす。お、ガイアも来たのか?」
二人に気付いたシュウが、倒立体勢のまま一時休憩を取りながら話し掛ける。
すると、それに対してトーマスは何事も無かったかのように答える。
「ああ、洗面所でバッタリ出会ったついでにな。
でも、どうやら依頼の遂行中に怪我をしたらしいから、今日の所は見学だけって事にしたんだよ」
「あー、成る程。そういうことですか」
本当に、何事も無かったかのように普通に会話するトーマスとシュウ。
そのまま流れに吞み込まれるか否か──そこまで来たところで、ガイアはハッと我に帰る。
「……え、ちょ、シュウ先輩何してんですか、何してんですか!?」
先程の奇妙奇天烈極まりないシュウの行動について何も言わないトーマスを見て、「もしやこれがこの世界の一般的なトレーニング方法なのか」という一抹の不安が頭を過ぎったガイアは、どうしても尋ねずにはいられなかった。
「ん? いや何って、自主トレだけど……」
「いや、そういうことじゃなくてそのトレーニングの内容です」
「ああ、これか? 俺が考えた"腹筋立て伏せ"だ」
「ものすんごく気持ち悪いです今すぐ止めて下さい多分きっと恐らくメイビー夢に出てきてうなされそうなのでお願いですからそのトレーニングを今すぐ封印して下さい他にもっと効率の良いトレーニング方法あるはずですから!!」
「俺が考案した」という一言に安堵したからか、ガイアの口から素直な感想が矢継ぎ早に飛び出し、シュウを一気にまくし立てる。
そして、結局シュウはガイアの必死の形相と説得に押され、渋々「腹筋立て伏せ」の封印を許諾し、倒立体勢を解く。
すると、説得を終えたガイアに対し、トーマスが小声で耳打ちする。
「お前の気持ちはよく分かる。
俺も最初見たときは引いたからな……」
「じゃあ、何で何も言わなかったんですか……?」
ガイアが最もな反論をすると、トーマスは溜め息を吐きつつ、うんざりしたような様子でこう言った。
「あいつの妙ちきりんなオリトレ考案癖は、元からなんだよ。マジで終わりが無い。
だから、一々ツッコんでたら身が持たねぇぞ」
「アッハイ」
つまり、先程のトーマスルーは、制止することを諦めたが故の行動だったのだ。
その事に納得したガイアに、どっと精神的な疲れが押し寄せる。
「もうなんか、既に疲れました……」
「……奇遇だな、俺もその時は同じ事を思った」
これからの事を考えると少々気が重いガイアは、密かに意気投合したトーマスと共に嘆息するのだった。
腹筋立て伏せ:良い子の皆は真似しないでね。
─用語データ─
◎インナー
下着と装備の間に着る戦闘服。
空調性能に優れた夏用と、保温機能に優れた冬用が存在する。
動きやすさ重点。実際便利。




