5.5─XI
この度、そらねこさんという絵師様からガイアのイラストを頂き、それをキャラクターの立ち絵として採用させて頂きました。
第5章最終話後書きの該当キャラの部分に掲載させて頂きましたので、是非一度ご覧下さい(F`・ω・)ゞ
奇妙な酩酊感が、アストリッドを襲っていた。
一体自分は、どうなってしまったのだろうか──そう思って目を開けたにも関わらず、アストリッドの視界に入ってくる光景は、暗黒の渦が蠢いているかのような、不可思議な空間のみであった。
先程まで庭にいたはずだが、足が地面に触れている感覚が無く、身体は無重力空間に放り出されたように当てもなく漂っているような状態だった。
「う……、ぐ……っ!?」
冷静に現状分析をしようとしたところで、アストリッドは己の身体の自由がろくに利いていないことを悟る。
そして、自分がどうやら磔にされたような状態で見えない力に捕縛されているというところまで理解する。
──すると、その時。
『我の封印を綻ばせたのは、貴様か?』
「!?」
身の毛がよだつような低い声が唐突に聞こえ、アストリッドは驚愕する。
しかし、何も驚いたのは声が急に聞こえたからだけではない。目に見える範囲に誰かがいる気配が無いのにも関わらず、声が至近距離から聞こえたためである。
「誰ッ!?」
即座にアストリッドは対応した。身体は磔にされてはいるが、こんな状態でも声が出せて集中ができる以上、魔法は使える。
恐らく、声の主は"拡声"を使っているのだろうとあたりをつけ、どうやって犯人を燻り出すかと思考を巡らせ──次の瞬間、アストリッドは凍り付いた。
「!!?」
突然、今にも接触しそうな程の至近距離でアストリッドの顔を覗き込んでいる存在と、いきなり視線が合った──否、視線が合ったように感じた、と言った方が正しいかもしれない。
そこに居たのは、人の形を模した、永遠に飲み込まれてしまいそうな"闇"そのものであった。
実体を持たないセイレーン等の類の魔物かとも思ったが、違う、と即座にアストリッドの知識が否定する。
何故なら──
『何だ貴様……、我の封印だと知らぬまま、解除を試みたのか?』
「ヒッ……!?」
セイレーンはおろか、魔物と言う存在は人語を発したりはしない。
そしてもう一つの証拠が、その存在を視界に入れただけで無性に込み上げてくる、猛烈な嘔吐感と恐怖心である。普通、魔物を見ただけではそうはならない。
それがどんな姿をしているか要領を得ないにも関わらず、拒絶したいと心から願ってしまうのは、目の前の存在が何か魔物とは別の存在であるからに他ならないのだ。
すると、アストリッドを観察していたその存在は、何かを確信したかのように「ニタァ」と唇の端を歪めた──ように見え、再びあのおぞましい声が発せられる。
『我の封印を解いたのが奴が守った人間と言う点には虫唾が走るが……、そうか、そういうことか。
全く……、小賢しい真似をしてくれたものよ。自分の努力が結局水泡に帰したと知れば、さぞ悔しがる顔が見られたであろうなぁ……』
何がそこまで可笑しいのか、クツクツと不愉快な笑い声を立てながら、その存在はそう独り言ちる。
一方でアストリッドは、「封印」というワードや「奴が守った人間」と言ったような微かな情報から、六霊神話や精霊伝説など、その知識を総動員して心当たりがあるものが無いか、必死に思考を巡らせる。
だが──
(こいつ……、何を言っているの……?)
少なくとも、そう言った話について、アストリッドの知識の中に該当する情報は存在していなかった。
ならばせめてでもと、アストリッドは目を瞑り、"魔力視"を発動してその目を開く。
しかし──
「ひぃっ!?」
その視界に映り込んだのは、光すら永遠に出られないのではないかと錯覚してしまう程の、"漆黒"そのものであった。
すると、闇は腕らしき部分でアストリッドの顎を掴み、その恐怖に染まった顔をクイと引き上げてこう言った。
『……ほう、力を"視る"技か』
「ッ!?」
自分の行ったことが看破され、直接触られたせいで湧きあがり続けていた恐怖心が我慢の臨界点を超えたアストリッドは、本能的に無詠唱で発動可能な炎属性攻撃魔法"炎球"を発動しようと──魔力を練ったところで、全身から力が抜ける感覚に襲われる。
その感覚は、過去に一、二回だけ味わったことがある──"魔力切れ"であった。
何故このタイミングで起こったのかと一瞬混乱するアストリッドであったが、先程漆黒の霧に飲み込まれる直前まで、一切身動きが取れない状態で魔力を殆ど吸い取られてしまっていたことを思い出す。
故に──
『ほう、我の目の前で、自ら魔力を空にするか。
……いや、奴らが伝えておらぬとなれば、単に無知であっただけか。
顕現するには贄が足らず、器となる物を欲していたところであったが、わざわざ自ら手間を省きに来てくれるとはな』
今のアストリッドには、黒の魔力そのものと言っても過言ではないその存在が体内に入らないようにするための防壁など、残っているはずもなかった。
『貴様の身体、この我が器として存分に使ってやろう……!』
闇はそう言うと、自身の身体をアストリッドの腹部へと頭らしき部分から突っ込み、その身体の中へと徐々に徐々に入り込んで行く。
「く、ああ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
ぞろりと気色の悪い何かが入り込んできた感覚に、アストリッドは目をひん剥いて拒絶の悲鳴を上げた。
闇が入り込んできたのは、肉体ではない。恐らくは、魂──体の奥の芯の部分が、塗り替えられているのだろう。
そのあまりにも気色悪い感覚に、動く力を失って脱力しきっているはずのアストリッドの身体が痙攣し、時折ビクンビクンと何度も大きく跳ね暴れる。
──それからややあって、闇が完全にアストリッドの中へと入り込むのと同時に、その動きはピタリと鳴りを潜めた。
すると、それと同時に身体を磔にしていた謎の力が消え、アストリッドはだらんと宙ぶらりんになった右腕を伸ばす。
そして、白魚のような美しい細指をひとつひとつ動かすと、アストリッドはゆっくりと目を開けながら小さく呟いた。
「……これが、人間の身体か。存外悪くないな」
その呟きに、アストリッドの意思はない──否、厳密にはアストリッドの意思は体の支配を奪われ、その片隅に追いやられていた。アストリッドの意識は懸命に抗うが、身体は何一つ言う事を聞いてくれない。
(な、何を──)
封じ込められたアストリッドの焦燥の声が聞こえたのだろう。アストリッド──厳密には、アストリッドの肉体を奪った闇は、顔芸のように壮絶な、到底美女の顔には似つかわしくない醜悪な笑みを浮かべ、こう言った。
「世界に、秩序をもたらすのよ」
アストリッドの姿をした別の存在は、何もなかった空間に次元の扉を開け、ゆっくりとそこに向かって歩き出した。
「さあ……、阿鼻叫喚の唄を奏でよう」
酩酊:ひどく酒に酔う事(意識はある状態)。
存外:物事の程度などが予想と異なること。




