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吸血鬼な幼女様と下僕な俺  作者: K・t
第3.5部 屋敷に潜む謎編
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第三話 綻び

子どもを捕まえようとするイルヤ達。しかし、息を潜めてチャンスを窺っていると、予想外の事態が起きて……。

「まさか、こんなところに……」


 それを見た時、吸血鬼が住んでいただけのことはあるとラクセスは思った。イルヤが今回の計画のラストを飾る遊びについて楽しそうに話す間、情けなくも口を閉じていられなかった。

 何度も出入りした、客間の控えとして作られた湯沸し室。その壁のある部分にサクヤがそっと手を触れると、壁が動いて奥に新しい空間が現れる。


「内緒で作った書斎よ。本もいっぱいあるでしょ?」


 隙間に作られたためか、室内はこぢんまりとしている。三人で入れば狭苦しさを感じるくらいだ。

目の前には書斎らしく執務机と椅子があり、両側を覆うように本棚が並ぶ。秘密を明かす時の高揚感を味わっているのか、サクヤは少し得意げだ。ラクセスの怪訝な顔を見て、更に面白そうに笑った。


「ふふ、もちろん私のじゃないけれどね」

「いえ、そういうつもりでは」


 かっとなって言い訳を探そうとしたが、見付からず俯く。

 サクヤは教養深い女性ではなかった。良家のお嬢様として一通りの教育は受けていたものの、気まぐれな性格が気品をいつも壊してしまう。

 大人になり、彼女を止める者がいなくなればもはや慎みとは無縁だった。そうして高貴さの代わりに自由奔放さを、潔白の代わりに謎めいた雰囲気を身に纏うことになった。


「あの人は本が好きだったから……」


 懐かしく眺める仕草に、ラクセスは以前から心の隅にあった違和感の正体を理解した。「あの人」が現在の夫である当主ではないことは明らかだ。


「前の旦那様とお住まいだったのですね」

「……えぇ」


 ラクセスがイルヤに仕え始めた頃、そんな話をちらりと聞いたことはあった。……サクヤが再婚であるという過去を。もっとも、娘の話は初耳だったが。


「今のひとと一緒になった時に売られてしまったのだけれど、買い戻しても文句は言われなかったわ。だってもう、心配ないものね」


 ふふふと笑う。それが自嘲なのか、何かを楽しんでなのかは分からない。


「じゃあ、ここに潜んでいようか」


 やはり実行するつもりらしい。イルヤの計画はこうだ。まず、子ども達を屋敷の中に招き入れる。人数は把握していたから、全員が入ったら扉を閉めて、後は……。


「随分と簡単ねぇ。でも、久しぶりにわくわくするわ」


 これから子どもを襲おうという者の言葉とは思えない。人間であれば立派な破綻者だ。ところが、さて待っていようという段になって問題が発生した。

 仲間が屋敷を訪れたのだ。イルヤは合図がある時は中に入ってこないように指示をしていたし、仲間もこれまではその約束を忠実に守ってきた。こんなことは初めてだ。


「緊急事態?」


 仲間の男は肩で息をしながら三人の足元へ倒れこんできた。イルヤはさして咎める風でもなく、普段の会話を楽しむようなテンポで話しかける。

 目深に被ったフードの下の顔には乾いた血が染みを作っており、服にも所々赤黒い点が広がっている。

比較的力のある吸血鬼のはずだが、今は尊厳など要らぬといった様子で喘ぎながら、一言「奴が来た」とだけ言った。のどもやられているのか、その声は枯れてしまっている。


「そ、そんな……」


 声を発したのはラクセスだ。これまでの経験でどんな展開になっているのかが容易に想像出来た。イルヤの仲間が大慌てで走り込んで来る相手と言ったら、「彼」に違いない。


「イルヤ様。すぐに中止し、撤退を」

「ここまでお膳立てしたのに?」


 しかし、イルヤは別段動じてもいない。ラクセスはだんっと手近にあった棚を拳で叩いた。それは静かな室内を突き抜けそうな音量で響いた。鼓膜の奥で幾重にも木霊する。


「お分かりでしょう。捕まれば今度こそどんな罰を受けるか……。お願いですから退いて下さい」


 かの人物が動いているなら、上からの命令である可能性も十二分にある。彼に関する噂がどこまで本当かは怪しむべきだとしても、せめて嵐が去るまで身を潜めているのが懸命なことに違いはない。

 いつもいつもイルヤへの処分は甘い。傍で見ていて顕著なほどだ。けれど、今回も同じとは決して限らないのだから。


「……嫌だね」


 ぐっと、息と一緒に言葉を呑み込む。一線の手前まで来ているとラクセスは全身で感じた。背中が汗でじっとりと濡れ、服に張り付く。こうなれば何を言っても無駄だ。彼女は唇を噛み締め、呟いた。


「仰せのままに」



 仲間の男には帰って怪我の手当てをするように伝え、三人は当初の予定通りに隠し部屋で待機することにした。

 本から発せられる独特のむっとする香りの中、イルヤが小声で「じゃあ、久しぶりに会えるってワケだねェ」と言った。サクヤも素直に喜んでいる。自分達の状況など全く関係がないらしい。


 やがて子ども達は想定通りにやってきた。隠し部屋からはせいぜい音と振動しか感じられないが、軽い足音がいくつも聞こえてきたことですぐに分かる。

 計画を実行に移す時を計り、イルヤが合図をしようとした瞬間だった。その上げた指先がぴくりと震える。


「全員揃ってないみたいだなァ」

「どういうことですか?」


 口の端が釣り上がる。尖った耳で何かを捉えながら、「足りない」と呟いた。ラクセスも感覚を研ぎ澄ますと、人間の耳でも一際大きな気配がないことに気が付いた。

 子ども達が囁き合う、息の零れる音が届く。壁に阻まれて輪郭を失うそれを、イルヤはしばらく聞いているようだった。


「女の子が遅れてくるから、キルイェが入り口で待ってるみたいだね」


 人間の聴覚の比ではない。彼が効いた限りによると、メンバーの一人がまだ到着していないらしい。


「宿屋の女の子、か。微妙だなァ」


 えっ、と呟きそうになり、ラクセスは慌てて唇を噤んだ。あそこまで強硬な姿勢を貫いていた主が見せる迷いに戸惑った。


「いないなら、すぐにでも始めましょうか?」


 一体二人は何の話をしているのか。記憶を探れば該当の少女が思い当たるけれども、ただの子どものはずだ。イルヤ達にとっては格好の標的の一人だろうに。

 しかし、問いかけても無意味だと判断した。とにかくその少女が計画の重要な位置を占めていることさえ把握出来ただけ、マシというものだろう。


「もう少し待って、全員揃ったら計画実行……でよろしいですね?」


 確認をし、三人は更に待つことになった。隔絶された世界で時の経過を感じさせてくれるのは、大きくなったり小さくなったりする子ども達のはしゃぐ声や音だ。

 ラクセスは妙な安堵と同時に、迫る様々な緊張を持て余してもいた。あと少しで全てに決着が付く。それだけを考えようと必死だった。


「ん?」


 しかし、計画とは綻び始めると簡単に加速するものらしい。ようやくキルイェが戻ってきたと思われる足音が響いたと思ったら、今度はやけに騒がしくなった。


『なんでヨソモノなんか連れて来てんだよ』

『いいじゃない、私の友達なんだから』


 はっきりと聴こえるほどの音量で激しく言い争っている。内容から察するに、宿屋の少女が他の誰かを連れてきたことが、キルイェは気に入らなかったらしい。


『勝手なことするなよ!』

「“勝手なこと”ねェ」


 イルヤは口の端を吊り上げた。矛盾した台詞だと言いたいのだろう。仲間を裏切り勝手をしているのは彼自身なのだから。それとも、だからこそ語気が荒々しくなるのだろうか?


「これも一つの自白……懺悔なのかしらね」


 赦す赦さないの範疇から遠いところでサクヤが言う。実際に彼に裏切りの罪を負わせたのはこちらにも関わらず、冷笑を浮かべたままなりゆきを見守っていた。

 のどを潰しそうな勢いの言い合いはしばらく続いた。それでも次第に双方疲れを見せ始め、声のボリュームが落ちていくのは当然の流れだった。


『そこまで言うんだったら俺が確かめてやる。仲間にふさわしい奴かをな』


 最後に聞こえてきたのはキルイェのその言葉で、あとは子ども達のばらばらという振動が壁伝いに感じられるだけだ。おそらく新メンバーの出迎えをするのだろう。


「一人増えるだけのようですね」


 口論は気になるが、子どもが一人増えただけなら支障はない。ラクセスは胸を撫で下ろしていた。子ども達が口論の末に出て行ってしまうという事態が防げたのだ。ほっともする。

 ただ一つ気になるのは、イルヤの表情だった。またしてもその瞳の奥に何かが閃いていた。

想定外のことは続くもの。

ラクセスの心労も溜まる一方で不憫になってきました……。

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