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24 どんなときだって一緒にいます

 サハロフ家の馬車は、夜会会場の正面に滑るように横付けされた。空はすでに濃い夜の帳に包まれていた。肌を刺すような冷たい冬の空気の中、王宮の光がきらびやかに白く輝いていた。


 深紅の絨毯が敷かれた石段を上ると、重厚な扉が開け放たれる。

 色とりどりの華が咲き乱れるように絢爛たる夜会の会場は、ざわめきと音楽に包まれていた。天井からは巨大なシャンデリアがいくつも吊るされ、無数のクリスタルが光を虹色に分解している。貴族たちがグラスを片手に談笑し、美しい装飾品が光を反射してまぶしい。


 公爵夫妻に続き、セラフィーナはレナートとともにまっすぐに進む。

 壇上の玉座に座る国王夫妻を中央にして、王太子夫妻と王子夫妻が左右に並んでいる。

 国王夫妻、王太子夫妻への挨拶を終えて、アンドリューズ王子夫妻の前にくれば、アンドリューズ王子は穏やかな笑みを向けてきた。アンドリューズ王子の隣のマリーアンヌ王子妃は、絵画の中に描かれる月の女神を連想させるような、ほっそりと美しい人だった。


 精悍な顔立ちのアンドリューズ王子は、レナートを見て目を細めていた。その瞳には、かつての学友への、複雑な感情が入り混じっているようだった。


「レナート、元気にしていたか?」


 アンドリューズ王子の問いかけに、レナートはわずかに頭を下げた。


「はい。アンドリューズ王子殿下におかれましても、お元気そうで何よりです。ご活躍の噂は、常に耳にいたしております」


 レナートの声は、どこまでも落ち着いていた。磨き抜かれた社交マナーは、彼が過去に抱えていた感情を一切感じさせない。


「長く会わずにいたが、お前のことは、ずっと気にかかっていた」


 アンドリューズ王子の言葉には、後悔にも似た響きが混じっていた。アンドリューズ王子はマリーアンヌ王子妃を一瞥した。彼女は何も言わずに、アンドリューズ王子に美しい笑みを返す。


 レナートは小さくほほえんだ。それは凪いだ海のように穏やかなものだった。


「以前の私なら、お言葉を素直に受けとることができなかったでしょう。ですが今はただ、あの頃をなつかしく思うばかりです」


 レナートの言葉はなつかしさをにじませつつも、もはやその過去に心を揺さぶられることはないのだということを静かに物語っていた。


「それは、彼女のおかげでもあるのか?」


 そう言ってアンドリューズ王子がセラフィーナに視線を移した。その質問は、マリーアンヌ王子妃の視線をもセラフィーナに集中させた。

 隣に立つレナートもセラフィーナに顔を向ける。そのまなざしは優しく、そして深い信頼が込められていた。


「ええ、そうです」


 レナートは迷うことなく、はっきりと答えた。その言葉は、セラフィーナの心を揺るぎなく肯定した。

 レナートはセラフィーナにふわりとほほえみかけ、前に向き直った。


「お二人への挨拶を望まれる方々が控えております。私どもはこれで。お二人のご滞在が、より良きものでありますよう」


 それを最後の言葉に、レナートは丁寧に礼をとった。彼の動作は完璧で、一切の隙がない。セラフィーナもそれに続く。

 沈黙を守っていたマリーアンヌ王子妃が、レナートが背を向けようとしたその瞬間に、ようやく口を開いた。


「サハロフ公爵家、ラトゥリ侯爵家のますますの発展を祈ります」


 その言葉に改めて一礼し、セラフィーナはレナートとともに、楽しそうに談笑する人々の輪の中へと進んでいった。レナートは後ろを振り返らなかった。彼は前に進むべき道だけを見つめていた。



 ◇ ◇ ◇



「少し、離れよう」


 そうささやかれて、レナートに従って会場である大ホールを離れる。重厚な扉から一歩外に出ると、音楽と人々のにぎやかな声が遠ざかる。


 休憩室として開放されている部屋の一つに入ると、二人以外には給仕係が数人いるだけだった。給仕係たちは二人の入室に一礼した。レナートが片手で合図を送ると、彼らは静かに退出した。 


 閉ざされた扉の向こうで、会場の音がさらに遠のく。二人きりになった部屋は、急に広くなったように感じられ、親密な静寂が満ちた。レナートはセラフィーナを伴って、室内の長椅子へと進んだ。

 促されて座ると、セラフィーナは張り詰めていた緊張から完全に解放されたように、思わず深くほっと息をついた。全身の力が、ふっと抜けていくのを感じる。


「大丈夫か?」


 セラフィーナの吐息を見逃さなかったのか、隣に腰を下ろしたレナートが、心配そうにのぞき込んでくる。彼の声は、先ほどまでの儀礼的な響きとは異なり、優しさに満ちていた。


「嫌な思いをさせたか?」


 その問いかけに、セラフィーナは驚き、慌てて首を横に振った。


「いいえ、嫌な思いなんてしていません。それよりもレナート様の方こそ……大丈夫なのですか?」


 マリーアンヌ王子妃との再会に際し、レナートは完璧な態度を崩さなかった。彼の顔色には一点の曇りもないように見えたが、それでもセラフィーナは不安になっていた。

 レナートはゆったりとうなずき、落ち着いた笑みを見せた。


「私なら、大丈夫だ。きみのおかげで」


 そう言って、レナートは彼女の手を取り、自身の手のひらで優しく覆った。あたたかさが、セラフィーナの不安を溶かしていく。


「それなら……良かったです」


 セラフィーナの素直な言葉に、レナートは小さく笑った。そして、彼は少しだけ遠い目をして、柔らかな口調で続けた。


「人は変わるということを実感した。きみと出会う前の私には、想像もつかないことだった。あの頃の私に、未来から大丈夫だと言っても、きっと信じないだろう」


 それを聞いて、セラフィーナはレナートが、本当に乗り越えたことを知った。その時セラフィーナは、あの港での夜明けを思い出していた。


『過去と向き合い、それを乗り越えることは、簡単にできることじゃない。私はきみを尊敬する――そして、これからどんなことがあっても、きみは一人じゃない』


 セラフィーナは重なった二人の手に、もう片方の手を添え、そっと力を込める。


「すべてのものは変わっていきます。わたくしも、レナート様も。それでもこれから先、わたくしはレナート様と、どんなときだって一緒にいます」


 レナートは小さく目を見開き、それからぐっと唇を噛んで重なった手に視線を落とした。ぬくもりを確かめるように、優しく力を込める。短い沈黙が落ち、互いの呼吸だけが聞こえる。言葉よりも深く、心と心が結びつく感覚。


 それからレナートは視線を上げ、まっすぐにセラフィーナを見つめる。その唇が、ゆっくりと動いた。


「……セラフィーナ。きみが好きだ。とても」


 じっと見つめられ、セラフィーナは息をのんだ。きっと頬を染めている自分に、レナートはそっと距離を詰める。


「――きみは? 私のことを、どう思っている?」


 レナートはセラフィーナの手をとって、その指先に口づけをした。請うようなまなざし。あまりに魅力的で、切々と愛が伝わってきて、セラフィーナは泣きたくなるくらい胸がいっぱいになっていた。

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