35話 卒業式は新たな門出
前回のあらすじ
リハビリ施設に現れた柚留木美香は【イキーカラン以外の意志】に騙されるなと恒久に忠告をする。戦う事を強要され、嫌がりながらも受け入れてきた、それが良い行いだと信じて。だが、それを否定する話に、ましてやビシェシュである柚留木美香に言われても恒久には訳が分からない。苦悶の表情で必至に訴え、あまりにも常軌を逸している柚留木美香の姿に恒久は恐怖すら覚えていた。
そこへ【自律攻撃行動機能】を実装した【蛙】が現れてグリアのベルトを奪う。
早咲きの桜に迎えられ、学び舎へ向かう。
勉強に、部活に、遊びに、充実した日々を過ごしてきた。ここから各々が、将来へ向けて新たな一歩を踏み出す。
恒久のスマホには越猪崇から送られてきた《卒業おめでとう》のメッセージ。
なんとなく過ごして来た、流されて過ごした日々は、終わる。
漠然とではあっても、争いや理不尽の無い世界の為に、自分に出来る事を精一杯。越猪崇との出会いで、恒久の心はそう決まった。【विशेष】と戦う事にも覚悟が出来た、筈だった……
「なっつん!」
共に同じ学び舎を巣立つ時任咲也の腰にはベルトが巻かれている。
【विशेष】に対抗出来るシュワンに変身する為のアイテムが上着に隠れて巻かれている。
「なっつんのベルト取り返してやるからさ!待っててよ。」
「うん……でも、無茶はしないで。」
戦うと決めた矢先に、その手段を奪われた。しかし、どこかで、戦わない自分に安心もしている。元々の性格に加えて柚留木美香の声が頭に引っ掛かっている。
“ベルトを渡して。戦っちゃいけない。”
その声は何かを案じている様で、恒久から戦う術を奪う為の言葉としては聞こえなかった。
ー柚留木さんは、僕に何を伝えたかったんだー
卒業式当日に恒久の頭を巡るのは、クラスメイトとの楽しい思い出ではなく、対峙した【विशेष】達の言葉。
“有能の証明の為だ、新型なんだろ?” “マニュアルを読んだほうが良い” “お前は、いちゃあいけねぇんだよ。” “美香が【विशेष】だって分かってやってんの?” “俺達は今、人間じゃない。立てよ、まだだろ?” “お前は嫌いだ!” “だから、奪いに来た。”
「那知恒久」「はい!」
卒業証書授与。数回の練習どおり出席番号順に壇上へ上がる。特に難しい事はしない。前の人と同じ事をするだけ、オートマチックに身体は動く。考え事をしていても。
ー【विशेष】の方が有能だって証明されたから僕は【グリア】を卒業?そうじゃない。ー
「卒業おめでとう。」
恒久が左手で卒業証書を掴んだその時、校長の口から放たれた祝福の言葉の後、僅かな口の隙間からもう1つ声が落ちる。
「グリア、後で校長室へ。」
壇上から席へ戻る間、恒久が幾ら周りを見渡しても、キョロキョロする恒久を嬉しそうに眺める母:暢子が高々と手を振る以外、体育館に変わった様子は見受けられない。
ーなんで校長先生が……ー
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卒業式は無事に終り、各自が別れを惜しむ中、恒久は独り校長室へ向かう。
校長室に鎮座するのは国立大学結晶物性工学研究室長・中知山和彦。グリア・シュワンの開発者の1人。その姿は以前、映像で見た事がある。
「驚かせたかな?恒久君に直接会う手段がなかなか無くてね。来賓者として卒業式に呼んで貰ったんだよ。どうかな?私のスピーチは感動して貰えたかな?」
「あの……」
卒業式での恒久は上の空、来賓者である中知山の有難いスピーチは馬耳東風。困惑の恒久に苦笑いを浮かべ、中知山は本題に入る。
「恒久君に中学卒業と高校入学のお祝いと言ってはなんだが、コレを渡したくてね。」
中知山が差し出してきたのは見覚えのあるケース。
ーベルト!ー
恒久が中知山とケースを交互に視線を送ると中知山はゆっくり頷いた。
「グリアversion2とでも言っておこうかな。数回の戦闘データを素に恒久君仕様にカスタマイズしてみたんだ。」
「カスタマイズ……」
「グリアの性能は保証するが、あれはプロトタイプだからね。シュワンは時任君仕様に微調整させて貰ったが、恒久君はまだだったし、【विशेष】に不穏な動きがある。」
「…………」
恒久にとって【विशेष】は不穏な存在でしかない。それをわざわざ“不穏な動き”と口にするのは理解に苦しむ。
「恒久君、改めてお願いする。【एकीकरण】を止めてくれ。」
中知山は差し出したケースに両手を添え、更に押し出し深く頭をさげた。
「私達が賛同した【एकीकरण】とは別物になってしまった。あんな物が世に放たれてはいけない。」
大きな矛盾。恒久は目の前にいる大人が立派な人間だと、まともな人間だと思えなかった。その勝手な言い分に、呆れ、怒り、未だかつて得たことのない感情に自制心は遠ざかった。
「僕は……何ですか……?大人って、もっと、ちゃんとしてるんじゃないんですか?!【एकीकरण】なんて!元々めちゃくちゃな話じゃないですか!」
頭を下げたまま中知山の視線は恒久へ向かう。
「世の中はね、簡単じゃないんだよ。正論で片付くほど綺麗に造られてはいないんだ。」
「だからって、なんで僕なんですか?誰かがやらなきゃいけないなら、自分でやればいいじゃないですか!」
中知山は顔を上げ、恒久を真正面に捕らえる。
「恒久君、君の言う事はもっともだ。でもね、これは未来をどうするか、そう云う話なんだよ。それにシステムの都合上とは言え、【विशेष】に対抗するには柔軟な心身を持つ君達の年代、未発達な心身が必要なんだ。そうでなければフェンリルを凌駕する事は不可能だと答えは出ているんだ。」
「言ってる事が滅茶苦茶すぎて、僕には何だか解りません。」
「私では駄目なんだ。頼まれてくれ、君の、君達の、若者達の未来の為に。」
素晴らしい演説の様に行われる当然の責任転嫁。だがそれは恒久の心を逆撫でるには不十分で、漠然とした《良い世の中》を望む恒久の頭に、時任咲也の料理人としての姿、日隠あすかのチアリーダーとしての姿が浮かぶ。それを大人の理不尽で邪魔されたくは無い。
短く大きく息を吐いた恒久は、深々と頭を下げケースを差し出す中知山へ、そのケースに手を伸ばしながら問う。
「フェンリルって、何ですか。僕が闘わなきゃならないんですよね。」
「フェンリルは【विशेष】や【グリア・シュワン】のデータを利用して、【एकीकरण】を歪めた者が製作させている危険な存在だ。」
「誰なんですか?」
恒久にとって【एकीकरण】は元々歪んだ存在。ソレを敢えて歪めたと口にする目の前の大人に敬う気など持ちあわせる筈もなく、新しいベルトを手にした今、沈んだ想いがバネを効かせて跳ね上がる。
ー他人任せにしてたら、争いや理不尽は無くならない。ー
好戦的な雰囲気の恒久を前に中知山の口が滑る。
「推測ではあるがね、恒久君も知る人だよ。」
中知山が発した事はヒントではなく答え。恒久が知る該当者は凶兆【阿知輪晋也】しか居ない。
「何がしたいんですか、阿知輪さんは。」
「彼は我々の技術を軍事産業に転用して地位と富を得るつもりだろう。【एकीकरण】の責任者である不知火凌には連絡が着かない。野蛮なやり方だけどね、フェンリルを倒すしか効果的な方法は無い。」
「グリアに出来ますか?」
「その為のversion2だよ。オリジナルを開発した私にとってフェンリルなんぞ模造品、後継機と呼べる代物じゃない。データも製作者も寄せ集め、アップグレードを気取っているんだろうが、あれは所詮ツギハギだ。材質・構造・システム・デザイン、その本質を理解していない。そもそも人体強化スーツという物は」
恒久には難しい話が続く。中知山にとって相手が誰であるかは関係無い。垂れ流した講釈を自らの耳から心に流し優越感に浸るのがたまらなく心地よいのだ。
卒業式のスピーチでは、明るい未来だとか、希望に満ちた将来などを謳い、平和だなんだと捲し立てておきながら、実の所は富と権力の奪い合い。然るべき所から評価を得なければ存続出来ないのは企業だろうと研究者であろうと変わらず、ビジネスが席巻する弱肉強食の世界に生きる者からは、当然、利己的な思考しか見えてこない。
剣もペンも必要な混沌の世、その中にどっぷり浸かった発言の数々は、恒久の理解を越えた。
ー止めるのはイキーカランだけじゃない。僕には知らない事が多過ぎる!ー
「良くないな。イキーカランを止めるのは良くないよ。」
校長室に現れたのは【荒牧陽祐:牧羊犬】
「परिवर्तन」




