27話 恐慌が強行する教皇の強攻
前回のあらすじ
千知岩孝典と不知火凌が進めるグラズヘイム計画とは、仮想空間アースガルズの中で遍く人類が理想とする世界を構築する事。幾多の個性が産み出す多様な進化から、地球に必要な人類の選別を目論む不知火と、自身の想像を超える世界そのものに興味を持つ千知岩。
ヴァルハラ宮殿に戦士の魂を集めるワルキューレ役を担う阿知輪晋也だが、彼の真意は軍事産業参入の為にデータを集める事。軽音楽部の磯貝亮太に自律防御行動機能、野田誠一に自律攻撃行動機能が実装される。
【国家機密】【グラズヘイム計画】【軍事産業参入】其々の計画は順調に進むにつれて世間に露呈し始める。情報統制から溢れた奇怪難解な事件は、陰謀論と称され【国家機密】を朧げながらも映し出し、有明エンタープライズ内では、開発部を始め《黒い噂》が絶えなかった。
「お疲れ様です漁火です」
不知火から受継いだ各省庁へ繋がるスマートフォンと魔法の挨拶で、阿知輪晋也は“水を得た魚”だが“火のない所に煙は立たぬ”自分が上向いている時は足下が疎かになるのが常。
国家機密執行委員代理は、あくまでも代理でしかないのだ。
公安調査庁に不知火の存在を密告したが、諜報員は【姫蜂】に捕食寄生され、職務を全うする事なく生涯を終える事になる。
【姫蜂】は匂いで宿主を探す、嗅覚というより検知の方が正しい。人が嘘をついた時に発する特定の化学物質、一般人がこれを永続的に発することはない。不知火の周囲から該当する人物を見つけるのは容易い。
「परिवर्तन」
自室のベッドの上で壁に背を預け、抱え込んだ【अंडा】から発する靄に包まれ、恋塚涼子が変容する【विशेष】としての姿は他と異なる。彼女の全身を包む金属質なソレは、生物の形を模していない。後頭部・肩・膝にレーダーアンテナが組み込まれている様な見た目をしている。
恋塚の脳波を受信して動くのは、全長20mmの虫型ロボット【姫蜂】これを操作している間は無防備になる。だから彼女は安全を約束された場所でしか【विशेष】に変容しない。
それでも、恋塚涼子は何処かに不安を抱く。常に憂鬱で何をしても虚しかった。何故なら、其処に何も残らないから。
人は死ねば灰になる、知ってはいたが驚いた。両親共働きであった恋塚涼子の思春期に語りかけて来る祖母の無機質な骨が、人生に残すモノの選択を迷わせる。
ー結局コレが何になるのー
不思議と、柚留木美香と一緒に居る時には感じていなかったソレ。今を楽しむ後先考えないスタンスに魅力を感じ引っ張られていた、気が楽だった、だが今は居ない。冬休みが開けてた1年0組の雰囲気は、どことなく暗い。ムードメーカーの【巻恵市・柚留木美香】を欠いては当然だが、【恋塚涼子】にその影響は大きく、雰囲気はガラリと変えてしまった。いや、戻ってしまった。
学活の時間、秋岡の話によれば【柚留木美香】は別人の様だったらしい。果たしてに何があったのか、会いたい……
人は必ず依存する。何か1つに大きく、もしくは多数に小さく。
恋塚が持つ柚留木への依存度は大きく、ソレはそのまま行動力へ繋がる。秋岡が柚留木を送り届けた先《中央病院》へ。
➖那知家➖
「つーくん、そろそろ病院行こか」
恒久の父・悠作は、有明エンタープライズが業務提携している㈱Y.F creationが製作を担当する装着式アシストロボ【NEURON】のモニターとしてリハビリを受ける為、《中央病院》からリハビリ施設に移動する事になっていた。
母親の運転する車からはK-POPが流れる。
駐車場からコンビニ前を通り、小学校の横を抜け、神社を車窓から眺め、ショピングモールを曲がって病院へ到着する間、恒久の頭には【विशेष】との戦闘の記憶が流れる。
ーなんで、こんな事しか思い出さないんだろうー
そんな物憂げな恒久を、母親は《受験生・思春期》独特のモノと勘違いしていた。
母親が受付を済ませる間、恒久はロビーに腰掛け、父と何を話したら良いかを考えていた。
「ねぇ」
突然、隣に座る女性に声をかけられ驚く恒久。ショートボブと泣きぼくろが印象的だが、見つめられた瞳が何よりも儚げで、吸い込まれそうで、そこに感じたのはシンパシー。
「あんた、美香をどうしたの。」
「え?」
「あんた、グリアでしょ?」
オレンジ色を基調とし黄色とピンクのラインが入った金属質なバックパックを抱えるその女性は【恋塚涼子】恒久の反応を確かめてから、冷たい怒りの感情を上乗せした。
「あんた達が美香を別人みたいにしたんでしょ?返してよ!」
「なんですか急に、知りませんよ、僕達だって……」
「何よそれ、何のつもり?」
「柚留木さんが、あんな、暴れるなんて……」
受付を済ませた母親は、恒久と恋塚が話している姿に勘違いと御節介、そそくさと病室へ。
1週間ぶりの対面に互いの笑みが溢れる。
「調子良さそうね。」
「ああ、病人扱いしなくていいのにな。」
「いいじゃない、働き過ぎだったのよ。しょっちゅう転属、出張も多いし、人様をなんやと思うとんねん。便利屋じゃあるまいし、お釈迦様ちゃうねんぞ!って言ったらいいのよ。」
リハビリのモニターを承けた際に“そんな事も仕事にすんのん!”と、ご立腹だった様子を思い出し、悠作は苦笑い。
「まぁ、だから総務課って云う名の便利屋に収まったんだけど……皆に“助かる”って言われたら悪い気はしないよ。」
「流石、悠作さんやわ。お人好しが過ぎるねんなぁ。」
「だから君の夫も務まるのさ。」
「ほんまやね。」
「で?恒久は?」
「ロビーで女の子と良い感じ。」
父として焦りの表情。我が息子ながら、浮いた話の似合わぬ恒久にまさかの状況。思い当たる節は唯一人。
「塾で一緒の?日隠さんだっけ?」
母として何故か勝ち誇った表情。
「知らん女の子。つーくんも陸上ではソコソコの成績やし、ファンの1人くらいは居てもおかしないんちゃう?」
母親の暢気な妄想は半分当たっていた。
秋岡の話を頼りに、柚留木美香の消息を追って病院へ来た恋塚は、1年0組の誰よりも強く、ある疑念を抱いている。柚留木美香は《稲葉・巻の勝手な行動》その理由を知るからこそ、消息不明になり、別人の様になって現れた。普通に考えればソレは知ってはいけない事。今、その謎を知るのは《稲葉・巻》と戦い、柚留木美香と会話をしたグリアだけ。
偶然にも病院のロビーでグリアを見つけた恋塚は、那知恒久に某かの期待を持って、咄嗟にに近付いたのだから。
「何?あんた何も知らないの?」
「柚留木さんから【एकीकरण】《QUEST》《不知火さん》の事は聞きました。ソレ【अंडा】ですよね。【विशेष】になる為の……国の管理下にあって……」
世の中の犯罪は概ね《QUEST》であり、悪い事をしている人達だと言いたかったが、口籠った。
「あんたは?【グリア】ってなんなのよ。《稲葉公太・巻恵市》は何であんたと戦ったりしたの?」
恋塚の期待は外れた。那知恒久は只の年下の男、頼り無く、寄り添う芯も無い。恒久からすれば当然の事で、訳も分からず【グリア】になって、仕方無しに戦っただけに過ぎず【グリア】としてのアイデンティティは弱い。此処に居るのが時任咲也【シュワン】なら、強い意志を持って答えを出しただろう。
だが、此処で明確な答えを持って来たのは、恋塚と恒久の会話にスルリと入り込む【厄災のシンボル】
「【グリア】とは、有明エンタープライズで秘密裏に製作された、イキーカラン殲滅・対ビシェシュ用強化スーツ。自責の念に駆られたビシェシュ開発チームの渾身の作品、と云う事で納得頂けるかな?」
一息で言い切ると笑顔で〆る。阿知輪晋也は隙間に入るのが上手い。那知悠作の退院祝にオレンジバラのアレンジメントを携え颯爽と現れた阿知輪へ、恋塚の刺すような視線が飛ぶ。
「あんた誰?」
「これは失礼。私、有明エンタープライズ総務係長、兼、国家機密執行委員代理の阿知輪晋也と申します。」
「で、なんなの?」
「恋塚さん?だね。君が知りたがってる答え、そのものさ。」
《勝手な行動》の真意を阿知輪が語る。
「それと、美香と、何の関係があんのよ。」
「柚留木さんは君達1年0組に先駆けて、最終段階の【Dritte】を経験しているに過ぎない。」
「何言ってんのよ。」
「心配はいらないよ。国にとっても貴重なSAMPLEだからね、彼女の身の安全は保証するさ。」
飄々とした阿知輪に恋塚はイライラが止まらない。
「私は美香を返せって言ってんのよ。」
「気持ちは分かるけど、なにせ貴重なSAMPLEだからね。彼女が元の生活に戻るには、もう少し時間が必要かな。」
恋塚の顔には、悔しさと諦めと納得が見て取れる。だが、恒久はそうはならない。阿知輪の口から語られる言葉に、益々理解が追い付かなくなっていた。あの日、阿知輪晋也が柚留木美香を連れて行くと言ったのは“然るべき場所”それが何処かは問題ではなく、何故、別人の様になって現れたのかが問題なのだ。
「阿知輪さん……」
「【グリア】は【विशेष】と戦わなくてはならない。柚留木さんを待っていたのは【Dritte】【पागल】だった。彼女を速やかに解放するには、実戦による戦闘データを収集するのが手っ取り早い。」
「そんな……また柚留木さんと戦わなくちゃいけないんですか?だいたい、なんなんですか【Dritte】【पागल】って!」
「恒久君……知らない方が良い事と云うモノも、あるんだよ。【グリア】は【विशेष】と戦わなくてはならない。【Dritte】【पागल】については、以前、私が口走ってしまったのが悪いんだけど、知り過ぎると君を守りきれなくなってしまうかもしれない。」
人には立場によって作られる人間性と云うモノがある。阿知輪はソレを、幼い頃から理解し選んできた。自分らしく居られる立場、ストレスの無い立場を。それは、世の中に在る理不尽に対する術であり、国家機密執行委員代理と云う立場を手に入れた阿知輪は、自己を解放しつつある。
「……阿知輪さん?【एकीकरण】を【विशेष】を止めるんじゃないんですか?」
「恒久君、何も心配はいらないよ。私が求めるのは平和、私が愛するのは平穏、私が焦がれるのは充実。悪いようにはしない、信頼して欲しい。それと、恋塚さん。君はこの事を誰にも喋らない方が良い。【विशेष】が《QUEST》に従順であるなら、国は必ず保護してくれる。」
まがりなりにも英姿颯爽を掲げる国大付属高校1年0組の生徒である恋塚涼子に、阿知輪晋也が釘を刺すような無粋な言葉を口にしたのは、恒久に恋塚の言葉を聞かせたかったからだ。
「当然でしょ。」
人一人が足掻いても、どうにもならない大きな流れ。それを感じるのに充分な一言。
恒久は、学校の廊下を逆行した時の違和感を思い出していた。




