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グリア 〜過ぎた世界の望まぬ形〜  作者: 海堂直也


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22話 普通の事 

前回までのあらすじ


捕まってしまった【シュワン】の前で、八浪幸四郎やつなみこうしろう有働和也うどうかずやは口論を始める。《QUEST》を受けていない八浪は個人的感情で、増住香の安全と【グリア】との戦いを望み、有働は《QUEST》に従順で、ベルト奪取・日隠の確保・菌糸の散布、全てを完遂させたい。


【グリア】の登場で事態は動く

《QUEST》の遂行と阻止。【シュワン】救出と拿捕


阿知輪晋也あちわしんやの読みどおり、ショッピングモール屋上に混沌が生まれる。




交錯する4人、それを悲劇と呼ぶのか、それとも悲劇はもっと前から始まっていたのか。


【豹紋蛸】に【自律迎撃行動機能マルチロックオン】が備わっていなければ、間合いを瞬時に詰める脚が無ければ、八浪幸四郎やつなみこうしろうが体得したモノが柔術で無ければ【インドアカサソリ】の頭をコンクリートに叩きつける事は無かった。


「ま゛ますずみぃ!!」


揚心古流柔術、八浪幸四郎やつなみこうしろうは父からそれを習っていた。物心がつく頃には、ひと通りの受身はとれるようになり、幼少期に寝技、少年期に投技を覚えた。“柔術が柔道に負ける訳にはいかん”父が祖父から受け継いでいる教え、信念、呪縛。基礎を重んじ、祖たる柔術に心酔した家族の業。


競技として発展した柔道では【双手刈もろてがり】は禁じ手、八浪が柔術家でなく柔道家であったなら、グリアを追った際に両手を伸ばす事は無かったかもしれない。基礎に、柔術に、真摯に取組んでいたからこそ、体に染み付いていたからこそ、誰にも負けられないと思えばこそ。ましてや新型などに、そう思えばこそ、伸びた両手。


だが、その手に掴んだのは無情。


自律迎撃行動機能マルチロックオン】は増住に脳震盪を起こさせた後、その機能を停止をする。八浪は守るべき女性ひとを傷付けた。戦闘の意思など在ろう筈が無い。今は、何が飛び込んで来ようと、その脚は微動だにしない。


動きが止まった【豹紋蛸】を踏み台にして、時任シュワンを抱えた恒久グリアは、その場を離脱する。【インドアカサソリ】に覆い被さる様に崩れた【豹紋蛸】は、増住香ますずみかおりの安否を心配する余り、何も出来ず、特殊任務用外骨格多機能型スーツ【विशेषビシェシュ】の中で静かに涙をこぼすしか出来ない自分に歯を食いしばり泪を流した。


「ナッツン、今チャンスなんじゃ……」

「大丈夫、咲也の活躍で時間は充分稼げたから。阿知輪さんが、警察や報道が来る前に【シュワン】を連れて帰ってくる様にって。」

「は?ナニソレ?」

「え?作戦でしょ?」

「聞いてたのと違うよ?」

「そうなの?」


Aizietアイヅィエット


ベルトから低音の機械音声、那知恒久は変身を解除して、あどけない表情を見せる。時任咲也には疑問が残る。阿知輪晋也は二重スパイ、信頼とは遠い存在。しかし情報源としては信用出来るし、するしかない。


だからと云って、言われたまま退避で良いのか、今は【グリア】と力を合わせて戦うべきではなかろうか。初めから【विशेषビシェシュ】を追い払うのが目的だったとしても、このチャンスを逃すべきでは無いのではないか。


時任咲也の心ははやる。


विशेषビシェシュ】殲滅【एकीकरणイキーカラン】阻止の為に……


「行こう!日隠さんが待ってる!」


腑に落ちない、釈然としない、それでも、時任咲也は那知恒久の声に反応する。今は、Xmasと日隠あすかが待つ日常へ戻る事の方が重要だった。


「……そうだな!」


阿知輪の【不知火代理】としての働きは“水を得た魚”各省庁へのホットラインと合言葉“お疲れさまです、漁火です”が、面白い様に社会を動かす。ショッピングモールに爆弾が仕掛られたと言う体で、専門の処理班に扮した【एकीकरणイキーカラン】に係る機密部隊のサイレンが近付いてくる。


《QUEST》は失敗に終わった。砂月は冷静だが、有働は状況の理解をする精神状態に無い。突き上がった右の拳を降ろせずにいた。

ーあり得ないー


「さんざんね。」

屋上に松浦彩花まつうらあやか越猪崇おおいたかしが姿をみせる。

「撤退だ直ぐにヘリが来るから乗ってくれ」


अंडाアンダ】を持たない風紀委員に有働は強い口調で食ってかかる。


「ふざけんなよ!まだ《QUEST》は終わって無いよね?」


突き上っていた拳はゆるやかに開かれ、越猪に掴みかかる。行き場を失った感情の矛先を預けるのに越猪は適していた。状況を落ち着かせるにはコレでいいと越猪も納得していたが、松浦は腹を立てた。


「貴重なデータと改善点が見つかったから撤退。有働君“馬鹿”じゃないから、私達がわざわざ言いに来てる理由くらいわかるでしょ。」


わざと嫌味な言い方をした、普段なら取るに足らない戯事ざれごと、関与するつもりなど毛頭ない。だが腹が立ったのだ、たった一日、普通の事が出来ない環境に、怒りと悔しさに震える有働に、諭したような顔で状況を受け入れる越猪に……


「「वापसी(バップスィ)」」


そう呟くと人の姿に戻った静かな佇まいの砂月玲奈と、少し落ち着いた様子の有働和也。続いてヘリの音に紛れて聞こえるのは人に戻らぬ八浪幸四郎の声。


「俺はいい」


理屈の通じない相手がへそを曲げる事ほど面倒な事は無い。宥め賺すか、強引に事を成すか、後は放っておくか。こんな時、周りの空気を一変させてしまう笑顔と行動力の持ち主は気を失っている。松浦彩花は匙を投げるが、越猪崇は面倒見が良い。


「《QUEST》に対しての撤退だ、確かに幸四郎には適応しない。けど、それは責任とは違う。第一、僕達の存在はまだ公になってはいけないんだ。」

「用事があるんだ、迷惑をかけるつもりはない。」


到着したヘリに背を向け【豹紋蛸】は外壁に擬態しながら屋上から姿を消す。収容される【インドアカサソリ】に向ける顔は無かった。


「全くなんなの、あの蛸はイライラさせるわね。」

「3F レディースファッションフロアのマネキン」

「?なにそれ?」


砂月には八浪の行先が分かった。 

店頭のマネキンが着る赤いチュニックと明るめのジーンズ、増住香へのXmasプレゼント。それを呟くと松浦は溜息をついてみせた。


「脳味噌筋肉のクセに、一番青春してんのね。砂月さん場所教えてもらえるかしら、一緒に行きましょ。」

「おいっ彩花!」

「香と有働くんをお願いね。」


ヘリから現れた大人が予定と少し違う3人を無事に回収するのを見届けると、松浦は砂月の手をとった。


「さぁ、後は風紀委員に任せましょ。」


松浦彩花を止めはしない、越猪崇は彼女の判断を信じている。


➖3階 レディースファッションフロア ➖


「すいません。あれを下さい。」

「あれだとサイズ合わないわよ。」


勇気を出して店員に声をかけた八浪は、驚きと恥ずかしさで目を丸くする。


「香にプレゼントするんでしょ?いい色選んだわね。」


増住香には赤が良く似合う。指先・爪先は勿論、リボンの先端まで神経の通った繊細かつダイナミックな演技。その演技に華を添えるコスチュームの色、赤。


「一度だけ、演技を見た。俺は人の動きを“強い”“弱い”でしか見た事がない。でもあの時は、“美しい”そう思った。あいつには、あんなのより、こうゆうのが似合う。」

「そうね、私もそう思うわ。だけど、そんな事」

「わかってる。今日だけだ、こんな事を言うのは今日だけ。今日は普通の日じゃないからな。」


《QUEST》であれば、それがなんであろうと遂行する。それが1年0組の普通【एकीकरणイキーカラン】という計画が産んだ日常。八浪幸四郎の言葉は、それに反していると捉えられかねない。松浦彩花は柚留木美香の事があってから1年0組に対して神経質になっている。


ー結局、同じ価値観もてる人なんて、崇しかいないのよね。ー


ビビットなオレンジのスカートにブルーのダウン。冬空を映した様な鮮やかな色彩のコーディネートの松浦は、ランタンスリーブのカーディガン、革の太ベルトを購入。勿論それは増住へのXmasプレゼント。砂月にはそれが“赤いチュニックと明るめのジーンズ”に合わせる為のモノと理解していたが、プレゼント用のラッピングを断った松浦の手前、同じく購入したプチプラアクセのラッピングを店員に促されるまま頼んでしまった事に気が引けてしまった。


松浦彩花の派手な色合いの影にある細やかな気遣いに、全てを黒で隠して誤魔化している自分が恥ずかしくなるのだ。



➖ショッピングモール エントランス➖



「阿知輪さんが予約しといたから3人で行っといでって……」


日隠あすかの手にはショップカード、視線の先には黒塗の車と白い手袋の運転手。


「ねぇこれって……」

「え?すごくね?」

「待って、そのQRコード読み取るから。」

「「「あー!」」」


メディアで有名な高級ホテルのランチブッフェ。予想外のXmasプレゼントに3人は大喜び。


「毎日こんなの食べれたら最高だな!」

「そうだけど、たまにだから、いいんじゃない?」

「そうよ、毎日特別な事してたら、特別じゃなくなっちゃうじゃない。」


時任咲也の笑顔は絶えない。この幸せを特別にしたくない。壊されたくない。【タイワンアリタケ】から守った幸せを、五感で目一杯感じていた。


「そうだけど、毎日食べたいなあー。」


那知恒久と日隠あすかは、そんな時任の笑顔につられて笑顔が溢れる。感情は自然と伝染るモノであり雰囲気を創る。そして、雰囲気は感情を左右させる。


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