18話 Your true self
前回までのあらすじ
M駅ショッピングモールに日隠あすかと《ベタな恋愛映画》を観に来た那知恒久は、恋人達が席巻する館内の雰囲気と、母親のひと言が相まって少々浮足立っている。
同館内には“普通の事がしたい”松浦彩花と、Xmasに誘われて浮かれる越猪崇。
Xmasデートに遅れて参加する時任咲也に阿知輪晋也から連絡が入り、M駅ショッピングモールでのテロを防ぐよう言われる。
気合を入れたい日の朝はカレー、ついこの前までバスケ部に在席していた時任咲也のルーティーンがこちら。
レトルトカレーを湯煎して6枚切の食パンを1.5枚トーストする。湯煎に使った熱湯はインスタントコーヒー・クリーミングパウダー・カロリー控えめ人工甘味料をベストブレンドした大きめのマグカップに注ぐ、テンションは高い。
公式であろうと練習試合であろうと、コートに入る前“頼んだぞ”のひと言で俄然やる気が違ってくる。オフェンスファウルと引き換えに相手DFを得意のドリブルで搔き乱す、顧問にとって諸刃の剣。
良くも悪くも素直な時任咲也は頼まれたら断らない、期待には応えたい、上手く行かないと落ち込み、邪険にされると不貞腐れる。今は阿知輪晋也から頼まれた3分に向けて、M駅ショッピングモールまでの道中イメージトレーニングが止まらない。
ー何匹でもかかってこいってんだ!引っ掻き回してやんぜ!ー
➖09:15 M駅ショッピングモール 3階 レディースファッション・ドラッグ・コスメのフロア ➖
ーどおして僕の予定を引っ掻き回すのかなぁ〜コイツは……ー
有働和也は項垂れていた。《QUEST》とは言え女子2人とショッピングモールへお出掛け。護衛役の2人に左右挟まれる様に、もしくは前後、ありとあらゆるフォーメーションを妄想して来た。しかし有働和也には天敵が居る。水と油、理屈と直感、暖簾に腕押し、糠に釘、据え膳見事にちゃぶ台返し、八浪幸四郎。有働和也の隣は彼が務める。
「なぁ、なにが悲しくてXmasに男と並んで歩かにゃならんのよ。」
「俺は増住の護衛に来たんだ、気にするな。」
砂月玲奈を連れ回す増住香の後ろをついて歩く有働和也と八浪幸四郎。
店頭のマネキンが着る赤いチュニックと明るめのジーンズを見ながら八浪幸四郎が口を開く。
「お前が助平心丸出しで女子を護衛に選ぶのが悪い。」
「なんだよ。2人は戦闘能力高いんだし、陣内の推薦なんだから、俺に文句いうなよ。」
「砂月は強いから文句は無い。」
「増住さんだって充分強いだろ?」
「あいつは【विशेष】に向いてない。」
「はぁ?何言ってんだお前。」
少々天然な増住香が視界の際の男2人を仲良しだなぁと微笑ましく思う最中、他人に過敏な砂月玲奈は、八浪幸四郎の真摯な恋心と有働和也の正直な助平心を察知するも、増住香の「これ似合うと思うな、試着してみましょう。」に抗わず、俯いたまま小さく返事をする。
ー早く帰りたいー
その気持ちも深く自身に閉じ込め、黒髪ロングストレート・黒縁眼鏡・黒のパーカー・黒いガウチョパンツ・デッキシューズも黒・洗練されたワントーンコーデに野暮ったいシルエットだった砂月玲奈は、白のポップコーンケーブルニット・緑のマキシ丈ロングスカートに身を包み、ゴールドのポニーフックで髪を纏め、フレームレス丸眼鏡・ぺたんこシルバーパンプスが大人な雰囲気を醸し出し、シンプルな柔かさの中に華やかさをプラスしたエレガントなシルエットのXmasコーデ姿で試着室から出て来た。
「可愛い!砂月さん凄く似合う。ちょっと予想以上かも。」
鏡に映る自分を見て増住と同じ事を思っていた。増住のセンスに驚くと同時に、この格好が怖い。女性らしいファッションは砂月を苦しめる。男性不信・トラウマがそうさせる。
「どお!おふたりさん。可愛いでしょ?」
「ああ。」「全身黒もミステリアスな魅力があっていいけど、別人だね!女神様かと思う程だよ。」
八浪幸四郎は砂月玲奈のコーディネートに御満悦な増住香に対し応え、有働和也は素直に眼前の光景に応えた。
店員も微笑むその状況からは、【एकीकरण】の一端として《QUEST》をこなす【विशेष】だとは想像し難い。ましてやテロを起こす数十分前だと云うのにこの様相。【विशेष】には【Zweite】によって《本人とは別の意志》が大なり小なり働くとは云え、防犯カメラに搭載されている不審者警戒機能もまるで意味を成さない程4人は普通の精神状態。
一般的に授業で【एकीकरण】について素直に学ぶのは至極不自然。しかし【Zuerst】で選ばれた1年0組は【Zweite】によって不自然ではなくなっている。
【Zuerst】とは
中学2年生対象の県下一斉テストに紛れた心理テストにより【एकीकरण】思想の反映を確認【विशेष】適合者を選出。こうして彼等は選ばれた。風紀委員の2人は【एकीकरण】思想が色濃く反映されていた貴重な人材【Zweite】無しでも《QUEST》に疑念を抱かない。他の【विशेष】は【Zweite】と呼ばれる低周波催眠によって【एकीकरण】思想を定着させられる。《QUEST》を当然の事と捉え、何の感情も湧かずに熟す様になるのだが、催眠効果には個人差がある。効果を強めると心身に予期せぬ影響を及ぼす可能性が高い為、その様な事はせず、風紀委員が【विशेष】の管理を担っている。
因みに柚留木美香は催眠効果が弱く、稲葉公太には少々強めに効いていた。
今回の4人はバランスが良い。至って普通の高校生であり、青春を謳歌する欲求もある。只、人口調整を常識として捉えていて《QUEST》を剪定や間引きの様に当然もしくは良識として、落ちているゴミを拾うより自然に行うのだ。
➖10:15➖
有働和也のスマホが振動する。
「そろそろ行きますかね。」
本を手に取り、フィギュアを眺め、服を選び、ウインドショッピングの時間は終わった。屋上へ向かう途中、八浪幸四郎が増住香の手を引く。
「なあ。お前はこういうの、着ないのか。」
「え?」
そこは先程ファッションショーを楽しんだ店舗の前。
店頭のマネキンが着る赤いチュニックと明るめのジーンズを2人が見つめる。
「あれ?私見逃してたか。さっきの砂月さんと合わせたかったな。八浪君、有難う!」
「ああ。」
八浪の手からスルリと増住が抜ける。
「砂月さ〜ん。後でもう1回あのお店行こうよ。」
増住香の背中にしがみついた赤い【अंडा】を見ながら、八浪幸四郎は自分の気持ちを確かめていた。
ーお前に似合うのはそれじゃないー
➖10:20➖
3番スクリーンにはエンドロールと退席する人の影。
上映中に聞こえた啜り泣く声の主は、鼻を赤らめ口を曲げ頬に涙の跡をつける越猪崇、それに対し呆れるのは《ベタな恋愛映画》に簡素な印象しか抱かなかった松浦彩花。
「よくこんなので泣けるわね。」
「互いに想う気持ちがありながら結ばれてはいけない2人。泣けるじゃないか。最後に愛を伝えるシーンなんか実に感動的で」
「いいわね、感動できて。見え透いた展開に驚いたのは感動って言っていいのかしら。」
話を斬り捨てられ、映画を馬鹿にする様な松浦彩花に対し、ついついオーバーヒートする越猪崇。
「彩花、こういうのに奇想天外なストーリー展開はいらないんだよ。」
「分かったから、興奮して大きな声出さないでよ。恥ずかしいわね。」
疎らな客席に響く越猪崇の声とクスクスと笑いを堪える声、その声の主は日隠あすか。
「“つーくん”と同じ事言ってるよ、あの人。親戚だったりして。」
「あ、え?うん、いや、そんな訳ないと思うけど。」
「何!そのリアクション!ウケる!ブハッ!はー可笑しい。あっはは、はーっお腹痛い!!」
「ちょっ、ちょっと。日隠さん。声、大きいって。」
ー今、僕の事“つーくん”って呼んだ?聴き違い?ー
大きな声で笑う日隠あすか《お母さんの悪戯》は大成功。“時々つーくんって呼んでみて、面白いわよぉ〜”母親の予想通り、他人に、ましてや女子に、下の名前で呼ばれる事に免疫の無い那知恒久は、頭真っ白顔真っ赤、おまけに可笑しな身振り手振りで、全身で動揺を表現してくれた。
そして、照明が戻った3番スクリーンで、二組の男女が目を合わせる。




