17話 ゼーベック効果
前回までのあらすじ
世の中Xmas一色。日隠あすかは3人で約束した週末を密かに楽しみにしていた。時任咲也は浮かれ過ぎて、照れ隠しに乗り気ではない対応をしてしまう。
その場を取り繕おうとする恒久の機転虚しく、時任咲也を置いて週末の予定を那知家でする事に。
恒久と母親に対し、カルチャーショックを受ける日隠あすか。日隠と母親は直ぐに《あすかちゃん》《おかあさん》と呼ぶ仲に。
日隠を車で送って帰ってきた母親の言葉と表情に、恒久は翻弄され、進路の相談どころではなくなってしまう。
その頃《QUEST》に失敗してから、気を紛らす様にスケジュールを詰め込んだ松浦彩花は、無駄に空いてしまったXmasの予定を埋めようとする。
M駅近くのショッピングモール内シネコン。
その3番スクリーンには数組のカップル。恒久は予想以上の空気感に気圧される。08:20この時間の上映なら甘い雰囲気は無いと高を括っていた。
そんな事はお構い無しに、手にしたチケットの座席番号と階段のローマ字をチラチラと見比べながらズンズン進んで行く日隠に、これまた気圧される。
「こっちだよ。」
足の止まっている恒久に座席を指差し振り返った日隠はこの空間に馴染んでいて、母親の余計なひと言のせいとは言え、浮足立っている自分が恥ずかしい。
はたから見れば、仲の良い姉弟に見えるだろうか。通う学校は違えど塾は同じ、共通の友人を介して仲良くなった異性の同級生とは思われまい。
生まれ育った環境がそうさせるのだろう。そして、それこそが、等身大を暈してしまう。はっきりした顔立ちのせいで只でさえ大人っぽく見られてしまう上に、日隠あすかの立ち居振る舞いは美しい。
何でもない事で笑い、とんでもない事を言い出す、塾帰りの日隠を知る恒久からしても、普段と違うヘアアレンジと私服姿の日隠は、数組のカップルと変わらず大人に見える。
そして、日隠あすか本人は、普段どおりでは無い事を自覚している。“お母さん”の余計なひと言のせいで恒久との距離間がぎこちない。Xmasを楽しみたいという《ウキウキ》に《ソワソワ》がプラスされているのは気付かれていない。疎ましく思っていた環境に感謝したのは多分初めての事だろう。
静かな空間に互いの鼓動が響く。
3番スクリーン、数組のカップルの中に、松浦彩花は居た。
「こんな早い時間から、結構いるもんなのね。」
「考える事は皆同じ、特別な日を長く楽しみたいのさ。」
松浦の隣に座るのは越猪崇。彼のスマイルは松浦に届いていない、言っている事は概ね当たっているが、当の松浦は《生活リズムを崩したくない》という理由でこの上映時間を選んだ。
越猪を選んだのは、Xmasは男女で行動するのが自然だから。
映画を選んだのは、モデル以外の活動の幅を増やす為ベタな恋愛映画を見ておきたかったから。
“忙しくしたいから何でもやらせて欲しい”
松浦の意見はマネージャーにはぐらかされた。挨拶回りやモデルとしての様々な経験はさせてくれる。しかし、それは今後の仕事に繋げるものでは無い。事務所が納得する形を取るには、自分の色には無い《演技》を選ぶ必要がある、先輩達が活躍している土壌で。
整理のつかない気持ちを抱える松浦には、察しの良い増住香より、従順なだけの越猪崇が色々と都合が良いだけなのだ。
しかし、昨夜《連絡頂戴》の文字ではなく、松浦彩花から直接スマホにCALLが来た事で、興奮冷めやらぬ越猪崇は少々ウザイ。
「それにしても、彩花からCALLが来るなんて、今日はホワイト・クリスマスかもしれないな。」
「そんな予報は無いけど、降るといいわね。」
「大丈夫、降るよ。僕達にはロマンスが似合うからね。」
溢れる笑顔でポップコーンを促す越猪崇に対し、少し冷めた苦笑いで返す松浦彩花。
「いいのよ、そういうのは。今日は普通の事がしたいだけなんだから。」
ーXmasに男女が2人で映画。しかも、恋愛映画。それを普通の事とは、やはり彩花も僕の事を!ー
2人がお互いを他とは違う特別な存在と認識している事は間違い無いが、越猪崇の思惑とテンションは、残念ながら空回りの勢いを増していく。
ーXmasに慌てて相手選んだ人って、こんな感じなのかしら。ー
「あれ?どうしたんすか?」
前日に恒久から送って貰った予定を見て、さんざん不貞腐れた夜のお陰で布団の誘惑は2.7倍。
09:03
そろそろ起きるかどうするか、そんなタイミングに時任咲也のスマホが騒がしい。
「お休みのところ申し訳ないんだけど、ビシェシュの動きを掴んでね。恒久君に連絡がつかないんだけど、どうしたもんかと思ってね。」
声の主は阿知輪晋也。不本意といった雰囲気を隠す素振すら聞こえて来ない。寝起きという事で時任咲也の思考の単純度合は1.3倍。よって、不快感180%到達。
「ん?なんすか?俺だってシュワンですよ。【विशेष】ブッ飛ばすなんか朝飯前っすよ。」
「いや、まぁ、君ならそう言うと思って躊躇したんだけどね。【विशेष】の動きって言うのが厄介で単独行動は控えて欲しいんだ、約束してくれるかな。」
「ナッツンと一緒にやればいいんすよね。大丈夫っすよ、10:30に待ち合わせしてるんで!」
「10:30か……それだと、ちょっと遅いな。」
「無理っすよ、それ以上早い時間の合流は。ナッツンとあーちゃん、今、映画観てるんで。」
「なるほど、そういう訳か。」
端末の電源を切られていては、連絡のつく筈が無く。映画鑑賞中となると、直接会う術も無し。阿知輪の計画変更も致し方無し。
「時任君、フライングしてみる?」
「は?」
「【विशेष】の何が厄介か、【グリア】と【シュワン】を警戒してチームを組んで《QUEST》に挑んでいてね。今回は無差別テロの予定なんだけど、恒久君、映画観てるって事はM駅のショッピングモールだろ?」
「はぁ……」
「そこなんだよね、テロの標的にされてるの。10:30だと被害は出始めてしまう。だから3分。3分だけフライングして、グリア合流まで耐えてくれないかな。」
「はぁ!?」
メインターゲットは有働和也
【タイワンアリタケ】
アリに寄生する菌類。
宿主の体内で増殖し中枢神経系を奪い、操り人形にしてしまう。操られた宿主は、ある日突然普段の列から離れ手頃な葉に到着すると、噛み付いた状態で絶命させられる。宿主の表皮を破り子実体を伸ばすと胞子を撒く、ちょうど真下を通るアリの列へ向けて。
【विशेष】として戦闘能力は乏しいが、人間をコントロールする恐ろしい存在。胞子を飛散させる際に単純かつ強力な思念を入力する。今回、施設の通気孔から撒く胞子は、愛情を暴力に変換させる。コート・ブーツ・暖房で、湿度と温度は増殖に最適。知らぬ間に中枢神経系を奪われた人々は、Xmasに溢れる愛で互いを傷付け合う事になる。
有働の護衛役は砂月玲奈。教室で松浦彩花をたじろがせた【マウイイワスナギンチャク】刺激を受けると猛毒パリトキシンを含む粘液を出す。その能力を知る者は、極力近付かない。気化したパリトキシンを間違って吸い込んでしまえば、助かる可能性は低い。
もっとも、合気道有段者である砂月玲奈に、刺激を与えるのは至難の業ではあるのだが。
砂月とコンビを組むのは増住香。
現在発見されている1750種類のサソリの頂点に君臨する【インド赤サソリ】人間を殺せるほどの毒を持つ種は25種類存在するが、この種の致死率は40%に達し、最も危険と認知されている。
新体操県強化選手として活躍する増住香の靭やかな身のこなしから繰り出される毒針は不可避。
「“先手必勝”で行きたい所だけど、攻守に優れた役を揃えているからあくまでも牽制。手は出さず、降着状態を保ち、上手く相手を躱して3分やり過ごす。1ラウンド目は様子見。いいね。」
「危ない奴が2人も護衛に付いてたら、いくら俺だって無茶しないっすよ。」
「それを聞いて安心だ。【विशेष】は屋上に現れる、換気ダクトから【タイワンアリタケ】が胞子を撒く為にね。恒久君は必ず連れて行くから、時間稼ぎ頼んだよ。」
「屋上っすね、任せて下さい!」
すっかり目が覚めた時任昨夜は、バスケ部で得意にしていたゴールに切れ込むドリブルをイメージする。観察と状況判断がフェイクを効果倍増、1on1のトリックプレーは大好物。
ー3分。ディフェンス掻い潜って【キノコ】の邪魔してやりゃいいんだろ。やってやるぜ!ー
時任咲也の単純度合を計算に入れて、二重スパイ、阿知輪晋也の計画は恙無く進行される。




