13話 タイミング
前回までのあらすじ
《QUEST・ハチノスツヅリガのレポート提出》それは、柚留木が反乱分子である事を意味すると捉えた松浦彩花。
朝、柚留木美香の姿を探すが、柚留木にルーティンは無く、所在不明。HR前には廊下で他のクラスの生徒と談笑。
松浦は柚留木を反乱分子とは思えない。捕獲に対し、明確な理由を探そうとしていた。
午後、帰宅途中の那知恒久と時任咲也は、コンビニの前で柚留木に遭遇する。恒久が声をかけた事をきっかけに、会話が始まるが、上空から那知恒久を見張っていた秋岡樹が、越猪崇に連絡。柚留木を恒久から離す事になるが、事態を知った松浦が、柚留木美香を反乱分子だと誤認してしまう。
学食から帰って来た八浪幸四郎の目に飛び込んで来たのは、スマートフォンを握りしめ、教室中央に立ち尽くす越猪崇。次いで、窓の外を見つめる増住香、自分の席で戦国系RTSをプレイ中の陣内元、いつも何かしら本を読んでいる砂月玲奈。
「何だ、又、何か怒らせたのか?」
嘲笑。夫婦喧嘩は犬も食わぬ、それぐらいの気持ちで吐いた台詞。八浪は、基本的にデリカシーが無い。
「柚留木さんがグリアに接触しているらしいの、それを松浦さんが気にしてるみたいで。」
「血相変えて飛んで行ったよ。」
八浪の台詞のせいで、余計にオロオロする増住と、それでいて至って冷静な陣内。
「何処だ?俺にも行かせろよ。」
「着いた頃には、何もかも終わってるよ。秋岡君もいるしね。」
八浪の舌打ちが教室に木霊する。騒ぎに動じず怖しく静かな砂月を見て、苛立ちを感じる八浪。自身の愚かさを自覚している証拠だが、それを認めるほど八浪は大人では無い。
ある種、八浪のお陰で落ち着きを取り戻した越猪、松浦が何故、あんなにもムキになっているのか等と考えている内に、きっと事は済んでしまう。今やれる事は、秋岡に状況を報告する事、後は頼るしか無い。やれる事は迅速に行う。普段の越猪ならそうしているのだが、松浦彩花と自分の迷いには、判断が鈍くなってしまう。
幸いにも早いコールで秋岡が出る。
「どうした?」
「悪い。彩花がそっちへ向った。」
「松浦が?何しに?」
「よく分からないが、ただ事じゃない雰囲気だった。上手く合わせて欲しい。」
「任せとけって、やる事は変わらない。要するに、さっさと柚留木を連れて帰ればいいんだろ。」
通話を終わらせる秋岡は、既に目標を捕捉している。
恒久が目の前の女子高生に《ひとめぼれ》したと勝手な勘違いをして、懸命に話しかける時任。昼間人目のある状況で変身する事に躊躇い、固まったままの恒久。エクレアを食べ終え、元気に手を上げる柚留木。
「あ!秋岡君!何してんの?こんなとこで。」
「それはコッチの台詞だろ?年下が趣味なのか?」
ポケットに手を突っ込んだまま近付いて来る秋岡、バックパックを見せつける様に恒久を追越し、ナンパの現場に彼氏が登場したと勝手に勘違いをして、焦る時任と柚留木の間に割って入ると、肩越しに恒久を覗く。
「??趣味は漫画だよ?」
「逆ナンなんかしてると、風紀委員に叱られるぞ。」
恒久は、秋岡の背中に背負われたバックパックに絶望を見る。Ǣ・有明エンタープライズのロゴマーク。それは、稲葉公太を、巻恵市を、悍しい化け物に変えた刻印。
ー【विशेष】が2人かー
恒久には、秋岡が威嚇しているのが分かった。自分が【グリア】である事はバレている。暗に寄るなと言っている。だが、柚留木を捕まえたい。今を逃すと次は無い、次からは警戒されてしまう。
動くに動けず、歯痒い恒久。
局面を打壊したのは時任だった。
「秋岡さん?!天草の秋岡樹さんですか!」
昨年のインターハイ、準決勝で敗れはしたが、無名のバスケ部を圧倒的なスリーポイントの成功率とアシストで牽引し、MVP候補に選ばれていた尊敬する選手の登場に大興奮。自分とは全く違うタイプの存在に、人は惹かれる。
「あの、俺、見てました。好きなんです。ちょっ、あの!サイン!サイン、いいですか!」
しゃがみ込み、通学カバンを漁り始める時任を無視して、秋岡は柚留木の耳元に囁く。
「ここだと面倒だ、話がある、帰るぞ。」
右足を柚留木の体の横へ、左手をポケットから抜き、柚留木の右腕に絡めて、又ポケットへ突っ込む。バランスを崩した柚留木を、左の腰と太腿で支えた反動で押し返し、2歩目を踏み出す。自らの意志と関係無く、自然に身体が運ばれる。「わぉ❣」柚留木の好きなフワリとした感覚。満面の笑みで秋岡に応える。
「うん!でも……あのファンの子、いいの?」
「いいんだよ、結局、がっかりさせるだけなんだから。」
ーまずい!ー
柚留木奪取に動く恒久。
「秋岡さん?も、付属高校……なんですか?」
「稲葉や巻と同じクラスだよ。」
爽やかな声、鋭い眼光と棘のある台詞。あからさまな威嚇。恒久は確信した、秋岡は此処では姿を変えない。やはり、まだ明るく、人通りがあるからなのか、柚留木と腕を組んでいるからなのか、理由は定かではないが、化け物は現れない。
ー迷いは不幸を産む、行くしかない!ー
強行。柚留木の左腕を掴む恒久。
「待って下さい!1つだけ教えて下さい。」
「お前、しつこいぞ。」
右手で強く柚留木の左肩を引き寄せ、怒りに満ちた冷たい視線と嫌悪を飛ばす秋岡。
「稲葉さんは、【蜘蛛】は、何であの日、僕の家にベルトがあるって知ってたんですか?」
「悪いけど、急いでるんだ。稲葉に直接聞いてくれ。」
秋岡に抱き寄せられ、恒久に手を引かれ、悦に入る柚留木。
ーヒロインみたい❣ー
そう思ったのも束の間、恒久が突き出した阿智輪から受け取った【ハチノスツヅリガ】の映り込む写真が事態を変える。
「これ、あなたですよね。柚留木さん。」
「あれ?私?」
「稲葉さんは“有能の証明の為”【蛇】の巻っ人は“お前は、いちゃいけない”って、そう言って襲って来たんです。教えて下さい。どういう意味なんですか!」
「意味?何だろね?しらぬいさんのワンワンが、そう言ってたよ。聞いてみれば?」
誤算。恒久は失意のまま手を離し、柚留木は涼しい顔の秋岡に抱かれ連れ去られる予定だった。
柚留木にとって情報は、褒められる為のツール。成績は多少良くても褒められない。出来の良い兄と比べられ、“それ位は当たり前”で済まされていた。しかし、家族の探し物、町内の特売情報、ご近所さんの趣味に、クラスメイトの好みまで、得た情報は“よく知ってるわね”“ありがとう”と言ってもらえた。それが、柚留木には嬉しかったのに。
「おい、柚留木!どうなってる、お前何を知ってる!」
柚留木の予定とは裏腹に、組んでいた腕をほどき柚留木の両肩を掴む秋岡の手に力が籠もる。稲葉・巻が何故《勝手な事》をしたのか、陣内が提言したビシェシュの問題。それを柚留木美香は知っている。
「え?」
柚留木の体が秋岡から剥がれる。注がれる視線は苛立ちに満ちている。
『syn apse』
絶好のタイミング、恒久は秋岡と柚留木の間へ潜り変身、柚留木を抱え奪取。だがそこへ【フキナガシフウチョウ】が飛来する。
「美香。あんた何してんの!」
最悪のタイミング。柚留木を疑う松浦の目には、【グリア】が柚留木を守った様にしか見えない。
「おい、松浦!どうなってんだ!」
「見てのとおりよ。【グリア】にとって、美香は大事なお姫様なんでしょ。」
事態を呑み込めない時任。
「何!急に何!!」
「ちょっと、【グリア】那知君だっけ?美香が【विशेष】だって分かってやってんの?」
「勿論です。この人は、渡さない!」
「生意気ね。」
不機嫌なオーラと独特な高音が同時に発せられ【グリア】の足元、アスファルトを斬り裂いて見せる。
【フキナガシフウチョウ】
ニューギニア島の山林に生息する。
オスは、頭に2本、白い小旗がずらりと並んだ長いエナメルブルー色の触角のような長い飾り羽をもつ。体長22㎝のボディーに対しその飾り羽の長さは50㎝にも及ぶ。この長い飾り羽は、求愛の時、特殊な筋肉を使って大きく揺らせて見せることでメスを魅了する。
つまり、身長の倍近い長さの鞭を2本、162cmの松浦が変容した姿では、約3Мのソレを自在に振るう。飾り羽は高周波振動により高い切れ味を持ちビシェシュの中でも群を抜いて物理的に攻撃力が高い。
無知は罪なのか、はたまた、知らぬが仏と言うべきか。時任咲也という男は、考えるより先に体が動く。
『syn apse』
音声を残してネイビーブルーの線が走る。弾丸の様な体当たり、勢いに任せた【シュワン】の右肘と額が激しい衝撃音を叩き出す。背中を直撃された【フキナガシフウチョウ】は、その衝撃音に見合うだけ吹き飛ばされた。
「秋岡さん!逃げて下さい!」
「咲也!その人も【विशेष】だよ!逃げろ!」
「え?」
「こっち!」
柚留木を抱えコンビニの裏、雑木林へ飛び込む。急斜面を上がれば団地が近い。コンクリートで補強された崖、生身では無理だが容易に越えられる、時任の初陣は電光石火の退陣劇。秋岡と松浦の急襲から奇跡的に逃れた。
「वापसी」
不意をつかれた【フキナガシフウチョウ】が松浦に戻る。不機嫌なオーラは珍しく表情を歪め、秋岡は近づくのをやめた。何より越猪崇へ【シュワン】の存在と柚留木の消失を報告しておかなければならない。【グリア】は2人いる。大誤差だ。




