19 前途多難
「なに。君って寝れないの?」
「明日もちゃんとやれるかなと思うと、不安で眠れないときがあるんです。あなたは眠れないときはどうしているんですか?」
「そうだなー。俺は羊数えたり、子守歌頭の中で歌ったり? 俺の親は歌ってくれなかったからさ。人が歌ってるの聞いて覚えたやつだけど」
「歌ってください。きっと眠れます」
「えー。音痴だとか言わないでよ」
照れくさそうにしながら、眠れなかったロゼッタに子守歌を歌ってくれた誰か。
ロゼッタは、いつの間にか覚えていた子守歌は誰が教えてくれたものだったのか。ずっと不思議に思っていた。
でも、今ならわかる。
今なら少しずつ思い出せる。
必ず思い出すと交わした約束を果たせる。
「おやすみ。また明日ね」
ロゼッタの髪を優しく撫でて寝かしつけてくれた。
彼は紛れもなく、リューグナー・ライヤーその人だった。
*
知っている歌が鼓膜を揺らす。
深い眠りからゆっくりと浮上してきた意識を受け止めた体は心地良さに包まれていた。
目を開けるのがもったいないほどに気持ちがいい。
まどろみの中を少しの間たゆたっていたロゼッタは自身の髪が優しく撫でられていることに気が付いた。
「ロゼッタ」
切なげにかけられた声に、ロゼッタはゆっくり目を開く。
ヴォルケイスに解放され、リューグナーと共に帰ってきてすぐ。
ロゼッタは異世界転移からくる酔いと睡眠不足による疲労で眠り込んでしまった。
その後のことはロゼッタはまったくわからないのだが、どうやらリューグナーがそのままロゼッタを彼女の私室へと運んでくれたらしい。
ベッドサイドに座り込んで、うとうとしながらもリューグナーはロゼッタの髪を撫でて子守歌をくちずさんでいた。
「その歌。私がお城にいたときも歌ってくださいましたよね」
ベッドに頬杖をついて船をこいでいたリューグナーが、ぱちりと瞬きをする。
完全に覚醒したらしいリューグナーは、目を覚ましたロゼッタを覗きこんだ。
「思い出したの?」
「全部忘れていたわけではないんです。お日様みたいなにおいがした誰かがいたことも、夜になると会いにきてくれた誰かが優しかったことも。少しずつ覚えていました。その誰かが居なくなってから、私はその人を探して夜の散歩をするようになったんです」
「そっか。じゃ、俺がした話が壮大な嘘だとは思われてないってことだ。安心した」
くくっと嬉しそうに笑ったリューグナーはロゼッタの顔にかかる前髪をそっとよけてくれる。
「体調はどう? 熱もなかったし、疲れたんだろうってドルチェは言ってたけど」
「大丈夫です。私、馬車にも酔うので世界を渡って酔ったんだと思います」
「どこも痛くない? 怪我とかは?」
「ないですよ。とっても元気です。子守歌のおかげですね」
微笑んで頷いたロゼッタにリューグナーは安堵した様子で頷く。
見つめ合ったふたりの頬は徐々に朱に染まり、部屋には沈黙が横たわった。
……返事をしたほうがいいのかしら。
ロゼッタの頭の中ではヴォルケイスの城でのリューグナーの告白が何度も繰り返し再生されていた。
返事をするべきなのだろう。
だが、なんといって返事をしたらいいのだろう。
というか、そもそもリューグナーは返事を望んでいるのか?
恥ずかしそうに視線をそらしたリューグナーと同じく、視線を斜め上へとやったロゼッタは沈黙に耐えかねて「あ、そ、そうでした」と辿々しくも言葉を発した。
「あの、えっと。ドルチェから聞いたんですが、私のことを誘拐する前に一年間ほど私を監視されていたとか……。あの、それは何か理由があったんですか?」
「あー、それは……」
「いえ! 言いたくなければ聞かないのですが、その、昨日いろいろと教えていただいたので、そこが、気になってしまって」
嘘だ。
本当はリューグナーにどんな返事をしていいかばかりを考えていて、そんなことはあまり気にしてもいない。
とにかく告白への返事を聞かれるという流れになることからは逃れたくて放った質問が間違ったものだったということに、ロゼッタはリューグナーの答えで気付かされた。
「答えたくないわけじゃなくて、照れくさかっただけ。監視されてたなんて気分悪いかもしれないけど、ロゼッタが幸せにしてるかをチェックしてたんだよ。
ロゼッタがお城で幸福そうにしてたんなら、俺はここでものぐさ魔王としてひとりで適当に生きていこうって思ってた。まあ、そうじゃなかったから連れてきちゃったんだけど」
「私を誘拐するためのルートを確認していたのかと思っていました……」
「そりゃルート確認とかもしてたよ。あとリュミエーラ王国がどういう国なのかとか調べたりもね。魔王様のお仕事の一環だし。でも、ロゼッタがちゃんと笑えて、自由に生きられてるかのチェックが一番重要だった」
ロゼッタを見つめて、リューグナーはその大きな瞳を細める。
鈍感なロゼッタにも、リューグナーが愛しげに自分を見つめていることくらい感じられた。
くすぐったさに全身を羞恥が駆けめぐるのと同時に、ガルディのことも思い出す。
ガルディは『アンジュ』と婚約をかわしていたとはいえ、彼と婚約の儀を執り行ったのはロゼッタだ。
神殿で祝福を受け、神に将来誠に結ばれることを誓う儀式。
ガルディは緊張しながらも神へのお決まりの言葉を述べ、ロゼッタに「幸せにするから」とはにかんだ表情を向けた。
そんなガルディのことを思うと、リューグナーの想いに応えていいのかもわからなかった。
そもそも、ロゼッタは自分の感情に耳を傾け、心の声に従ったなんて経験が極端に少ない。
リューグナーへの感情が恋なのか敬愛なのかすら、よくわからなかった。
告白の返答を今求められたら困ってしまう。
そう思って話題を変えようと思ったのに、とんだ墓穴だ。
こんなに愛しげに見つめられたら、誰だってドキドキしてしまうだろう。
自分がリューグナーを好きなのかなんて、よくわからない。
「ロゼッタ。ロゼッタは俺のこと……」
「リューグナー! ロゼッタはそろそろ起きた!?」
激しい物音をたてて開いたドアがロゼッタが避けたいと思っていた流れを変えた。
ロゼッタに顔を近付けていたリューグナーは弾かれたようにベッドから離れる。
ロゼッタを心配して来てくれた様子のドルチェは、リューグナーの様子を不審がって眉を寄せたものの、ロゼッタの目覚めを確認すると表情を一変させた。
「ロゼッタ! おかえりなさい!」
嬉しそうな声をあげたドルチェがロゼッタの胸に飛び込む。
ベッドに座ったままその華奢な体を受け止めたロゼッタは突然の抱擁をただ受け入れた。
「心配したのよ! 呪いの形跡もないし、大丈夫だろうとは思ってたけど……。どこか苦しいとかもない? 大丈夫?」
「大丈夫よ、ドルチェ。ありがとう」
「よかった」
涙ぐんだドルチェはロゼッタを力強く抱きしめた。
小さな彼女の細い腕は、心をほどく暖かさを持っていた。
「あんたが『アンジュ』かなんて関係ないの。誰も気にしてなんかない。みんな、ロゼッタの帰りを待ってたのよ。誰でもない、『ロゼッタ』の帰りを」
「うん……。ドルチェ。ありがとう。私もあなたに会いたかった」
『アンジュ』ではないから、嫌われてしまったかもしれない。
そんな不安は不要であったし、不安になること自体が失礼なことだったように思う。
ドルチェはもちろん、魔王城の魔物たちもみんな、ロゼッタのことを『アンジュ』として扱ったことは、ただの一度もなかった。
ただひとりの自由な少女として、彼らはロゼッタを見てくれていた。
そのことが嬉しくて、幸せで、ロゼッタもドルチェをそっと抱きしめ返した。
抱きしめあうロゼッタとドルチェをほっとした様子で見つめていたリューグナーは、壁に背を預けて小さく息を吐く。
いよいよ、言っちゃったなぁ。
ロゼッタが『ロゼッタ』としてみんなから愛されていたのだということを自覚してくれたことは嬉しい。
だが、今のリューグナーの頭の中はロゼッタからの返事がもらいたいということでいっぱいだった。
ロゼッタの今まで反応からして好感触。
だが、他人の感情に鈍く、自分の感情にはさらに鈍感なロゼッタがリューグナーへの感情をはっきり認識できているのかは怪しいところだ。
ふられたら長期決戦。
いくらでもロゼッタに振り向いてもらうための努力はするつもりだったが、それなりに深く傷つくことは確かだ。
さっきロゼッタはあからさまに話題をそらそうとしていたように感じる。
もしや、まさかのまさかでふられてしまうのだろうか。
内心もやもやしつつも、まさかドルチェとの再会を喜ぶロゼッタに「ねえ、返事聞いてもいい? ドキドキして死にそう」なんて言えるはずもない。
ああ、早くふたりっきりになれないかな。
そわそわと体を揺らしていたリューグナーは、ハッと身を固める。
魔王城に何者かが入ってくれば、すぐにその魔力と気配でわかる。
侵入者ならこそこそするだろうが、堂々とその目立つ魔力を放っている人物は、図々しいことに『客』としてリューグナーの魔王城にやってきたつもりなのだろう。
ドルチェも気が付いた様子でロゼッタから身を離してリューグナーを振り返った。
「リューグナー。このだらしなーい魔力って……」
「うん……。間違いないよね」
嫌そうに瞳を細めたドルチェとリューグナーは同じような顔をしていた。
少しの間のあと、バタバタと必死な足音が近付いてくる。
死んだ目をしたリューグナーとドルチェ。不思議そうに小首を傾げるロゼッタが見つめる中。
ドルチェが開けっ放しにしていたドアの向こう側に登場したガルディは、怯えと焦りが混濁したような表情をしていた。
「リューグナー! 君の客を名乗る女性が、僕を襲うんだが!」
「いやだぁ。襲ってるだなんて失礼しちゃうわ。愛してあげるって言ってるだけなのに」
ガルディが指さす先から現れたのは妖艶という言葉がぴったりの美女だった。
豊かな胸とすらりと伸びた足を大胆に露出し、色っぽく垂れた目で彼女はリューグナーを見やる。
腰よりも長い紫紺の髪を揺らし、濡れた唇を指先でなぞった美女は「あら」と嬉しそうに微笑んだ。
「リューグナー。久しぶりねぇ。婚約者様が遊びにきてあげたわよ」
ちゅ、と送られる投げキッスをかわしながらリューグナーがぎこちなく見やったロゼッタは呆然とした様子だった。
「こ、婚約者」
衝撃を受けた様子のロゼッタの一言にリューグナーは頭を抱える。
前途多難な恋路には、もう頭を抱えてうずくまる他なかった。




