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部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ  作者: 雲居 残月
ネットスラング編4

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第77話「※ただイケ」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、美男美女がそろっている……はず。そして日々、己の美に磨きをかけた活動をおこなっている。

 かくいう僕も、そういったイケメン紳士な人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな優雅な文芸部にも、ひときわ輝く人がいます。宝石の中の宝石。ダイヤモンドのようなお方。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は手を止めた。僕が顔を向けると、先輩は嬉しそうに歩いてきて隣に腰かける。いつものように、僕と先輩は並んで座る。小柄で可愛らしい先輩が横に来ると、思わず表情がゆるんでしまう。僕は喜びに満ち溢れて、楓先輩に声をかけた。


「どうしたのですか、先輩。またネットで、未知の単語に出くわしたのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットに習熟しているわよね」

「ええ。熟練ひよこ鑑定士レベルで、習熟しています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿に、家でも手を入れるためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで無限とも言える情報の海に接触した。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「※ただイケって何?」


 楓先輩は、僕を見上げながら尋ねた。


「ふっ」


 僕は、イケメンなポーズを取って声を漏らす。


「ねえ、サカキくん。※ただイケって何?」

「ふっ」


 僕は、さらにイケメンなポーズを取って声を返す。

 そんな僕の反応に、楓先輩はきょとんとしている。


 あれ? おかしいな。楓先輩の前に、こんなにイケメンな、サカキくんがいるのに。

 ああ、そうか。僕は重大な事実に気付く。ただイケは略語だ。これでは、楓先輩に分かるはずがない。きちんと説明しないといけない。


「楓先輩。※ただイケという言葉は、あるフレーズの略語になります」

「略語と言うと、省略した形になっているということ?」

「ええ。『ただ』と『イケ』という部分が、それぞれ略されている部分です」

「なるほど。じゃあ、何が略されているか当ててみせるわ」


 楓先輩は明るい顔をしたあと、腕を組んで真剣な顔をする。眼鏡をかけて、真面目な顔をしている楓先輩の様子は、とても素敵だ。僕はその様子を、微笑ましい気持ちで眺める。


「忠司、胃痙攣になる」

「えー、あの、胃痙攣ではないですよ」


「忠司、生け垣を作る」

「忠司さんが生け垣を作って、どうするんですか?」


「それじゃあ、忠司、生け花をする」

「忠司さん大活躍ですね。生け花をしてどうするんですか?」


 僕の突っ込みに、楓先輩はなぜか闘志を燃やす。言葉を操る文芸部員の血に、火が付いたようだ。


「忠司、池袋に行く!」

「忠司さん、池袋に用事があるんですね。それがどう、ネットのフレーズになるんですか?」


「忠司、異系交配される」

「あの……、異系交配って、豚とかと交配させる気ですか? それでは、ホラーかSFの話ですよ」


「忠司、池波正太郎になる」

「どんな、転生物ですか! ちょっと読んでみたいですけど」


「忠司、生ける屍になる」

「普通に怖いですよ!」


 楓先輩は渋い顔をする。

 あの……、僕の方が、渋い顔をしたくなりますよ。


「えー、じゃあ答えを言いますね。ただイケの『ただ』は、『ただし』の略です。これは人名ではなくて接続詞です。

 『イケ』は、イケメンに限るの略です。ちなみにイケメンは、若者語で、いけている面。面は顔の意味ですね。あるいは、いけているMENだと言われています。通して書くと『※ただしイケメンに限る』になります」


 楓先輩は、感心した顔で、僕の説明を聞いている。


「ねえ、サカキくん。この※は何なの?」

「実は、このフレーズでは、※は重要な意味を持ちます。そのため単に『※』と略して使うこともあります」

「たった一文字で、『※ただしイケメンに限る』を表すの?」

「ええ」

「それほど重要な部分なのね」

「そうです」


 僕は、真面目な表情をして、楓先輩に向ける顔の角度を調整する。僕の顔が、最もイケメンに見える角度だ。これで、楓先輩が、僕に惚れること間違いなしだ。


「※は、約物記号の一つで、米印と呼ばれるものです。この記号は、主に文章で注釈を付ける際に使用します。つまり『※注釈の文章』で、その直前の内容に、補足的な説明を加えているわけです」

「ということは、ある文章に対して、ただしその内容はイケメンに限ると、注釈を加えているというわけなの?」

「そうです」


 僕は、さらりと髪を払ってイケメン主張をする。そして、女の子たちが失神しそうな笑みを浮かべて、話の続きを語る。


「人間は、様々な認知的なバイアスを通して物事を見ます。そういった認知的なバイアスには、様々なものがあります。


 たとえばアンカリング、係留というものがあります。人は、意志決定をする際に、特定の情報に過度に注目して、その情報に引きずられながら調整をおこないます。

 プロスペクト理論というものもあります。プロスペクトというのは、期待、予想、見通しという意味の言葉です。人は、利益が期待できる場合には堅実になり、損失を被る可能性があるとギャンブラーになるという理論です。


 自己奉仕バイアスというものもあります。成功した時は、自分自身が要因だと考え、失敗した時は、制御不能な周囲の状況が要因だと考えるものです。

 コンコルド効果というものもよく知られています。すでに投下した埋没費用を無駄にすることを恐れて、さらなる損失を出し続けるという状態を指します。

 確証バイアスもあります。先入観で他者を観察して、自分に都合のよい情報だけを見て、その先入観を補強するというものです。


 このように人間は、様々な認知的なバイアスを持っています」


 僕はそこで言葉を切り、楓先輩の様子を確認する。先輩は、熱心な様子で聞き入っている。よし、僕の知的な姿に、ほれぼれとしているぞ。僕は意気揚々と、その先の説明をおこなう。


「※ただイケも、そういったバイアスが関係している言葉だと言えるでしょう。イケメンであれば、どんな行動や状況も、よいものとして捕らえられる。逆に言えば、第一印象が悪ければ、どんな行動や状況も、悪いものとして受け取られる。

 そういった状態を、イケメンではない人が自虐的に唱える言葉。それが『※ただイケ』です。


 例を挙げましょう。


 貧乏でもがんばってる人は素敵。※ただしイケメンに限る

 学歴なんて関係ない。※ただしイケメンに限る

 女性に気軽に声をかける男性はもてる。※ただしイケメンに限る

 今、オタクが大人気。※ただしイケメンに限る

 夢を追い続ける男は格好いい。※ただしイケメンに限る

 少しエッチな……。※ただしイケメンに限る


 このように、『今何々がもてている』『大人気』といった、マスコミの煽り記事に対して、いやいやご冗談でしょう。そういったのが当てはまるのは、イケメン様に限りますからといった、自嘲と自重の気持ちから書かれることが多いのが、この言葉の特徴になります」


 僕は、軽やかな口調で一通りの解説を終えた。そして、ほら、目の前にそのイケメンがいるでしょうといった様子で、ポーズを取りながら楓先輩の反応を持つ。


「なるほど。イケメンではない人が、自虐的に使う台詞なのね」

「そうです。だから、僕みたいな人間は、使う機会がないですね」


 楓先輩は、きょとんとしたあと、首をわずかに傾けた。

 あれ? なぜ、そんな反応なのですか。

 イケメンの僕は、使う機会がない。それは自明なことですよね。疑問を持つところではないですよね。そこは、なるほどと、思うところですよね。

 僕は楓先輩に、今の間の真意を聞いてみた。


「※ただイケって、イケメンじゃない人が使う台詞よね?」

「ええ、そうですが」

「サカキくんは、普通に使える台詞じゃないの?」

「ええ~~~~~~っ!」


 僕は驚きの声を出す。

 おかしいぞ。おかしいぞ。僕の想定と違う。これは何かの間違えだ。いったい、どうしてこうなった。

 これは、きちんと楓先輩の認識を確認しておいた方がいい。何らかのバイアスがかかって、僕のことをイケメンではないと誤認している可能性がある。よし、まずは現状認識からだ。楓先輩が、僕のことをどう思っているのか確認しよう。


「あの、楓先輩。質問があるのですが」

「何?」

「僕を、イケメン、フツメン、キモメンに分類すると、どの位置になるでしょうか?」

「フツメン、キモメンって何?」

「フツメンは普通の人、キモメンは気持ち悪い外見や振る舞いの人といった意味になります」


 楓先輩は、困ったような顔をして考え込む。えええ? そこは悩むところなんですか? 僕は恐ろしくなって尋ねる。


「イ、イケメンですか?」

「それは違うと思う」


 即答だった。僕はうな垂れながら次の問いに進む。


「それでは、フツメンですか?」

「……」


 何で、そこで難しそうな顔をするんですか~~~~~!

 僕は、聞いてはならない質問をしてしまったことを後悔する。もしかしなくても、僕自身がバイアスに汚染されていて、正常な自己判断ができなくなっていたのか? そ、そんな馬鹿な~~~!


「サカキくんは……」

「はい、サカキくんは……」

「フツメンとキモメンの間ぐらい?」


 よかった~~~~。キモメンと言われると思っていたから、随分得をした気分になった。イケメンではなかったけど、キモメンでもなかったらしい。僕は安心して会話を終え、再びネットの海にダイブした。


 それから三日ほど、楓先輩は僕が何かを言うと、すかさず「※ただしイケメンに限る」と付け加えた。えええええ。それはご無体ですよ。「ちょっと、トイレに行ってきます」「※ただしイケメンに限る」と返されても、僕はどうすればいいんですか?

 そうですね、はい。何をするにも『※ただしイケメンに限る』ですよね。僕は、次に生まれてくる時は、イケメンがいいなと思いました。


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