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俺の仇は俺が討つ!!   作者: 魔桜
episode.03「灰色の悪魔は真実を嘯く」
23/34

phrase.22「――私には、帰る家がないんだ」

 紫苑は俯きながら、ホテルの廊下をとぼとぼと歩く。

 フイファンに痛めつけられた身体が、まだ骨がギシギシ鳴っている。

 『住居区域』に設置されたホテルの廊下は長いはずなのに、これから感じるであろう気まずさを想像していたら、すぐに自室の前まで着てしまった。

 あれから一人でここまで歩いてきたのだが、恐らくはもう部屋の中には同居人がいる。

 もうすっかり夜の帳は降りてしまっていた。

 落ち込んでいたままの紫苑は、何をするわけでもなくただぼんやりとしていた。そうして停滞していたままでは、何かが解決する訳でもないのに。

 どんな顔をすればいいのか分からないまま、紫苑がドアノブを回すと、

「……あっ」

 どちらが先に漏らした声かは分からないが、きっと同じような顔をしていた。ヒートリンクスはもう寝間着に着替えていて、就寝するつもりだったらしい。

 そして、二人とも無言。

 重力の比重が増しているかのようだった。

 紫苑はこの重苦しい空気を感じていないように、明るい表情を努める。いつも通りの自分を演じて部屋に入りこむと、ヒートリンクスは怯えた小動物のように後ずさる。

 もう、傷つきたくない。

 そう言いたげな顔をされてしまった紫苑は、力なく肩を落とす。自分の不甲斐なさに腹が立ちすぎて、噛んだ唇から血がでそうだった。こんな時、まともに他人をフォローをできない自分の浅い人生経験が口惜しすぎて、視界が真っ白になる。

「あのな、俺……」

 それでも、この場をなんとか繋ごうとする言葉を漏らすが、続きを思いつかない。

 むしろ言葉を出す前よりも、沈痛な空気になってしまった。何度も口をアウアウと開閉して、何かを紡ごうにも、それは全て言い訳になりそうだった。自己弁護でしかなり得ない言葉を吐いたところで、きっと自分が楽になるだけだ。

 怖くて、怖くてしかたがなかった。

 ヒートリンクスの気持ちを理解することができなくて、彼女を泣かせてしまった。その事実だけが肩に重くのしかかって、これ以上この場にいてもいい資格なんて、紫苑にはきっとない。

 これ以上、この場にいたところで、ヒートリンクスは悲しみの感情を増幅させてしまうだけだ。

「……ごめん。今日は他の所に泊まるから」

 今の紫苑にできる精一杯の誠意は、ただ謝るということしかなかった。何について謝っているかすら分からなくて、ただ謝っただけ。そうすれば、少しでも心に残る罪悪感を軽くすることができるから。

 そんな卑怯な言葉を残して、紫苑は踵を返す。

 冷たくなってしまっているドアノブに手をかけ、外の廊下が見える隙間をどんどん広げていく。そして、逃げ道へと足を一歩踏み出そうとすると、

「……ちょっと、待ちなさいよ」

 後頭部にパフン、と何かが当たる。

 床に落ちた枕から視線を上へと持っていくと、そこには頬を膨らませたヒートリンクス。

 ベッドに片足を沈めながら、相当怒っているようだ。何を言われるか分かったものじゃない。だからこそ、どうしようか、部屋に入ってもいいのかと躊躇ったものの、その迷っている挙動が火に油を注いだらしい。

「いいから、来なさい」

 怒気を孕んだ瞳をしながら、ベッドをポンポンと叩く。そこは、立て膝を立てているすぐ隣。つまりは、ヒートリンクスのベッドだったのだが、それを拒絶できるほどの余裕はなかった。

 尊厳とか威厳とかそんなものかなぐり捨てながら、紫苑は慌てふためながらヒートリンクスの言うとおりにした。ベッドにおずおずと腰掛けながら、どうすればいいのかも分からず、取り敢えずできることをやってみた。

「その、ごめ――」

「ごめん。私も悪かった。あの時は明るく話して誤魔化そうとしたけど、それってやっぱりだめだよね」

「……あっ、え、っと…………」

 いきなり謝ってきたヒートリンクスに虚を突かれ、言葉を失う。こちらが本来は謝るべきなのに、それでもあちらから謝罪してきたヒートリンクス。

 紫苑が何かを言おうとすると、首を横に振る。

 何も言わなくていい、もう許しているからとでも言いたげ動作。不覚にも胸のあたりにまでせり上がってくる感情の塊を感じて、んぐっと唇を引き締める。

 辛かった。

 正直、なんであんな訳のわからないことを言ったんだよ、っていう思いも紫苑にもあった。

 だからこそ、謝る理由が見つからなかった。それでも、なんとかその場を収めようという打算的な思い。そんなことを考えていたから、ずっと腹の当たりに重りがあるかのようだった。

 だけど、そんな暗い感情の霧を、一瞬で霧消させるようなヒートリンクスの表情。晴れやかで、闇を明るく照らす日輪のようだった。

 馬鹿らしくなった。

 うじうじ苦悩している自分自身が、ほんとに馬鹿らしく。

 いつの間にか、紫苑もにへらと笑みを作る。笑うことで、この一瞬だけでも戦わなければならない悲しみを消すことができるのなら、それでいいと。

 だが、紫苑が油断しきったところで、ヒートリンクスはピキッと青筋を立てた。

「……それで、紫苑はどこに泊まろうとしたの?」

「え!? それは、その――」

「まさか、フイファン先輩のところじゃないでしょうね。明日入学最終試験だっていうのに、いったいアンタは何をしようとしたの?」

 なぜか言い訳するかのように紫苑は言葉を重ねる。

「な、なに言ってるんだよ!? フイファンとは、その、まだそういう――」

「『まだ』って言った? いま、『まだ』って!? いつかそういう関係になるってこと!?」

「そういうんじゃないって!! 今のは言葉の綾っていうか、そういうので。……それに、フイファンには今日ボコボコにやられたから、泊まるとか……それどころじゃないんだよ」

「……そういえば、アンタぼろぼろね」

 ポツリと、水面に波紋を投げかけるような言葉。

 静寂は再び訪れた。

 私のせいで、と言いたげなヒートリンクス。それを否定するのは、言葉を投げかけることは簡単だけれど、なんだかそれを望んでいないように視えた。

「まあ、ボロボロになるのは、フイファンと出会ってから慣れっこだからな」

 嘘や冗談ではないということが恐ろしい。

「……そっか。フイファン先輩けっこう厳しそうだもんね」

 ヒートリンクスの表情に翳りが見えた。

 元気づけさせるために紫苑は、軽口を叩くように思い出話を語りだす。

「この学園に来てからも、ボロボロになったけどな。……入学式にヒートリンクスと出会って、」

「――出会って。それからストンホルムの『アウスグス』との戦いでボロボロになって、」

「……いや、ボロボロになったのはヒートリンクスだけだったような」

「そう。そうよ! 私だけだったわよね。……誰かさんが助けてくれるのが遅れちゃったから」

「……ご、ごめん」

「あー、もう、ただの冗談。そんな落ち込まないでよ。……それから、」

「――それから、朝おきたら濡れ衣を着せられて、ヒートリンクスに殺されかけて」

「濡れ衣じゃないでしょ。アンタは私の下着を――って、これもカウントするの?」

「……それから、装具店で『乖離幻想体』に襲われたよな」

「そうそう、アンタ勝手に突っ込んでいって死にかけたわよね」

「ヒートリンクスだって、勝手に暴走しかけたんだろ。『国斬り』先輩に聞いた話によると――」

「そうよ、思い出したわ。あの人とアンタの関係については、後でじっくり聞くとするわ」

 ごくごく自然に、気がつけば流暢に会話を交換し合っていた。

 なんだかこうなるのが当たり前のように、二人は笑い合っていた。それは、多分……暗い明日のことを忘れるための現実逃避だったのかもしれない。だけど、それでもにこやかに、なんの淀みもなく会話を広げていった。

 昔話に花を咲かせる。

 それが後々になって、どれだけ重い枷になるのかが分かっていながらも、辛い現実に直面しなければならない今となっては、そうすることしかできなかった。

「なんだか、こうして思い返してみると、この一ヶ月間でいろんなことがあったよな。……この学園に来る前じゃ考えられないことばかりあった。俺は、だけどな」

「そうね、確かに。私も……結構楽しかった。楽しすぎて、まるで今日までの学園生活が全てが夢だったみたいだった」

 掛け布団を足でたぐり寄せながら、ヒートリンクスは体育座りになる。

 辛い表情を隠すように、毛布のかかった自分の足に顔を埋める。悲しそうに何もかも捨てるようなそんな言い方をするヒートリンクスが気に食わなくて、紫苑は怒ったように声を荒げる。

「まだ、終わってないだろ」

「……そっか、そうだったね」

 ここにいる二人のどちらかが学園を去らなければらない。そして帰った先で何を思うのか。戦った相手を恨みながら、そのまま過ごしていくのか。

 紫苑はとりとめのないことを考えていると、ヒートリンクスは頭を上げた。


「――私には、帰る家がないんだ」


 とっさに返答できない紫苑を見て、ヒートリンクスはちょっと笑った。

 そうすることで、自分の発した言葉がすこしでも軽くなるように。少しでも、紫苑に重みを感じさせないようにするように。 

「私の本当の家なんてもうなくて、血の繋がっている家族なんて……もう、誰もいない」

「……でも、ここに来るまでに住んでいた家は?」

「この学園に来る前は、偽物の家族と一緒に暮らしてたのよ。その家は広いのに息苦しいんだよね。言動すべてに点数をつけられる。全てを監視されている。――だから、私には帰れる場所なんてないんだ」

 何いきなり言ってるんだろうね、馬鹿だよね、とヒートリンクスは自分を傷つけている。そうでもしないなければ、自己を保てないようだった。

 体がバラバラになりそうで、見ているこっちが痛々しくて。

 もどかしかった。

 ヒートリンクスを見て、こんな気持ちになったのは初めてだった。どうして紫苑には何もできないのだろうかと思った。

 彼女と敵どうしになった今となっては、どんな慰めの言葉を吐けるというのか。嘘をつけるのだと言うのか。だったら負けます、手を抜くよ。……なんて言えない、言えるはずがない。

 紫苑にだって、この学園にきた理由がある。

 それがある限り、ヒートリンクスの境遇に同情することはできない。その言葉を吐いてはいけない。そうしたら、もう明日本気で戦うことができなくなってしまうから。

 そして何より、フイファンのことがある。

 あいつはいつだって、自分が一番傷つく選択肢ばかりとる。

 誰かを助けるためには、どんなに自分がボロボロになったところでいいと思っている。他人のためにその身を投げ出すことで、誰かが救われるのならそれでいいと。

 そして、決して泣き言を漏らすことはない。

 そんなフイファンが何かを考えているのかなんて、やっぱり紫苑には分からない。だけど、フイファンは紫苑の命を救いだしてくれた。それは事実で。フイファンを守りたいと思っている。

 不器用にしか生きることのできないフイファンを守るために、紫苑はフイファンのいるこの学園からいなくなるわけにはいかない。

「私は相手が誰であろうと、負けるわけにはいけない。……絶対に」

 ヒートリンクスの瞳に、意思の炎が灯る。

 淡く、消え入りそうな炎。

 それなのに、今まで見た中で一番燃え盛っているように見えるその瞳から、目を離すことなんてできなかった。

「俺だって、負けたらフイファンに何をされるか分からないから。……だから、俺だって負けられないんだよ」

「だったら、本気で向かってきてね」

 二人して本気な表情をしながら、それでも言葉はフラット。なんだかそれだけで意思疎通できたみたいで、お互い何が言いたいのかわかったみたいで、大声で笑った。

 二人して、何を言っているんだろうって。

 敵同士なはずなのに、なんでこんなに和気あいあいしているんだろうって。

 そんなことを思いながら、バカみたいに笑った。

 笑いすぎて、ヒートリンクスの瞳から涙がこぼれるぐらいに。

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