phrase.19「人脈があるってことは、それだけで武器」
「旦那! ちょっと待って欲しいッス」
午前の授業が終わり、廊下を歩いていた紫苑。
生徒でごった返す集団の中、窮屈そうに後ろを振り返る。すると、眼帯代わりに包帯を巻いている長身の男が走り寄ってきた。
「ああ、アシュレーか。……なんだかやつれているように見えるけど、大丈夫か?」
顎が尖って、顔の下半分が青白くなっている。
精神的に疲弊しているように、痩せこけているように観える。
「そ、そっスか? ……まあそれも仕方ないといえば、仕方ないッス」
「……どうかしたのか?」
「同居人のせいで、精神的にきてるんスよ」
「……どういうことだよ?」
「想像して欲しいッスよ。部屋に戻ればあの陰気な顔した男が、ずっと無言で部屋にいるんスよ? 部屋でやることといえば、チェスッス、チェス。……しかも、何をやっているかと言えば一人チェスッスよ。あの居た堪れない空気に、アッシはこれ以上耐えられる自信がないッスよ」
身振り手振りを加えながら説明するアシュレー。
どうやら相当まいっているらしい。
同居人がヒートリンクスで良かったなと思いながら、紫苑は提案してみる。
「チェ、チェスを一緒にやってあげればいいんじゃないのか?」
「冗談は辞めて欲しいッスよ。もしも下手に声かけて、あんなバケモノの機嫌を損ねたら、アッシみたいな雑魚はひとたまりもないッス。ただでさえ、明日の入学最終試験でピリピリしてるッスから」
入学最終試験。
ついに明日行われるのだが、はっきりいって全く自信がない。
紫苑の能力はどう考えても、実戦向けではない。というよりは、『隷属』であるということ自体が圧倒的に少数派。強制参加の新入生は『操術師』がほとんどであることが、自信を喪失させている。
「まあ、色なしは、合格は絶望的ッスからね。アッシと旦那の二人とも残っていることを祈ってるッス」
「そういえば、どんな試験やるのか決まってるのか?」
「それが、どんな試験をやるか分かってないんスよね。実戦の超難関試験ってことだけは分かってるんスけど、それ以上は……。アッシは情報を集めてみたッスけど、どいつもこいつも口が堅いッス。ってことは、試験は相当やばいんじゃないんスかね」
アシュレーは軽い口調で言うが、どんな方法で情報を集めているのか分からない。
最初は、アシュレーが物知りに思えたのは、紫苑が世間知らずなだけかと思っていた。
だが、この学園で通ううちに、アシュレーの情報収集能力は並みではないことが分かってきた。
「そうなんだよな。フイファンや『国斬り』先輩も、その話には触れて欲しくなかったみたいだしな」
思い返すと、どちらも顔を渋っていた。
いくら空気が読めなくても、あれほど露骨にプレッシャーをかけられれば閉口せざるを得なかった。
アシュレーは横で歩きながら、
「そういえば、旦那って『国斬り』先輩と最近親しげッスよね。パイプが着々と構築できていて、羨ましい限りッス。うーん。できれば、今度紹介して欲しいッス。どうか、お願いするッス」
できれば、という言葉。
ペコペコと頭を下げている様子。
その割には、どこか強引そうな口調に、紫苑は無意識的に回答を渋る。
「うーん。あの人とは、ちょっと話しただけだしな。勝手に俺が紹介してもいいのかな」
「人脈があるってことは、それだけで武器になるッスよ。特にこの学園を生き抜く上では重要なことッス。だから、頼むッスよ。アッシも利用できるものは、なるべく利用したいんス」
「わ、分かった。今度会ったときにで――」
「約束ッスよ! ……そうッスねえ、明日の試験が終わったら祝杯あげないッスか? この学園に生き残ることができたお祝いってことで!」
一方的な口約束に、一瞬反駁しそうになったが、紫苑は言葉を飲み込む。
(……祝杯か。悪くないかもしれない)
「……そうだな。だったら、ヒートリンクスも誘おうか。まあ。あいつのことだから、試験は軽くパスするだろ」
「あー、あの……。まあ、そうッスね。あんまり気乗りはしないッスけど、あいつも一緒に祝杯を上げるとして、場所のセッティングはあたしがするとして、料理の方は――」
雷鳴のような轟音が廊下に響き渡る。
廊下にいた生徒全員が、驚愕に満ちた顔で音を出した張本人に視線を集中する。
誰かの操術じゃない。
ただの、紫苑の腹の音だった。
トマトのように顔を赤くしながら、紫苑は床に視線を落とす。
無限にも似た瞬刻が流れる。
気まずげにしていたアシュレーは、やがて最善の提案をしてくれた。
「……まずは今日の昼飯、食べに行くッスか」




