phrase.18「……これがおまえの『纏術装具』だ」
第一印象は、小汚い部屋。
狭く埃っぽい研究室には、『纏術装具』が乱雑に置かれている。
天井の四隅には、大きめの電球が部屋を薄らぼんやりと照らす。その電球を繋げる導線は、部屋の端の机に収束していた。導線の集まるガラス細工の球体の中身は、緑色の煙が煙草の煙のように渦巻いている。と思いきや、色が次第に青に変わっていく。
紅い髪の少女は訝しげな顔をする。
部屋の主には座っていいと言われたが、どこにも座る場所がない。ソファの上に置かれていた、魔術師が所持していそうな杖を手でどかすと、
「あまり気軽に触ってくれるなよ、乳女。『乖離幻想体』のせいで、ただでさえ在庫がないんだからな」
「……どうせ、買う人間なんていないわよ」
「なんだって?」
「い、いいえ。なんでもないです」
ブンブンと、ヒートリンクスは手を振る。
独り言の音量だったが、対面するソファの距離では筒抜けだったようだ。
「でも、教員だったんですね――アマリアスミス先生」
酒瓶を片手に、股を豪快に開いて座っていたのは、アマリアスミス。
ミルクのような頬の白肌は、酒の影響で紅潮している。
左半身の機械は足首まで喰らいつくように、備えられている。
「教員ともなると、お忙しいんじゃないですか?」
「ふん。教員なんて、テキストを喋る機械人形でしかないからな。授業自体は楽な職業なんだが、学園は人ごみに酔うから嫌いだ」
アマリアスミスは、グイッと酒を口に含むと、
「それにしても、怪我はあれから一ヶ月で全快したようだな。大した回復力だ」
「……いいえ、アマリアスミス先生の方がすごいと思いますけど。だって、一ヶ月前でさえほとんど無傷だったじゃないですか」
「私の体の半身は『纏術装具』だからな。他の人間よりは丈夫にできている」
『乖離幻想体』の事件から一ヶ月。
教壇に立つと、その姿が見えないほどの低身長だった。
最初は違和感があったが、今では敬語を不格好に使える程には慣れてきた。
「そういえば、私をここに呼んだのはどうしてですか?」
「そうだった。……そうだったが、その前にお前に訊きたいことがある。――お前は、何のために『纏術装具』を買い求めてきたんだ。一ヶ月前は、お前の答えを聞きそびれた……それをまず聞いておきたい」
「それは……」
虚を突かれて、驚くヒートリンクス。
『纏術装具』の話を、あれからアマリアスミスからしてきたのは初めてだったからだ。
伝えたいことを間違えないよう、ヒートリンクスは慎重に言葉を選ぶ。
「あの時は、罪滅ぼしのためだけに必要でした。誰かを救うことで、少しでも自分の過去を忘れることができるのなら、少しでも強くなれる可能性のある『纏術装具』を扱いたいって思ったんです」
「あの時は……というと、今は?」
こちらの出方を伺うような、試すような言い方に、ヒートリンクスは躊躇う。
だが、過去の失態を思い出し、悔しそうに拳を握りしめる。
「一ヶ月前の事件で、思い直したんです。結局私は、あの時何一つできなかった。何一つ救うことなんてできなかった。……だから、もっと私は強くなりたいんです。……もう、罪滅ぼしのためだけじゃない。大切なものを守るために、『纏術装具』が私に必要なんだって……今は……思っています」
「大切なもののため?」
「はい。私のことを認めてくれた人のために……もっと上に行きたいんです」
ヒートリンクスは、自分自身が何者かすら分かっていない。
本当の名前も、自らの精霊のことも。
でも、そんな人間でさえも、何かができるかもしれないと思えることができた。
「自分の力を押さえ込むことすらできない。そんなお前が?」
「はい! ……だからこそ、私はもっと強くならなきゃいけないんです」
アマリアスミスの神経を逆なでするような言葉にも、紅い瞳は揺れなかった。
つまらなそうな顔をすると、アマリアスミスは「そうか、だったらこれを持っていけ」と机の上にゴトン、と布に包まれたものを置く。
「……これがおまえの『纏術装具』だ」
「え?」
「お前の性質に合うように造った特注品だ。これでお前の弱点も、少しは克服できるだろうよ」
「い、いいんですか?」
「良いも悪いも、お前が頼んだんだろうが」
「でも。……そうだ、お金を」
「遠慮するな、金もいい。『国斬り』からたっぷり貰って今はだぶついているぐらいだ。倒壊した家の修理費だと言っていたが。……この学園に住み着いた今となってはな」
教員も『住居区域』に滞在することが義務付けられている。
アマリアスミスにも部屋が用意されているのだが、だいたいは、この研究室に寝泊りをしているようだ。其の辺にかび臭い毛布が転がっている。
「あの人が?」
「ああ。私もいいとは言ったんだが、あの事件の原因の一端は自分にあると聞かなくてな。断りきれず貰っといた」
「……あの人、そんな人だったんですか?」
どんな人間なのか、新入生であるヒートリンクスは知らなかった。紫苑に聞いても、会ったばかりだとしらを切られた。だから興味津々で腰をソファから半ば浮かして、耳を傾ける。
「金の亡者だと、あいつはみんなから言われているが、私はそうは思わない。ただフェアなだけだ。どちらにも偏よらずに、バランスをとり続けている。だからこそ、味方も多ければ敵も多いんだろうな。あいつは……」
「仲、いいんですね?」
少し意外に思ってしまった。
天真爛漫な『国斬り』と、他人と接するのが億劫そうなアマリアスミス。
正反対な性格で、話が合うとは思えない。
「そう……だな。もう、あいつとは二年の付き合いになるか。私はあまり多くの人間と関わるような人間じゃない。だが、だからこそ知り合った人間とは深い関係になるのかもな。……正直、あの奔放さを疎ましく思う時もある。だがな、たまにあいつが――」
握っている酒に目を落とす。
横に揺らすが、もう酒は入っていない。
アマリアスミスはふっと感傷に浸るような微笑をする。
「いや、よそうか。これ以上は酒の肴になりそうもない。まあ、お金を出したのはあいつが最近ご機嫌だったこともあるだろうがな」
「ご機嫌って、何かあったんですか?」
「本人に聞いてないのか? 黒獅子のやつが、助っ人料を払えなかったらしくてな。色々と体で支払ったと私は聞いているが」
「……か、体で? ……それって、どういう意味ですか?」
ヒートリンクスは顔が強ばる。
何かを想像したのか、顔面蒼白になる。
「さあ、私も『国斬り』から少し話を聞いただけだからな。あいつのなんでも屋としての手伝いとか、そういう――」
全てを言い切る前に、ヒートリンクスは立ち上がる。なにを、と腰を上げるアマリアスミスのことを無視すると、
「ありがとうございました!! 本人に問いただしてきます!!」
バタン!! と、研究室のドアをぶち壊す勢いで閉め、ヒートリンクスは廊下を走った。




