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俺の仇は俺が討つ!!   作者: 魔桜
episode.02「深紅な精霊師の小休止」
15/34

phrase.14「生きる覚悟なら、とっくの昔にできているんだ」

「結局、売ってもらえなかったな。どうするんだ? 他の店で買うのか?」

「ううん、いいや。なんだかこの店で買えなくて、他の店で買ったら負けな気がするし。……何度かここに通って、あの人と粘り強く交渉していってみようかなって思ってる」

 背の高い草叢は膝の高さまであって、歩くのが億劫だ。

 足で掻き分けながら街までの道程を、二人一緒に歩いている。

 目的を果たせなかったヒートリンクスは、意外にも前向きな発言。そんなことよりも、大切なことがあるかのように真っすぐ前を向いていた。

 ヒートリンクスは逡巡しながらも、紫苑のほうを見ることないまま、口を開いた。

「だから、だからさ……」

 言葉を探すように言うヒートリンクスに、紫苑は妙に浮足立ってきた。

 よくよく思い返してみれば、こうして二人きりになって、真摯に接したのは初めてだったのかもしれない。

 今朝、あまりにも綺麗な肢体を見てしまったせいで、一緒にいるのは気まずかった。女性とどうやって話せばいいのかなんて、紫苑にはたたでさえ分からない。それなのに、あんなことがあったのなら尚更だ。

 そんな動揺を悟らせたくがないために、車内ではなんでもないように装っていただけだった。

 ヒートリンクスは、きっとそんな紫苑の馬鹿みたいな葛藤を知らない。煽情的な格好で如何にも恋愛経験豊富そうなヒートリンクスには、こちらの気持ちなんて到底理解できないだろう。

「付き合ってくれないかな? 私と。……その……できれば、私の気が済むまで! ……嫌なら、いいんだけど?」

 百戦錬磨な彼女のはずなのに、何故だかもたつくように声を出す。

 語尾を話した時には、自信なんて皆無な表情でそっぽを向いていた。紫苑がこの申し出を断ることを決定づけているいるかのように。

 そんなことが、ただの杞憂に過ぎないってことを紫苑は告げた。

「……どうせ、嫌って言っても付き合わされるんだろ?」

「そうとも限らないわよ。……ほんとに、嫌なら……私は――」

「いいよ。どうせ俺がやれることなんて今のところないし、ヒートリンクスに付き合っても、俺に都合が悪いなんてことないからな」

 拗ねたように話すヒートリンクスは煩わしくて、だけどそんなところがちょっとだけいいなと紫苑は思ってしまった。そんな稚拙な考えを持ってしまった自分のことが恥ずかしかった。恥ずかしついでに、もっと恥ずかしいことを考えてしまった。

 ……ヒートリンクスと一緒に行動してもいいってことを。

 紫苑はこの学園のことも、操術のことも知らない、生まれたての赤子のようなもので。だから、頼りになるヒートリンクスと一緒にいたいって感情は自然発生した。

「……そっか。……良かった」

 紫苑の発した言葉を、胸の内に染み込ませるようにヒートリンクスは笑う。

 剥き出しの表情を見せられて、紫苑はバッと視線を外す。

(……卑怯だって、その顔は……)

 演技なしってところが、さらに性質が悪い。

 ヒートリンクスは、いきなり首をそむけた紫苑に、どうしたのかと怪訝な表情を見せる。横からじぃと眺められるのは、拷問に近い。だから、視線を肌で感じていた紫苑は話を蒸し返した。

「っていうかさ、こちらこそお願いしたいぐらいなんだよ」

「……え?」

「俺、ここのこと分からないことばかりだから、ヒートリンクスに色々なこと教えて欲しいんだよ。『隷属』になったのも、つい半年前で実感湧かないし。だから、こうやって街を案内してくれて、色々と知れるとほんと助かる」

「いいのよ。私だって、アンタとこうして話すの楽しいんだから。……でも、だからといって不遜な態度をとらないでよね。同居人のよしみで、こうやって――」

「ああ、分かってるって、そんなことぐらい。同居人が誰であろうと、ヒートリンクスが助けてくれるやつだってことくらいな」

 いちいち確認するように言われなくても、そんなことはずっと前から分かり切っているんだ。

 この学園に来る前は、こういう時に調子に乗ってしまって勘違いすることが多かった。期待して、それで勝手に裏切られたと思って、落ち込んだ。

 だから、もう同じ轍は踏まない。

 なにせ、ヒートリンクスは見ず知らずの紫苑のために、『アウスグス』に相対するほどの人間。他人のために何かをできる人間。

 これが、紫苑個人だけに与えられる親切だと不遜なことは思えるわけない。

 だけど、ヒートリンクスは得心していないように、唇を尖らせる。

「……あのねえ。本当にそうだったら、私がわざわざ口に出すわけないとか考えないわけ?」

「えっと、なんかごめん」

「訳もわからず誤らないんでよね。……はあ、どうして分かんないのかな?」

 馬鹿にするというよりは、諦めきった声色。

 ヒートリンクスは睥睨するように見やると、

「私のことをバケモノ扱いしない紫苑だから、私もこうやって普通に話せる。他の人にはそれが普通のことでも、それは私にとって特別なことなのよ。ほら、アシュレーだって言ってたでしょ? 私のことをバケモノだってね」

「それは……」

「いいのよ、そんな顔しないで。アシュレーの言う通りなんだから。私はバケモノなの。それは、人より能力があるからってだけじゃなくて……私の生い立ちが関係しているから」

「生い立ちって……」

「力を持ってしまうと、どうしても他人に避けられる。そして、ずっと私は独りきりだった。私のことを知っている人間なら、絶対に私とこうやって普通に会話してくれないもの。……だから、アンタは私にとって救世主みたいなものかも知れないわね」

「そんなことないだろ」

 紫苑には到底理解できなかった。

 こんなにも普通の女の子なのに、どうしてこんなことを口にするのか。

 どれだけの闇を背負っていたら、こんな当たり前のことを尊いことのように話すのか。

 つらそうな顔をしているのに、そんなにもこちらの気を遣って、あくまで軽い口調で言えるのだろうか。

「そうね、アンタは『昏鐘鳴の悪魔』の『隷属』だもんね。そっか。だから、もしかしたら私のことも普通に見えるのかも知れないわね。……ごめん。ちょっと皮肉っぽい口調になっちゃって、しかも不幸自慢みたいになっちゃって……。今までのやつは綺麗さっぱり忘れてよ」

 ヒートリンクスはしくじったといった顔をしたが、すぐになんでもないことを示すかのように平然とした。一連の動作には堂に入っていて、紫苑はそれが無性に気になった。

「何があったんだよ」

「あのね。だから、私のことは――」

 ヒートリンクスは、紫苑の決して引きそうにない頑固な顔を視認すると、観念したかのように嘆息する。

「……なんで、こういう時は察しがいいのかな……」

 あのね、私は……と続けようとしたが、その言葉の続きを聞くことはできなかった。

 ヒートリンクスはえっ、と何か気配を感じたように足を止める。

 紫苑もなにか不穏な空気をその身に受けて、そして気がついた。

 およそありえないほどのでかい影が、二人の体をすっぽりと覆っているということを。振り向いてはいけないとは思いつつも、何事かと視線を向ける。


 そこには、巨大な腕がまるで三本目の煙突のように聳えていた。


 あっ、と悲鳴を叫ぶ直前で、腕が高速で振り下ろされる。咄嗟に動けなかった紫苑を、ヒートリンクスが庇うように地に伏せられる。

 爆発のような破壊音。

 ガキッバキッバキッと、アマリアスミスの装具店を半壊させた。ズブズブと闇の沼から、次第に建物を破砕させた奴が姿を現す。二本の太い腕が見え、そして体全体が視認できるとそれは四本足のバケモノだった。

 バケモノは地鳴りのような足踏みと、空気を震わす咆哮を上げる。巨大な存在を誇示するかのように、二本足で立ち上がった。

 雄牛のような風貌に、白く尖った牙と口の形は狼のそれ。全体的に陰影のある筋肉は、レンガの建物すら一撃で破壊できる力を物語っている。特に足腰の筋肉は盛り上がっていて、巨体を立たせているのに一役買っていた。

「くそっ!」

「ちょ……ちょっと……アンタはっ……何してんのよっ!?」

 紫苑はもう原型すら保っていない建物に向かって、走り出そうとした。だが、ヒートリンクスに服の裾を無理やりに引っ張られ、地面に押し倒される。

 ガハッ、と一瞬呼吸が止まるが、そんなこと関係なかった。

 今からでも瓦礫の中から引っ張り出せば、まだ可能性が残っている。

 胸ぐらを掴まれながらも、血を吐く思いで紫苑は咆哮する。

「助けるんだ」

「……やめなさい、無駄よ!」

「ふざけんな! あそこにはアマリアスミスがまだ残ってるんだぞ! 早く助けにいかないとっ!」

「無駄って言ってるでしょ!」

「だから――」

「無駄……なのよ」

 そして、ようやく気がついてしまった。

 さっきから、ヒートリンクスの声が震えていることを。

 喚き散らしたいのは、紫苑だけじゃなかったってことを。

 もう、アマリアスミスが生きていることなんて皆無に等しいってことぐらい、建物の惨状から察することができる。

「……そんな、嘘だろ……。さっきまで、普通に話してただろ……」

「まだ、生きている可能性はある。……だけど、今アンタが突っ込めば、助け出すこともできなくなる。そのぐらい、分かりなさいよ」

 気休めに等しいその言葉に、コクンと紫苑は肯く。

 そうすることでしか、荒れ果てた心を落ち着かせる術がなかった。

「あれは、なんなんだよ……?」

「『乖離幻想体』。操術師の力が幾重に重なり合うと、悠久の時間を掛けて生まれるといわれる幻想体よ。多分……だけど、あそこにあった複数の『纏術装具』が共鳴反応を起こして、ああやって突然形になったとしか考えられないわね。そうならないように、装具屋は次善策を施しているはずなのに、どうしてこんな……」

 バケモノは中腰の姿勢を保ちながら、口からは白い息を吐いている。

 万物を砕く顎を大きく開くと、鼓膜が破れそうなぐらいの唸り声を上げる。

 ギョロギョロと動いていて、合わなかった焦点がようやく合った。

 それは、大勢の人間が商いをしている街。

 バケモノが歩行するだけで、こちらが立っていられないほどの地響きを鳴らす。

「まさか、このまま街に……?」

 絶望を帯びたヒートリンクスの声に、紫苑も事態の重さを察した。

 あのバケモノが街に行くだけで、どれだけ大量の人間の命が尽きるかということを。

「行かせるかっ!!」

 ばっ、と起き上がると、猛然と『乖離幻想体』へと向かっていく紫苑。

 それを見たヒートリンクスは、紫苑の正気を疑うような瞳の色をした。

「アンタ、何しに行くの? どうせアンタみたいな色なしが行ったところで、犬死するのが関の山なのよ? いいからアンタは、おとなしく隅っこの方に隠れてなさい」

 すっと、そう言ってヒートリンクスは、紫苑の前に立ちふさがるように前へと出た。

「お前は……どうするんだ?」

「バケモノの相手は、バケモノで充分よ」

 まただ。

 またヒートリンクスは、底冷えするような暗い表情をした。

 誰にも縋らない。

 自分ひとりだけで何もかも背負い込んでいるかのような、その表情。

 お前なんかには分からないと言いたいげなその背中。

 ヒートリンクスの抱えている闇の深さは、恐らく紫苑には一生理解できない類のものだ。

 それが分かっているからこそ、紫苑は何も口を挟めなかった。でも、だからといって、このまま指をくわえて何もしないでいることを是としたくない。

 紫苑は何も言わずに、ヒートリンクスを追い越す。孤独になりそうだった、そのままどこかに消え入りそうだったヒートリンクスの前へと。

「アンタは、どうしてそんなに物分りが悪いのよ!? いい? アンタにできることなんて、今度こそないのよ!? そんなに早く死にたいの? アンタには、死ぬ覚悟ができているっていうの!?」

「そんなものあるわけないだろ。俺だって死にたいわけじゃない。今すぐここから逃げ出したい。みっともなく命にすがりたいってさえ思っている」

「だったら――」

「俺はアイツに合う前は、死人みたいな生き方をしていた。どうでもいいことで笑って、どうでもいいことで悲しんで。そうやって身体が腐敗していくのを感じながら、空虚な生き方をしていた。このままじゃいけないって思いながらも、どうすることもできないまま、ずっと……そうやって生きていたんだ」

 紫苑という人間には本当に何もなかった。

 何か努力するという経験すらしたことがなく、ただ漫然とその生涯を送っていた。

 頑張ることをしなかったから、絶望という絶望も味わったことがなく。

 幸福というものを概念で理解できていても、経験したこともなかった。

 ただ、生きているだけ。

 ただ、呼吸しているだけ。

 ただ、それだけのことを毎日繰り返していた、まるで人形のような虚ろな人生。

「だけど、死にかけた時、俺はソイツに言われたんだ。……まだ、お前は生きたいのかって」

 紫苑の脳裏に蘇ったのは、あの時のこと。

 何が何やらわからないまま、ただその命を散らそうとしていた時。

 それでもいいと思っていた。

 どうせ変わることない、自分の人生。

 このまま生きていても、なんの希望も見いだせないのなら、もういっそのことそんな人生終わってしまえばいいと思っていた。

 ――君はまだ、生きたいのかな?

 初めてだったんだ。

 そんなことを聞かれたことは、生まれてこのかた初めてだった。

 死ぬ間際になってようやく紫苑は知った。

 自分の心の奥底に潜んでいた、静かに燃える炎を。

 それは、まるで命そのもののように、ただ激っていた。

「俺は生きたい。生きたいからこそ、死人みたいな生き方はもう絶対にしないって誓ったんだ!! ……あの時、あの土砂降りの中で!!」

 紫苑はあらゆる面で、ヒートリンクスには敵わない。

 どう足掻いたところでその差を埋めることなどできない。

 ただの世間知らずで、この世界を生きていく術なんて何一つ知らない。

 だけど、そんな紫苑に対して、今ヒートリンクスは言葉を失っていた。

 なにか分からない見えない力に気圧されるように、ヒートリンクスは紫苑の言葉に何一つ挟めなかった。

「お前言ったよな? 死ぬ覚悟はできているのかって。悪いけど、俺は臆病者のただの役立たずだ。そんな覚悟なんて、死んだその先にだって持っていれるわけがない。だけどな――」


「生きる覚悟なら、とっくの昔にできているんだ」


 そして持たざるものは、バケモノへとその双眸を向けた。

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