phrase.13「……随分と彼のことを気に入ったみたいだね」
眼下に広がるのは、碁盤の目のように区分けされている街。
遥か上空から見下ろせる屋根に乗っている二人のことなど、きっと街の人々は想像すらしていない。
上空の荒れている風に吹かれながらも、微動だにしていないフイファンは、不躾な質問をいきなり放った。
「いったい、誰から依頼されたのかな。彼らを、アマリアスミスの所まで誘導するようにさ」
「ええっー? なんのことかなー。ただ私はお兄さん達が『纏術装具』が欲しいっていうから、案内しただけなのに、そこまで勘ぐられちゃうと、心外なんだけどなー」
「誰かから依頼されたことは、否定しないんだね」
「………………」
口が滑ったというに口を歪ませてくれたら儲けものだったが、ふーんとこちらを試すような顔。
『式鬼神』は相変わらず一筋縄ではいかない、食わせ物だ。だったらこっちから、口からこぼれ落ちやすいように、揺さぶりをかけてやる。
「まあ、どうせ今年の入学式の時に、直接出向かいもせず、蟲達を軽くあしらったボクのことを不満に思った『蟲姫』が、ボクの従僕にちょっかいをだしたってところかな?」
「さあ、どうかなー? 依頼人の秘密は守らないと、商売あがったりだからねー。聞き出そうとしている相手がいくらフイファンだろうと、この私が口を割るとでも思う?」
「そうは思ってはいないさ。だけど、それがもしもボクの従僕に危害を与えるようなら話だったら別だよ。……悪いけど、痛みを伴わない拷問方法をボクは知らないんだ。できることなら、まともに口が聞ける今の内に、必要な情報は打ち明けて欲しいな」
「あはは、あいからず怖いね、フイファンは。ようやく『隷属』を得て、丸くなったって聞いたんだけどねー。……『蟲姫』に」
最後のセリフは取ってつけたようで、かなりわざとらしい。
だからこそ、依頼主の名前は決して漏らさないという、石のように固い意思は汲み取ることができた。
同期だからこそお互いの腹の読み方も熟知している。これ以上の狐の化かし合いは不毛。そう感じ取ったのはフイファンだけではなかったようで、ニコッと笑いかけてきた。
「残念だけど、これから何が起こるかまでは聞かされてないんだよねー。ただ、ここに来させるように依頼されただけ。私に依頼してきたのは、私が以前たまたまお兄さんと接触あったからだろうけどねー」
「たまたま、ね」
今まで辛酸を舐めさせられてきたフイファンが、素直に彼女の言葉を信じられるわけがない。
最上級生となった今、警戒すべきは同世代の実力者達だ。その指折りの実力者の中でも、この『式鬼神』は、厄介極まりない。
特に、お金絡みになると行動が読めないのが危険視される所以だ。
依頼と報酬さえあれば、どんな時だろうと簡単に立場を翻す。
どんな汚れ仕事だろうと、どんな種別の仕事でも引き受けてしまう。それでいて実力があるから、誰も迂闊に手を出せないといった次第だ。
「お兄さんの入学式の話を聞いたときは驚いたけどねー。まさか、フイファンと同じことをやる人間がいるなんて思わなかった。いきなり『シルバークラス』の先輩を倒した二年前を思い出しちゃったなー」
「……あれは、仕方ない事情があったからだよ。それに、彼の場合は巻き込まれただけであって、ボクと同じじゃないよ」
「ううん、同じだよー。暴走しちゃうところとかそっくり。……まあ、違うところ言えば、お兄さんにはこの学園でやっていけるほどの才能がないってところかなー。うーん、才能というよりは、適していないって言ったほうがいいかなー」
「……どう言う意味かな?」
フイファンの全身からは、密度の濃い怒気が発せられる。
並大抵の人間なら気圧されるだろうが、『式鬼神』はフーン、とどこ吹く風で受け流すと、屋根の上に腰を落とす。
「そのままの意味だよ。だって、お兄さんみたいに弱い人間はこの学園でやっていくのは無理だよ。今のうちに、フイファンが自主退学を勧めた方がいいんじゃないのかなー?」
どこか虚ろな瞳をしながら、下の街を見下ろしている『式鬼神』。
その言葉は、紫苑に言っているようには聞こえなかった。
「今の君は、昔の自分と重ねているだけじゃないのかな? ……紫苑と、君を」
「そう……かもね。……お兄さんには、私みたいになって欲しくないって……そう思ったんだよねー。今日一緒に歩いていて確信した。お兄さんみたいに優しい人間は、こんなところにいちゃいけない」
「……随分と彼のことを気に入ったみたいだね」
まるで今日だけで、紫苑のことを分かりきったみたいな口調で言ってきた『式鬼神』。だからというわけではないが、フイファンの声音は少し強ばっていた。
確かに『式鬼神』の言う通り、紫苑は優しすぎるところがある。
役立たずだと自分で思い込んでいるせいで、誰かの役に立ちたいという想いが他の誰よりも強い。
その想いを否定するつもりは、フイファンには毛頭ない。
だが、誰彼構わず優しさを振りまくせいで、女性から好意を抱かれていることが最近多くなっているように観える。
唐変木のお蔭で、その自覚がないのが救いだが、自分の魅力に気がついた時がフイファンは恐ろしい。
だいたい、『式鬼神』といい、ヒートリンクスといい、どうして胸のある女の子ばかりに目が行くのだろうか。そんなに、胸が大きい方がいいのだろうか。やはりなくてはダメなのだろうか。
と、フイファンはそんな思いを巡らせていたのだが。
ニヤニヤしてこっちを見ている『式鬼神』に、気がついた。いつからその顔をしていたのかは分からないが、随分愉快そうだ。黙っていたまま、ずっとこちらが不愉快になる顔だったので、フイファンは質問を投げかけるのを堪えることができなかった。
「どうしたのかな?」
「ううん、ただ嬉しいんだよ。……あの悪魔が、ようやく人間らしい表情を見せるようになって、私は……本当に嬉しいだけだよ」
訳のわからないことを言いながら、『式鬼神』は屈託のない笑顔を弾けさせた。




