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薬袋古道具屋怪談  作者: メイ
エピソード01酒蒔 冬彦の場合
9/20

01_07怪目_浅葱の薬袋騙り

 何処かで猫の声がした。



『黙ってろ、乙姫』



 怒気を孕んだ薬袋(ミナイ)の声。猫を探して、細川(ほそかわ)はぐるりと周囲を見渡す。

 曲がりなりにも飲食店で、動物?蝸牛もどうかと思うが、猫も衛生的にいかがなものか。細川に狐疑(こぎ)(よぎ)る。



「猫まで居るのか……?」


(ケダモノ)と一緒くたにするな。猫じゃねえわ。乙姫だ』


「はいはい、愛玩動物(可愛いコ)家族(人間)だね」


『で、くれんの?くれないの?』



 笑みを消した薬袋はぎらりと細川へ手を伸ばす。細川の心は既に決まっている。変梃(ヘンテコ)な此の男へ即座に答えるのも癪だ。細川は睨み返す。

 薬袋は余裕綽々な顔を造ると、手を懐へ直し、滔々と語る。時折、ふう……と息を継ぎ足しながら。



『急に移したら器が傷つく。時間をかけて、三年と十月十日で移す。移し終わったら、テメェは全部忘れて耀子(ようこ)平々凡々(へいへいぼんぼん)に生きる』


 どうにも癪だが、わかっている。

 耀子が脳裏で俺にだけ微笑むから。白いエプロンで夕食を置きながら「あなた、()の子ったらちっとも宿題しないのよ」独りで生きるだろう俺の甘い妄想(ディリュージョン)。許されない夢だった。急に開けた冀望(きぼう)


『悪かねぇ話だ。俺は乙姫に僅かな声をやれる、細川……アンタは普通になる』


 視界の隅で蝸牛が葉に隠れる。


『人間にゃ、まぁ長い年月だ。俺が約束を反古しない担保に【甕覗の整形眼藥】を貸してやる。回道(まわりみち)って男が(こしら)えた良い眼藥だ』


『使い過ぎれば厄介だが、適度に使えば無問題(モーマンタイ)だ。相貌が正紺(しょうこん)に染まりきる前に、使うのを止めて、瞳が戻る迄待てば』





『世界が耀(かがや)いて見える』




 こつん。

 カウンターに水色の目薬が立つ。遠目で『回道薬局』と読めるシールがお腹に貼ってある。



「かが、……?」


『ツマンねぇ事が多かろ、現世は。なんやかんや面倒や(しがらみ)、これからも普通の(よわい)お前に降りかかる。見る世界が耀(かがや)きゃ、ちったぁマシだ』


『見てくれは醜悪より美麗を人間は好む。景色、料理、容姿。お前も気に入るだろうさ』


『好いた女を片想い(スキ)のままでいられるってもんだ』




 真摯なミナイの瞳が金紅石(ルチル)の煌めきを灯し、細川を見詰める。じぃっと、細川の深淵まで。


 細川は悟った。ミナイは細川が仮に断ろうと譲らない。断固として欲しいものを得る為。

 覚悟と共に細川を逃がしはしない。

 本能的に『異種』を察知し、細川は背中に冷たいものが這う感触に震えた。


 同時に、細川の胸中に不可思議な感情が芽生えた。

 果たして俺はこの店主(ミナイ)のように……懸命に、全身全霊で生きているだろうか。生きれるだろうか。






『頼む』





 台詞を切ったミナイは椅子から立って、頭を低く下げた。

 余裕綽々な面構えは鳴りを潜め、永久の落胆が泳ぐ悲痛な声色。




「……(返事は決まっている)

(なのに、なんだ。この感情……俺は、こいつに嫉妬してる)」






 ぎゅ、と握り締めた細川の拳は、赦されるなら細川自身へ降り下ろしたかった。変わりたいと言いながら、変わりたいと言っていれば、何も変わらずに足踏みしていても許されるだろうと、思っていた自分自身に。







「……(俺にも出来るだろうか)……」







「わかりました。ただし、条件があります」






これは細川の細川による細川への意趣返し(ウルティオー)だ。


もう猫のような声はしない。

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