01_05怪目_白殺の両端
『A man falls in love through his eyes, a woman through her ears.だよ、乙姫。俺も Wyattと同感だ。』
店主ミナイは大事そうに黒猫を外へ出す。愉しげに喫茶店に戻ると鼻唄を歌い始める。
(どどいつ どい どい)
【side F】
あの眼藥は思いの外、よく効いた。眼も乾かないし、よく見える。付けたまま寝ても全然平気だ。
むしろ世界が輝いて見える。酒蒔には妻がいるが、学生時代から別れたりくっついたり、喧嘩したり仲直りしたり、同棲したり別居したりを繰り返して、『ときめき』とやらは皆目無い。家事も仕事もこなして、良いやつだとは婿養子になった今でも思う。
良いやつだとは、思う。
『立花、提出書類の資料にあるグラフなんだが修正して……。立花?おーい』
無視だ。
『……岬?』
びくっ、と震える立花に酒蒔も息を溢した。岬の困った顔は、苛めたくなってゾクゾクする。
『眼を開けたまま、寝んなよ立花。資料も見やすくしろ』
「は、はい!出来たら確認に持っていきます!」
『はい、よろしく』
くすくすと周囲に広がる笑いに真っ赤になる後輩。理性で表情を保ったままキーボードを叩き、可愛い、と思う。岬は仕事も一生懸命だし、美味しそうにご飯を食べる。よく笑い、よく泣き、よく話す。そう、『可愛い』のだ。ふっと口元が綻ぶ瞬間なんて、妻といてもない。
いや、待て。
なんで比べた?
――いやいやいやいやいや。
――彼氏もいる後輩だぞ。
――社内恋愛なんて面倒だろ。
じゃあ、なんで俺は、今。
立花と目が合う。微笑む。
世界が輝いている。
【side M】
酒蒔に触れられた手がまだ熱い。動悸が治まらない。末期だ。こんな気持ち、いらない感情。どうするの。
『岬?』
どくっ。
心臓が跳ねる。止めてくれ、心臓がもたない。下の名前。嫌いだったはずの名前が、まるで違う意味を持つ。
『眼を開けたまま、寝んなよ立花。資料も見やすくしろ』
「は、はい!出来たら確認に持っていきます!」
『はい、よろしく』
岬の狼狽を一瞥した同僚の笑い声。「ホント、良いコンビだなお前ら」の揶揄も前だったら、小馬鹿にされたようで嫌だったのに。現金!自意識過剰!と唱える口と裏腹に、視線は酒蒔を追って彷徨う。
目が合う。
刹那の永遠。
上手く笑えない。酒蒔はあんな眼をしていただろうか。
一部始終を見終わると黒猫が尾を振る。ちりん。ちりん。ちりん。3回目の音と共に黒猫の姿は雑踏へ消えていった。
(どどいつ どい どい)
(いちどは きやすめ)
(にどは うそ)
(さんどの よもやに ひかされて)
(女房にする とは 洒落かいな)




