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薬袋古道具屋怪談  作者: メイ
エピソード01酒蒔 冬彦の場合
6/20

01_04怪目_店主ミナイ

 細川(ほそかわ)は走った。兎に角、逃げた。三十六計逃げるに如かず。昔から変なモノが聞こえたら、走って逃げたら良かったのに。




 ーーぜぇ、ぜぇーー



 つ い て き て る 。



 ーーはぁ、はぁぁあ、はぁーー



 逃げてるのに……振りきれない!



 ーーああああぁあぁーー




 泣きそうだ。先刻までの日常へ返して。こんなときに限ってこの道を誰も通らない。なんだよ、誰か助けろよ。誰でも良い。今までこんなことなかったのに。目頭が熱い。泣いたって解決しないのに。もう若くない。体力も(じき)に尽きる。立ち止まったら俺はどうなる?駄目だダメだ、考えるな弱気になるな。走れ。今は逃げろ。




 ーー欲しぃぃぃいいいあぁぁあーー




 俺は声しか聞けないけど、あれは生者のではないと薄薄(うすうす)解ってた。捕まったら死ぬの?死んだらどうなるの?俺もあんな『叫ぶ声』になるの?嫌だ。怖い。嫌な方向にばかり思考が進む。喉の奥で()の味がした。




 こんなところで、俺は終わり?




「だ……、れ、でもいっから……た……けて……っ!」



矢張(やはり)、お前ェさん聞こえんだねえ』




 え?




 気がつけば 派手な(ヤロー)が 隣いる。



 はっ、一句詠んでしまった。半泣きの俺の隣で、からんころんからんころん、風流な足元は裸足に下駄だ。大した脚力だ。親指と人差し指の間の皮が……いや、そうじゃない。




「あ、ン……た、誰っ?!」



『お前ェさん、困ってんだろ。助けたげようか』




 俺は全力で頷く。そうしてくれ。そうすべきだ。むしろ、そうでないと困る。そもそも助けてくれないならお前に今、存在価値はない!絶対ない!俺の可愛い首ちゃんが悲鳴をあげるほどに頷く。




『お代は貰う、忘れなさんな』



 右の口角だけ上げると、派手な着物男はぎゃんっと下駄を鳴らして急に振り返る。俺と何かの間に入るように立ち塞がると、懐から何か出した。




『仕事だ、音姫(オトヒメ)ェ。急急如律令、……後悔も残さず逝かせて()れえ』




 ーーキァイイイイイイイイイィイイイイーー


 ーーぎぃいいいいぃいいいいぃいいいいいいいいっ!ーー




 断末魔だ。

 ぜえぜえと切れる息を整えながら、初めて聞くおどろおどろしい声に、細川はそれが断末魔だとわかった。


 男が懐に何かを大事そうに戻すと、細川へ向きを変えた。ゆっくり歩み寄って。



『怪我はないか?』


「ありま、せ……ありがと、ござ……ます。あの、誰……」


『ミナイだ。薬袋古道具屋の店主をしてる』


「よろ……し、く?」



 差し出された手を握り返す。ピリッ……、と静電気が走った気がする。



目印(マーキング)、完成』


「は?」


『こっちの話。

 俺の店が近くに在る。ここは危ないからそっちに移動せんか?』



 ……怪しい。

 助けてくれたのは感謝する。でも、怪しい。ほいほい着いていって、危ない目に遭うのは御免だ。



(だと言うのに)


 惹かれる。


 ミナイの瞳に、油断すれば即決で『(はい)』と答えそうな自分がいる。




『面倒だ、とっとと歩け』




 いや、だとか、その、だとか口ごもりながら細川は迷う。店主(ミナイ)を信用に足るか品定めを始めた。


 彼は長い黒橡(くろつるばみ)の癖毛を胸で結っている。飾り紐の両端には丸く赤い尖晶石(スピネル)が揺れている。瞳は墨なのだが光の加減でルチルのように紅く見える。なかなかの美丈夫だが、如何せん装いが変だと細川は思う。

 紅白の市松模様の長襦袢、藍の着流しに派手な女物の羽織を着て、走ったせいか前が乱れている。変なのに、妖艶だ。


 こういった人間は稀少種(レア)だ。


 どうしよう。好奇心はある。どうしようもない。




『早く()ィな』



 紅い眼が今度は問うのでなく、歩き始めた。

 答えを知っている笑顔で、道の先から手招きしている。俺の足は、踵を返せなかった。



『俺の目印に逆らおうなんざ百年(はえ)ェわ』


「……っ!わかったよ、わかりましたよ~!!茶くらい飲ませてもらいますからねっ!」


『……bruyant(ブリュイヤン)


「今、絶対。悪口、言いましたよね?ねえ?……あっ、今、舌打ちもしましたよね?!」

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