03_01怪目_鞴の鳩時計★
私は心を寄せている真っ最中だ。恋は素晴らしい。恋は下心だなんていうが、私は違う。自身以外の別の存在で、頭と胸がいっぱいになることが、こんなに私の世界を変えてしまうだなんて知らなかった。知る必要もないと思っていた。好き。好きだ。大声で言いたい。でも、口にしてはいけない。今はまだ。彼女の一挙手に振り回され、距離を置くべきか悩んだ時もあった。嫌われるくらいなら、その他大勢で良いと胸を痛めた時もあった。でも結局駄目だった。好きだ。私が思うように、私を思って欲しい。願うだけなら別に自由だろう。知られなかったら、良いだろう?誰にも迷惑かけてないんだから。
私が言っている意味はわかるだろうか。想像できるだろうか。彼女はどんなに求愛しても届くことのない場所にいる。それでも私は諦めない。諦めきれないのだ。どんなときでも可能性はゼロではないからだ。その他大勢ではやっぱり嫌だ。烏合の衆となるくらいなら、嫌われて一生覚えてくれる方がいい。私の愛は本物だ。私は彼女が欲しい。
例え決して開かない扉の向こうに彼女がいても、例え思わせ振りに私へ一瞥をくれて離れていっても。
私が諦めない限り、可能性は常にゼロではないのだ。
そしてゼロではないなら、私が諦めない限りいつか叶う。きっと。
私はその事を教えてくれた、セイミツに感謝している。
エピソード3.
天石 凛の場合
【鞴の鳩時計】
『鳩時計ねェ』
「おうよ、かなりの上物だ。良い声で喘ぐ。乙姫程じゃねぇがな」
――にゃあ――
「照れんなよ、乙姫」
『逐一、下品だなアンタ』
「で、どうすんの?その鳩時計、足が早いぜ」
『テメェがようやっと廉直なモンを無償で持って来る訳ャねえさなァ。今度はどんな面倒事を持ってきたんだ、セイミツ。えぇ?』
鳩時計を隅々まで嘗め回す眼光を鋭くする薬袋をなおざりにして、セイミツはカップに注がれたカフェモカに牛乳と角砂糖を溶かし混んだ、甘い汁を啜っている。山羊に似た瞳孔だけを薬袋に移す。右耳だけで揺れる曹灰長石の長方形のピアスが揺蕩う。
カウンターで隣り合って座っている癖に、二人の雰囲気は曇天の紫外線よりも確実に剣吞を可視化した。
『……何が魂胆、だァ……?』
「黙って買えよ」
カウンターに箱に入れたまま立て掛けられた鳩時計。鞴で仕立てられたそれはさぞかし良い声で時間を教えてくれるだろう。駱駝色の肢体に黒の文字盤と針。小さい闔の奥に、件の鳩がいるのだろう。
正直な話、カウンターでグラスを拭きながら、ギイは辟易していた。彼の瞳に映る薬袋古道具屋店主・薬袋は挑発に苛立ち、明らさまに吝嗇なセイミツに話が進まない。薬袋はセイミツに関しては、即座躍起になる。薬袋とセイミツは、ギイ自身とセイミツの不仲が平行線と表現出来るほどに生温く感じる。袂を別ち、今となっては、ねじれの位置に存在する彼等二人は決して交わらない。しかも、互いに『譲歩』を知らない。丁度、その時だ。
――くるっくー、くるっくー、くるっくー――
間抜けな声が響く。鳩時計が三時を告げた。ギイは内心、タイミングの悪さに心無き鳩時計へ同情した。そして、裏切られる。
――ありがとう――
「!?」
突如、滔々と。聞こえた。ギイはぎょっと手を止めた。中性的で男女どちらにとれる。それは記憶違いでなければ、久方ぶりに聞いたが間違えることはない。“乙姫”のそれに相違ない。
鳩は時計へ戻る。薬袋とセイミツの視線がやっと此処で邂逅する。絡み合った視線が離れると、薬袋はばりばりと頭をかく。腕を組んで、考え込む。セイミツは算盤を弾き始めた。
『……なるほど、な』
「イイ声で喘ぐ、つったろ?」
『止めろ。余程その耳、要らねえと見える』
「見えるとは面白ぇなあ、節穴でか。
古道具屋の節穴は気が利いてんな」
『その節穴に借りだァ高くつくぜ、セイミツ……。
貸し一つだ。
常世の未練が入っちまったんなら、さっさと言え』
「一言じゃ……出来ん話も人間様にはあンだよ」
『あ?』
「話せば長ェ、またにしろ」
翡翠の算盤をずいっと薬袋に突きつける、セイミツ。
『ふん?回道の藥か。良いぞ、手配してやる』
「その点は信頼してるよ」
『抜かせ』
けけけ。
行商人は甲高く嗤った。




