02_01怪目_椣の鴉☆
エピソード2.
権堂 一二三と良将の場合
【――椣の鴉――】
父の遺品を整理していましたら、こんなものが出てきまして。ええ、わかります。木彫りの置物に見えますわね、今は。ただの置物に。でも夜になると鳴くんですの。ナァナァと孫かと思ったら、すやすやと良く眠ってましたよ。なんて、息子嫁に嗤われたんですの。そんなばかなって……そうしたら父の書斎にある置物の鴉が鳴くんですの。私もう、気味が悪くて。息子夫婦も信じないんです。嫌だわ、父には悪いけれど、息子も「処分しようか」なんて言いますし。棄てようにも帰ってきそうだし、燃やそうにも祟られそうだし。私は老い先短いから良いですけど、あの子達に何かあったら……ねえ?それでどうしたものかと思って、お料理教室のお友達に話してたんです。供養してもらおうかしら何処がいいかしら、なんて。そうしたら帰り道に……あら、帰り道にこの道通ったかしら?ああ、ごめんなさいね、こちらの喫茶店に。
……あら?
私、この置物……持って出たかしら。
高齢の貴婦人が放つ言葉の矢を途切れるまで待って、薬袋古道具屋の店主がにっこり笑った。縛った髪紐がゆらゆら揺れる。
なら奥さま、その置物。
私が引き取りましょうね。
貴婦人ははたと我に帰る。
覚えのない道、覚えのない店、覚えのないままに鞄に忍んでいた父の遺品。
なんだ、どういうことだ、これは。
料理教室のお友達?なんて言ったかしら。思い出せないわ。ええっと……嫌ね、年を取ると忘れっぽくて。涙脆くなるし、悲観的になりやすくてね。
貴婦人は違和感に従順な青ざめた顔で薬袋に頷く。そそくさとまた矢継ぎ早に言葉を紡いで、珈琲代の会計を済ませる否や逃げるように店から出ていった。ああ、連絡先を聞きそびれたわ、と振り返ったが、振り返った頃には何故振り返ったか忘れていた。
口の中にはやけに苦々しい珈琲の感触だけが残っていた。
薬袋は閉ざされた扉を確認してから、カウンターに置いていかれた小さな鴉の置物を撫でた。いとおしそうに、労るように。木の温もりが指先から伝わった。
裏には『椣』と掘られていた。作者の銘か、はたまた原料か。恐らくあの貴婦人の父が掘ったのだろう。明らかに素人の作だった。
『かぁらぁすぅ 何故、鳴くの――ってかァ』
「【七つ】が七歳なのか、七匹なのか。意見が別れる所ではありますな」
『ギィィィィイ、それよりあの恩知らずの女ァ。この鴉に護られてたのも解ってなかったねえ』
「主人が教えて差し上げれば良かったではないですか」
『厭だね、ギイは。俺は教えてGoogle先生じゃねぇんだよォ。鳴くものを全部集めて、置物が入ってなければ、置物は泣かないって決めつける奴さんが悪いのさァ』
「ヘンペルのカラスですね」
『可哀想にのう、お前ェさん』
つん。薬袋が鴉をつつく。ほろり、と鴉の置物が片手に収まる身体を震わせて泣く。薬袋がわたわたと懐から木綿の手拭を取り出して拭ってやる。きゅんきゅん。置物の鴉は顔を埋めたまま泣き続けた。
『泣きたくもなるよなァ……ギイ、頼むよ』
「おや、もうですか。はいはい、どうぞ」
ギイが心得ましたとばかりに、木枡に入った麦酒を差し出す。どっぽん。薬袋が鴉を麦酒に浸けた。しゅわしゅわと泡が鴉を取り巻き、大きく育った泡から上へ昇っていく。
『あの女ァ……、これからどうなんのかねぇ』
「おや?珍しいですね、主が人間の心配ですか」
『心配ちゅうか、あれだね。車道で往生してる、犬畜生を見つけちまった気分よな』
「たまには助けに出ては如何ですかな」
『そこまでの情は無いえ。そもそもそこまでしよったら、手が回らん箇所も出ちまうわ』
平等ではない。
口を尖らせて、酒に溺れる置物を薬袋は木枡でコロコロと弄んだ。鴉は段々と小さくなっていく。泡になって消えるなんて人魚姫のようだ。
ころころ。
麦酒の泡に紛れて、声がする。女の鳴き声だ。
息子夫婦に聞かれないよう、父の遺影を抱いて啜り泣く貴婦人の声。
「おとうさん」
「おかあさん」
「わたしも いつか しぬの」
「こわい」
「こわいよお」
「おとうさん」
「おかあさん」
「なんで いないの」
「さみしい」
「さみしいよお」
貴婦人の心が弱っていく記憶。泡が昇って弾ける。父の死と、いつかくる自分の死と重ねては、日がな幼児のように遺影を抱いて泣いている。鴉はずっと見ていた。
だから哭いた。
その泪、貰うよ。
ナァナァ。ナァナァ。
だから泣くな。
可愛い我が子よ。
ナァナァ、ナァナァ。
鴉が鳴く度、貴婦人の泪は記憶と共に削り取られていった。父母の思出、最期の言葉、表情。記憶の無い記録など無意味。有象無象。無くなれば遺影もただの人。どうしてくよくよしてたのかしら、悲しんでても変わらないわ!貴婦人は立ち直っていく。坂を転がる石のように、最初はゆっくりと忘れながら。でも、もう坂の上には戻れない。
もう怖くない、息子も孫もいる。私は立派に生きた。
もう寂しくない、息子も孫もいる。私も立派に生きた。
鴉が溜めた記憶が麦酒に溶け出し、鴉はどんどん小さくなった。そうして、遂に鴉は泡になってしまった。
「逝きましたね」
『削り取られていった記憶の酒、かぁ。高く売れるわな』
薬袋はいつかの日に思いを馳せる。
からんからん。
喫茶店の扉を開けた鐘が鳴く。入ってきた男はこう語るだろう。
ああ、すいません冷珈琲一つ。いえね、母が最近ボケてきまして。病院を探してるんですよ。妻と折り合いが悪いから、老人ホームにでも入れようかと。置物が鳴くって騒ぐのから始まって、今じゃ徘徊までするんです。おとうさん、おかあさんって。二人とももういないのに。
削られた記憶の淵から、記憶の削除が終わるまで、そう遠くはない。
親の愛を子は知らない、というのも世の常。
《椣の鴉》
お了い
【椣の鴉】
記憶を削る鳴き声を発する。
ただし作者と血縁関係でなければ鳴き声も聞こえず、ただの置物。
挿絵
まよまぐろさま
http://16425.mitemin.net/




