01_08怪目_縹の起請
条件、の単語にミナイの片眉がピクリと跳ねる。細川は涼しい顔だ。カウンターで白髪の男が息を飲む気配がした。
『条件?』
「俺が聞こえなくなってから俺だけじゃなくて耀子を守って下さい」
『お前ェさんだけじゃなくて、何で連れまで守んなきゃなんねぇ?しかも一生涯とァ、吹っ掛けてんのか』
空気がビリビリとひりつく。
『なあ、おい。お前ェさん、自分のも守れねェの』
「俺は耀子と幸せに生きる。その為に使えるものは利用する。今、決めた。そうさせたのはミナイさん、アンタだ。忘れてた夢だけ見させて、あとはわけわからん目薬で頑張れ?勝手に引っ張り出して、土足で踏んで、嘲笑うと同等に残酷だ。俺の言ってることが出来ないの?出来ないなら話は終わり。俺は帰る、いつかサヨナラしなきゃいけない耀子の元に」
細川は見栄張りで自尊心が高かった。尾籠な真似はしたくなかった。そう、こんな醜態……曝したいわけではない。虚栄を張ることで、得体の知れないものに脅える自身を隠す。そうやってついた習慣だ。それをかなぐり捨て、細川は言い切った。
「やって下さい」
『……』
沈黙。
「俺が離れてても耀子を守る。でも、俺だけじゃ守りきれないこともある。事故とか、病気とか、今は想像しないことも』
他力本願?嗤いたきゃ嗤え。
鴨が葱背負って頭下げ来たら、とりあえず鍋にするよ。
俺はそういう人間だ。そういうヤツが人間だ。
「耀子が泣かないように……アンタも耀子を守って見送ってよ」
『……大した阿呆だ』
苦々しい顔でミナイは癖毛を掻き毟る。ふわっふわに乱れたところで、バァンっと猛々しい音と手を打った。
『よろしい、承りましょ』
数秒前の殺気は姿を変え、にっこり笑みを作っている。
『アンタは聞こえる力をやる。代わりに耀子が泣かないように生涯守る。相違無いか』
細川が静かに頷く。アイスコーヒーのグラスが汗をかき、氷がからんと鳴いた。
『なら、決まり。術が終わったらお前ェさんは、此処で遭った事も声が聞こえてた事も、この薬袋に関わることを忘れる』
『全てが終わったら、証にこの眼藥を渡して、先刻助けた礼をもらおう。ナニ、礼は高いものじゃない。美しいものだ』
『いいね、細川 冬彦』
「わかった」
ぐ
にゃ、り。
『変わらないよ』
り、
にゃぐ。
細川が発した肯定の言葉を合図に風景が歪み、変わる。ミナイの声がしたような。否、此所は何処?此所は俺の記憶だ。ミナイを忘れたまま、変な声を聞いてたことも忘れまま、生き始めた。力のない俺は普通の大学生だ。当時から付き合ってた耀子とも色々あったがどうにかやって来た。今思えば、どこかで好きなのにずっと身を引かなきゃと何故か思っていた節がある。力を持ってた俺は普通の人間ではないから、遠慮が抜けなかったと此所なら解る。卒業して、その時は何回目かのただの同級生に戻った酒蒔 耀子にプロポーズして、身内だけでこじんまりと式を挙げて籍を入れた。まだまだ若輩者だけど仕事はまあ順調。充実してた。俺が教える新人も女なんだけど、飲み込みが早くて可愛い。あ、変なヤツに眼藥貰った。そっか、この頃に終わったんだ。知らないけど「おとひめ」って大丈夫なのかな。まぁいいや。関係ないな。今は俺の記憶だ。えーっとそれから、俺は徐々に岬と居る時間が増えていった。最初は仕事で相談乗って、考えてたら腹が減るから段々食事を挟んで成人してるし酒も入ることもある。それから楽しくなった俺と岬の時間が逢引から逢瀬になる迄はあっという間だった。その頃には仕事に託つけて、家にはあんまり帰らなくなった。出張が、緊急の、先方が怒ってて、後輩がミスして、人が足りないんだ。一通りの言い訳を使った。耀子は勘の良い女だったから、俺より早く別の女に気持ちが動いているって気付いていたのかもしれない。溜まりに溜めかねたのだろう。深夜の帰り道、岬かと思ったら耀子が電話を掛けてきた。仕事で忙しいって言ったのに。また喧嘩腰で言われるんだ。アタシとシゴト、ドッチガ大事?って。今度は何回、言えば良いのかな聞かれるのかな。厭だな。どっちも大事じゃないよ。学生時代も別れたりを繰り返した。面倒だな。
俺はボタンを選ぶ。五月蝿いなぁ。
――キョヒ――
押した瞬間。薬袋が眼前に立っていた。
街灯を背景に、逆光の中で瞳が赫う。きらきら、ゆらゆら。
『約束だからな』




