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夢の終わりを告げるように朝の光が射し込んできた。まだ一緒にいたいのに帰らなくてはいけない。
「何か食いてえな」
引き留めるつもりなのか秀馬は独り言を漏らした。
「夜ご飯、食べなかったもんね」
暗闇の中で二人がどんなことをしていたのかよく思い出せない。キスをして抱き合って、繋がれた喜びで胸がいっぱいだった。
「じゃあご飯作るね」
台所に入ると冷蔵庫を開けた。既に秀馬のマンションの冷蔵庫はすずなのものになっている。いつでも料理ができるように、いろいろと買い集めて貯めている。七草がゆももちろん作れる。
秀馬はテーブルに頬杖をつき、ぼんやりと宙を眺めていた。そして突然呟いた。
「透也に取られなくてよかった……」
はっとして手を止めた。
「と……透也くん?」
どきどきしながら聞いたが何も答えは返ってこなかった。動揺しないように気を付けてゆっくりと話しかけた。
「それにしても、まさか秀馬とこんな関係になるとはね。魔法でも使わないと無理だって考えてたし。秀馬はどう?」
だが面倒くさそうに秀馬は口を開いた。
「特にねえな。最初は緊張したけど、気分がよかったとかはない」
「えっ、何もないの?」
驚いて目を見開いた。数時間前の優しい秀馬はどこへ行ってしまったのか。
「あたしはけっこうどきどきしたけどな。だって一度きりしかできないことだし」
人生で一番幸せなひとときを過ごしたのだ。決して忘れてはいけない大切な夜だ。
「本当に俺でよかったのか」
探る目つきを向けられ少し残念な気持ちになった。
「よかったから抱き付いたんだよ。それに終わってから聞いても意味ないよ」
なぜか秀馬は石のように固まってしまった。心配して台所から出ると、顔の前で手の平をひらひらと動かした。
「ちょっとどうしたのよ」
するとまた宙を眺めながら呟いた。
「終わりじゃねえよ。恋愛っていうのはただ告白して付き合うようになったら終わりじゃない。そこからやっと始まるんだよ。多分死ぬまで終わりなんてないかもな」
確かにその通りだ。これから恋人同士のまま続いて結婚したら絶対に出産もするだろう。子供が生まれたら、その子が立派な大人になれるまでずっと育ててあげなくてはいけない。まだまだ先は長いのだ。
そしてもう一つすずなにはやるべきことがあった。秀馬の過去や家族についてだ。こちらから聞き出そうとしても無理なのはわかっている。秀馬本人が話してくれるまで待ち続けるしかない。
「あたしたち、あんなに相性最悪だったのにね。何が起きるかわからないよね」
顔を合わせれば必ずどちらかが気に障る言葉をぶつけていた。ぶんぶんと振り回されて意地悪なことをされて泣かされたり傷ついたり、もう数え切れないほどいじめられてきた。しかし逆に言えばちょっとやそっとではへこたれない強い人間になれた。
もし中学で有架に出会わなければ透也の存在は知らなかったし、違う高校に受験していたはずだ。秀馬と同じクラスにならなかったら顔も見ないし、席がとなり同士ではなかったら話しかけることもなかった。一つでもブレていたら、運命の相手を見つけることはできなかった。
「これって奇跡だよねえ……」
感動しながら言うと、呆れた顔を向けられた。
「そういうの、他人の前では言わない方がいいぞ。子供っぽいからな」
「いいじゃない。秀馬だってあたしと出会わなかったら、本読んでるか花の水やりの毎日だったんだよ」
にっと笑うと不機嫌そうに横を向いた。その通りだと思ったが素直に頷けないのだろう。出来上がった七草がゆを向かい合わせに座って食べた。初めて「うまい」と秀馬に褒められ、それもまた大切な思い出となった。
玄関で靴を履きながら、上目遣いで聞いてみた。
「またマンションに行ってもいいよね。繋がれたんだから」
秀馬はやれやれという表情で答えた。
「調子いいな、お前。別に構わないけど、誰かにばれないように気を付けろよ」
わかってるよ、とすずなが言う前に一言付け加えた。
「特に透也にはな」
やはり秀馬も同じことを思っているらしい。二人を引き裂こうとするのではないかと不安になったが、小さく頷いた。
「じゃあ、お世話になりました」
お邪魔しましたと言いたくなかった。お前は邪魔じゃないと言ってもらえたのだ。秀馬は気付いていないようだが、すずなは今までとは違う関係になりたかった。
ドアを開けてエレベーターに乗り込んだ。この気持ちを言葉で言い表せなかった。嬉しいだとか幸せだとか、そんな簡単なものじゃない。当てはまる言葉がこの世にない。これから秀馬とどんな日々を送っていくのだろうと考えながら、自宅への帰り道を弾む足取りで進んだ。




