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教室の中に入ると秀馬がじっと見つめてきた。目線で何となく伝わった。昨日のことは絶対に誰にも言わない、もし話したら彼氏のフリはやめるという目つきだ。
あれは事故であってキスではない。秀馬がファーストキスの相手なんてありえないし愛情も一切こもっていない。ただ唇が触れただけで何も落ち込むことなどないのに、なぜか心の中がもやもやしてしまう。
では自分は誰とキスをしたかったのかと逆に考えてみた。やはり透也なのか。すぐに違うという答えが出た。もし透也とキスをしてもまた同じように悩むはずだ。
芹奈のメールを読んで秀馬はすずなに任せると言った。以前だったらまた怒って携帯を壊していただろう。本当に芹奈の願いを叶えるためだったのか、それとも違う理由があったのか。もしあの時何も言わなかったら二人はどうしていただろう。昼休みになると秀馬の方から声をかけてきた。
「姉ちゃんがアメリカに帰るのって、あと何日くらいなんだ」
動揺を隠して抑揚のない口調で言った。
「四日だよ。もうすぐだね。それがどうかしたの?」
少し考えてから秀馬は聞いてきた。
「本当に元に戻れるんだよな。そのまま付き合うわけじゃないよな」
「えっ」
ぎくりとして顔が強張った。大げさに頷くとあえて面倒くさそうに言った。
「始めからそう言ってるでしょ。何度も同じこと繰り返さないで」
声が掠れていた。小刻みに体が震えているのに気が付いた。
「それとももしかして本当の恋人同士になりたいって言ってるの?悪いけどあたしはあんたと仲良くする気はないからね」
秀馬は機関銃のように言葉を発しているすずなを黙ったまま見ていた。心の中を見透かされている気がして緊張した。
「……そうか。そうだな」
呟くとすぐに振り返りすたすたと歩いて行った。そしてその後ろ姿がなぜか暗く沈んでいた。放課後マンションに行くのはやめようとすずなは決めた。狭い空間の中に二人きりでいられなかった。きっと秀馬も来てほしくないだろう。今は離れていた方がいい。
だが声を聞きたくなり、夜遅くにこっそりと秀馬に電話をかけた。すぐに不機嫌な言葉が返ってきた。
「寝てたんだけど……。何時だと思ってんだよ、二時だぞ」
「ごめん、ちょっと気になっちゃって」
ぎゅっと携帯を握り締め、小さく深呼吸した。
「あたしのこと、どう思ってる?」
言ってから後悔した。バカにされたと直感した。
「しつこくて迷惑で詮索魔なんでしょ?」
先回りしてそう言うと真剣な声が聞こえてきた。
「今はそこまでは思ってない」
全身が熱くなり携帯を床に落としそうになった。たくさん泣かされた日々が頭の中に浮かび上がる。
「大っ嫌いな奴じゃなかったの」
もう一度言うと秀馬も質問した。
「すずなは俺のことどう思ってるんだ?」
すぐに答えが見つからず、どうしたらいいのか戸惑った。
「冷血男じゃねえのかよ」
にやにやしている顔が頭に浮かんだ。しかしそれよりも嬉しい気持ちで胸がいっぱいだった。
「まだそばにいてもいいんだよね?お姉ちゃんがアメリカに帰って恋人同士じゃなくなっても、またマンションに行ってもいいよね?あたしを置いてどこかに行ったりしないでよ」
無意識に話していた。運命の女の子が現れるまではできるだけ秀馬の近くにいたい。まるで好きだと告白しているようで恥ずかしくなった。
「わかってるよ。でも友人には」
「なりたくないんでしょ。起こしちゃってごめんね。付き合ってくれてありがと。じゃ、お休み」
早口で言うと一方的に会話を終わらせてしまった。




