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マンションに帰ると、嬉しそうに芹奈が話しかけてきた。
「ねえ、また東条くん連れてきてよ。もっとちゃんとしゃべりたいし」
すぐにすずなは首を横に振った。
「いや……もう来ないと思うよ」
「どうして?妹の彼氏がどんな子なのか気になるじゃない」
確かに気持ちはわかるが、また芹奈の言葉で秀馬が暴れたら大変だ。
「じゃあどこかでお茶でも」
「東条くん、有名大学に行きたいから勉強で忙しいの。だからあんまり邪魔しないであげようよ」
とっさに嘘をついてしまった。芹奈は、あら、と目を丸くした。
「そうなの。勉強熱心で偉いわねえ」
実際は秀馬が教科書と向き合っているのは学校でしか見たことがない。マンションの中でやっていることは本を読むか花を育てるかのどっちかだ。悔しいが秀馬はとても頭がいい奴だ。
「勉強してたらデートとかも行けないんじゃない?」
はっとした。恋人同士ならデートをするのは当たり前だ。すっかり忘れていた。
「ああ、まあね。でも別に行かなくてもいいよ」
すぐに芹奈はすずなの両肩を掴み、前後にゆさゆさと揺らした。
「もったいない。勉強も確かに大切だけど、恋愛も同じくらい大切なことなんだよ。お姉ちゃんがデートのプラン考えてあげる」
「いいよ、そんなの。二人で決めるから」
しかし芹奈の耳に入らなかったようだ。面倒なことにならないようにと心の中で願った。部屋に入ると秀馬に携帯をかけて相談した。
「デートとかどうする?」
「デート?いきなり何の話だよ」
驚くのも無理はない。芹奈のはしゃぎぶりははっきり言って異常だとすずなでも思う。
「姉ちゃんにもバレないで学校の人間にも見られないところなんかねえぞ」
かなり動揺している口調だったのであわてて言い直した。
「もし行くとしたらって話だよ。必ず行かなきゃいけないってわけじゃないの」
「何だよ。先に言えよ」
不機嫌な顔が頭に浮かび上がった。イラついた態度はもう慣れっこだ。ごめんごめんと答えると小さく息を吐く音が聞こえてきた。
「それから、東条くんは有名大学を目指して毎日勉強してるから、デートに行ける余裕なんてないよって言ったし」
続けると責めるような声に変わった。
「いい加減にしろよ。お前のせいで俺がどれだけ疲れてるのか……」
むっとした。それはすずなのセリフだ。
「あたしの方がずっと疲れてるよ。秀馬に振り回されて、身も心もボロボロだよ」
ボロボロになると知っているのに秀馬のそばにいたいのだ。自分で自分がわからない。
「とにかく、デートに行く時のためにきちんと場所考えておいてね」
秀馬の返事を待たずに一方的に電話を切ってしまった。
携帯の画面を見つめながら近い未来についてまた想像した。秀馬に運命の女の子が現れた時、すずなはどうすればいいのか。恋愛を応援するべきだとわかっているがそんな余裕があるとは思えない。では何も言わずにそのまま別れてしまうのか。マンションに彼女を連れてくる気はないと秀馬は言っていたが、やはり恋人がいる人の家にあがり込むことはできない。もしすずなだったら絶対に疑うし僻む。他の女の子と仲良くおしゃべりしていたら不快になる。ものすごく嫉妬して彼氏まで嫌いになるかもしれない。はっきりと答えてくれないのですずなの心も不安定に揺らいでしまう。一日中同じことをぐるぐると繰り返して、結局何も出ずに諦めている。なぜすずなばかりこんなに悩まなくてはいけないのだろう。
一人で学校からの帰り道を歩いていると、とんと肩を叩かれた。振り返ると透也が笑っていた。
「あれ、ちょっと元気ない……?」
心配そうな表情の透也を見てはっと思い付いた。
「ちょっと話を聞いてもらえませんか。いろいろと教えてほしいんです」
「教えてほしい?」
目を丸くした透也の腕を掴み、すずなはずんずんと喫茶店に向かった。
秀馬の名前を出してはいけないので少し緊張しながら口を開いた。
「男の子は、もし自分に彼女がいたら、他の……女友だちとはあまり仲良くしちゃいけないって思うんですか?違う女の子とおしゃべりしてるのを彼女に見られて、浮気してるとか疑われたら面倒だってあたしは思うんですけど」
単刀直入に言うと透也は真剣な顔で話し始めた。
「確かに、さっき一緒にいたのは誰だとか聞かれるのは嫌だな。かといって完全に断ち切るのも何だか気分が悪いね」
すずなは椅子から腰を浮かせて身を乗り出した。
「もちろん自分の家に彼女じゃない女の子を連れて行くなんて絶対にありえないですよね」
透也は何回か瞬きしてから、逆に聞き返した。
「すずなさんは、どういう男の子を家に連れて来てもいいって思う?」
「えっ」
いきなりだったので答えが見つからなかった。もう一度透也は言った。
「自分の家に女の子を連れてくるってことは、その子に惚れてるからだって思う。好きでもない女の子を家に連れていきたいなんて考えないよ。自分がどういう人間でどういう暮らしをしているのか知ってほしいから家にあがらせるんだろう。もし俺だったら好きな女の子だけしか家に入れたくないな」
どくんどくんと鼓動が速くなっていくのを感じた。秀馬も透也と同じとは言えないが、心が一気に軽くなった。曇り空が快晴になったみたいだ。
「ありがとうございます!変な話をしてすみませんでした!」
勢いよく頭を下げてから出口に走った。じっとしていられなかった。




