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もう一緒には帰れないことを告げると、有架は寂しげな表情になった。
「そんなあ……どうして……」
理由を話すことはできなかった。
「ごめん。バイト始めたんだ」
「バイト?どこで?」
「うーん……。詳しくは言えないんだけど……」
有架は真剣な眼差しで、すずなの肩を掴んだ。
「あたしもそこで働く」
「だめだよ。有架は習い事があるでしょ」
「すずちゃんのためだったら、あたし何だってする」
本気で言ってるのは声だけでも伝わった。しかしすずなは頭を下げた。
「有架にはできないことなの。でも休みの時は必ず一緒に帰るから」
泣きそうな有架を抱きしめた。仕方ない、と有架も頷いた。
さっそくその日の放課後からボランティアは始まった。昇降口で靴を履き替えていると、校門の前で秀馬が立っていた。すずなに気が付くと近寄って来た。まさか待っているとは思っていなかった。
「先に帰っててよ。誰かに見られたらまずいでしょ」
秀馬は黙ったまますずなの手を掴み歩き出した。秀馬の方が歩くのが速く、すずなは引きずられていくように進んだ。店の前でようやく解放された。
「今日は何を作るんだ」
「まだ決めてない。とりあえずぶらぶらする」
「じゃあ俺は出口のところにいるから。終わったら来いよ」
命令口調で言い、すぐに行ってしまった。何て自分勝手な奴なのか。だがもう不満を言っても意味がないのはわかっている。しばらくカゴを持って店内を回った。
ふと同い年くらいの女子たちの話し声が聞こえてきた。特に気にしなかったが、ある言葉に反応した。
「出口にいた人、かっこよかったね」
「背も高いし。頭よさそうだし。あれって菱本の制服だよね」
「彼女待ってるのかなあ。あんな彼氏欲しいー」
どくどくと心臓が速くなる。それは秀馬のことではないか。よく考えると顔は透也にそっくりだし、黙っていればモテる男だ。性格を知らない人は惚れてもおかしくない。
急に嫌な気がした。今すぐあの男をマンションに帰らせた方がいいと直感した。小走りで出口に向かうと、壁にもたれかかって携帯をいじる秀馬がいた。
「ああ、終わったのか」
「いやまだ終わってない。秀馬くん、先に一人でマンションに行ってて」
「は?どうして」
「いいから。早く行って」
怪訝な表情のまま秀馬は振り向いた。すずなは後ろ姿が見えなくなるまで立ち尽くし、また売り場に戻った。
夕食を作りながら秀馬に質問してみた。
「いつになったら料理の勉強するの?あたしいつまでもこうしていられないよ」
「うるせえな。面倒なんだって」
「料理できなかったらどうするの?透也くんも頑張ってるのに」
秀馬の目つきが変わった。透也の名前が出てくるとは思っていなかったようだ。
「どうしてそんなこと知ってるんだ」
「前にお屋敷に泊まらせてもらったの。夜ご飯も朝ご飯も食べさせてもらった。簡単なものしか作れないって言ってたけど、かなりおいしかったよ」
「へえ……。家族には会ったのか」
口調が固い。すぐにすずなは答えた。
「残念だったけど、誰にも会えなかった。お父さんは海外にいてお母さんもお出かけしてて。でも写真は見たよ」
秀馬は目をそらし口を閉ざした。
「まだ透也くんが五歳くらいの頃のね。お母さんがすっごく綺麗な人でびっくりしたよ」
すずなの言葉を聞きながら秀馬は何かを考えていた。
「秀馬くんは、小さい頃のアルバムとかないの?」
「ない。そんなもの」
「お父さんとお母さんの名前は?」
身を乗り出して繰り返すと、あからさまに嫌な態度で答えた。
「本当にしつこい奴だな。人に嫌われるぞ」
涙は出なかった。心が強くなったと感じた。
「あたしは秀馬くんのことが知りたいだけ」
睨むようにすずなを見ながら秀馬は言った。
「知って何になるんだよ。嫌いな奴のことなんかどうだっていいだろ」
「でも気になっちゃうんだよ。お願いだから教えてよ」
また秀馬は黙り、何か考えた。すずなも口を閉じて秀馬を見つめた。しばらくして小さく息を吐いてから話し始めた。
「父親には会ったことはない。母親には邪魔だから出て行けって言われた。はい終わり」
「えっ」
体が氷のように冷たくなった。
「邪魔だから出て行け?」
「お前は一人で生きていけるからって。ここにいなくてもいいって」
愕然とした。血の気が引いていくのに気が付いた。
「本当に言われたの?お母さんに」
秀馬はすぐに頷いた。全く寂しそうな表情ではなかった。
「だから俺は誰にも頼らずに生きてきた。人は一人で生きていけるんだよ」
信じられなかった。お腹を痛めて産んだ子供に、邪魔だなんて言葉を投げかける親がこの世にいるのか。
「お母さんがどこにいるか知ってるの?」
混乱しながら何とか言うと、秀馬は宙を睨みながら吐き捨てるように答えた。
「知らねえよ。だいたい家から追い出すってことは、もう二度と会えなくても構わないからだ。産んだけど育てない奴なんか親失格だろ。今さら母親って言って来ても、もう他人にしか思えない」
尖った口調が胸に刺さった。子供を追い出すなんて酷すぎる。邪魔だなんてなぜ思ったのか。




