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だから、魔王やめたい  作者: 江村朋恵
一章 12歳編
17/18

1-17【ラクエル】エキドナ

「四人は急いで王城から離れて」

 それだけ言い残してノルベルトは西の方へ走っていった。


 一昨日、大図書館で禁帯出の五冊の本文を神獣ララの腹の中にコピーした。帰宅後、口から別の白紙本へ全部移してベッドにゴロゴロしながら読みすすめていた。


 見た目が上半身人型♀だけど、ワカメみたいに濃紺の髪を振り乱すエキドナ(人間から見ると大型魔獣)が出て来たのは騎士団演習場になると思う。あの辺はそうだ。

 本に書いてた。

 騎士団演習場……めちゃくちゃ人間有利な場所だな。


 その間にも周りの人たちはバタバタと倒れていく。


 いわゆる人間の言う魔族の力の源である瘴気は、濃くなると人間には毒になる。

 生命の危機はすぐにはないんだけど、なんだろう、移動速度・回避速度90%減、攻撃力95%減、思考・集中力80%減により魔術の威力95%減、ドットダメージ毎分5%(※下限1まで、0にはならない)とか、そんな酷すぎるデバフがかかる。


 苦しいけど死なない、けど活動出来ないと飢餓なり他からの襲撃で死亡──みたいなところだろうか、ゲーム風に言うならば。


 これこそが『早めの避難が正解』の理由。きっと王城内ではさっきの文官達がバタバタ倒れてるんだろうね。


「ラク……エル……」

 マリウスお兄様は苦しそうな様子だが、アイリがするりと横に回って背中に手を差し伸べ──。


「マリウス様、大丈夫ですか?」

 と言った瞬間、マリウスお兄様、カクンと意識を失った。


 いつの間にかいなくなっていたサシャが左手側からニョキッと出て来てマリウスお兄様を背負う。

「こっちにお嬢ん()の馬車があったぞ」

 そう言って先導、四人で公爵家の馬車に乗り込んだ。


『魔゛王゛ー゛ざ゛ま゛ぁ゛ー゛ー゛!! あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー゛ー゛ー゛!!』

 波のある、揺らぎの多い声が外から聞こえてくる。

 それを背に、御者の掛け声とともに馬車が動き始める。馬車がふらついてるのは御者も馬たちもデバフに耐えつつも頑張っているから。


「──さぁ、どうするよ? あれ、エキドナだろ」

 サシャが窓の外を親指で指した。


 大人六人が三人三人で向き合ってゆったり乗れる客車、片側にマリウスお兄様を寝かせ、反対側に三人座って顔を寄せ合った。


「みゃう!」


 私のスカートのポケットからもミニマムな猫型神獣ララニールが飛び出してくる。

 (ちなみに、マリウスお兄様はアイリの初級昏倒魔術でよく眠っている……)


 肯定のララに同調してアイリも深く頷いた……。

「ですが、念話が通じません。エキドナの頭部、輪のように白い光が巡っていました。女神の力を感じますしこれは……」

「……嘘でしょ?」


 信じたくなくて窓から外をみれば、離れていく演習場で騎士たちが黒い影(エキドナ)に飛びつこうとしつつ、長い龍身に跳ね飛ばされているのが見えた。

 王国騎士団の対処が始まっている。


 黒い影(エキドナ)……半身半龍──蛇のように長い下半身があばれまわって何人もの騎士を宙へ弾いている。周りの木々もなぎ倒され、口から吐き出される水流が遠隔魔術を放とうとする魔術師団の団体をあっさりと押しやっていった。


 上半身は裸で、うねうねの紺色の長髪が豊かな胸をうまい具合に隠している。

 表情も髪が張り付いていて見えにくいが、絶望的な顔色と涙の跡、枯れない涙が滝のように流れていた。

 それで……頭部には、茨のような白く光る束がぐるぐる回っている。

 あれは、女神の力の象徴──白い稲光を思い出させた。


『魔゛王゛さ゛ま゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーー!!』

 泣き叫ぶ幼子のよう……。


「……エキドナ……」


「第一王子といらっしゃいましたが、魔王様、何か聞きましたか?」

 アイリの言葉に私はエキドナから視線を外す。


「魔孔は封印しつつそのまま使ってるみたい。エキドナはそこから来たんだと思うけど……」

「おかしな話です。これは女神自ら動いていますよ? 出現場所も演習場などと、どれだけ人間最優先なのか。にも関わらず……あのようなエキドナを……」


「女神本人……?」


 その時、ジジッとノイズが聞こえたかと思うと──『…………これ、探りだよ……』と、耳もとで声がした。

 この声はクインシーのものだ。


『遠隔結界経由で念話を送ってる──(あるじ)様、大丈夫?』


「……大丈夫。少しショックなだけ。探りって?」

 正直、少しどころではない。

 エキドナは赤ちゃんの頃から知っている。それが自我を縛られて操られているようなのだから、気が気ではない。


 なんて言ったらいいの。

 お母さんにベビーカーに乗せられて散歩していたり、親しいから離乳食あげさしてもらったり、小学生中学生になるのを見守って、大人になって同じ会社で指導して立派に働いているところを見届けたあと自分はしばらく他所に出向──帰ってきたらわけわからん男だかに洗脳されて自滅的に、あーもう、薬漬けにされて売春の道具にされて捨てられそうになってるとこ、なんかやけに絵のキレイな闇落ちエロ本みたいな展開を目の当たりにしてる気分なんだよ、キツイ……!!

 赤ちゃんの頃から知ってんの、幸せになって欲しかったの!

 え? わかんない?? くそぉー、私の心はいま散り散りなんだよ……。

 でも私は上に立つ人ですし、いや、魔王だし、表には出さないけど。


『多分、女神は聖女が生まれていることに気付いてる。でもまだ魔王が見つけられない……今までは魔王が確認されてから生まれていた聖女だから……タイミングがズレたのかって確認しようとしてるんだよ。本当に魔王がこの時代にいるのかどうかって──』


「そのためにエキドナを使ってるっていうの?」

『……女神の真意はわからない。他にも策があるかもしれない。けど、はっきりしてることはある……(あるじ)様は、まだ出ちゃダメ』

 魔王としてバレるわけにはいかない。

 産まれてからの年数が足りず、魔王モードになれない今、バレ=即死だ。女神は周りをどれだけ巻きこんでも魔王(わたし)を殺しにくる。


「どうするの?」

『……(あるじ)様はどうしたい?』

 聞き返されてしまった……。

 アイリもサシャも、もちろんクインシーも私の心一つで全力で動いてくれる。だからこそ、軽々しい決断が難しくなる。


「……エキドナを助けたい。瘴気浄化を覚えている聖女もトドメを刺せる勇者もいない今、エキドナが人間に負けることはないと思う。けど、人間がある程度追い詰められたら、女神は躊躇いなくエキドナを殺すと思う」


『……うん』

「……」

「……」


 沈黙をアイリが破る。

「──おそらく五百年前、我々が女神に破れた時点でエキドナは囚われていたのでしょう。忠義者のエキドナです、我々大幹部と同程度の時期に魔王様に接触をはかっていて然るべきもの──四年前に現れなかったのですから、すなわち、来ることが出来なかったと言えます。各耐性が非常に高いあの古龍亜人種であるエキドナが、いま、完全に精神汚染から自制を失っています。汚染に五百年かけたと言われれば納得の話。現状では念話も女神に探知される。直接の会話も、あれでは絶望的です……」


 ……はっきりは言わないけど、助けられない──と私に伝えたいんだろう。遠回しにアレコレと……アイリらしい。


 一呼吸置いて、サシャが膝を両手でポンと弾いた。

「オレがエキドナなら、お嬢に選んで欲しいのは一択だな」

「──私もです」

「みゃう」


「…………一択……」


(あるじ)様の手を煩わせ、窮地に追いやるような立場にいたくない……ので、サクッとやって欲しい』

 クインシーの声が聞こえると、アイリもサシャも、ララまで頷いた。

「エキドナなら……? みんななら?」

 聞き直せば、やはり深く頷いた。


「そんなの…………そんな……ほぼ不死のララは違うけど、三人は創造体(オリジン)だから、私と一緒に転生出来るからだよ……。でもエキドナは異亜人……星の命の輪は誰も手が出せない。生まれ変わってまた会える補償はない」


 さっきまで茶化していた女装姿のアイリだけど、私の膝にそっと手を乗せてきた。

「いつかという希望があれば、何でも出来ます」


「…………エキドナを()ることが、希望?」

「残念ながら、あと数年は……今の魔王様は貧弱な人間の体です。女神からは隠れなければならない。ご理解ください」


『女神に殺らせるよりはマシだよ、(あるじ)様……女神なら魂ごと砕く……希望もなくなるよ……』


「…………」


 馬車の音が少し変わる。王城敷地から一般道路に出たんだ。


「──女神の結界から抜けましたね」

 アイリは呟くとシュと音をたてて消えた。すぐに馬車が方向を変えたのがわかる。

 王城横に馬車をつけるつもりだ。きっと御者もアイリにあっさり眠らされたんだろう。


 馬車が止まり、外に出れば少し広い路地に隠して停めたことがわかる。

 ララは私のポケットへ戻り、アイリ、サシャと馬車を降りた。

 チラリと見れば御者はグーグー寝ている。


 数百メートル向こう、王城の高い城壁からもエキドナが暴れている様が遠目に見えた。


『遠隔結界を一つに集めて属性を揃えれば……無理か……うーん、こっちもギリギリまで出力あげて……いけるかな……ええと……うん……たぶん、うん……そしたらエキドナの額を砕く力を隠せる──誰が行く?』


「ま、オレだろ」

 サシャが右手を伸ばせば、そこに無骨な大剣が現れる。彼の愛剣で本人と一緒に創造された強力な一振りだ。


「オレなら騎士志願でなんとかなんだろ」


 アイリは伯爵令嬢、私は公爵令嬢、サシャはめちゃくちゃ鍛えている男爵家次男──元々騎士志願……むしろ、サシャしかいない。


『……じゃあ、サシャに集めるよ。(あるじ)様もアイリも、王城入るとしたら、魔術は使わないで』

「わかった」

 答えるアイリと頷く私。


 ──……くっ、頷いたって遠隔念話だから見えないんだった……!

 真剣にやってるのに恥ずかしい……! 気付かないフリしかない。


 すぐにサシャの周りに薄い霞が湧き、吸い込まれるように消えた。


『……じゃあ、(あるじ)様、サシャに──……』


 私の前に跪くサシャ。


 私は魔王で、女神にとって破滅の象徴──。

 すべて、私が……黒魔術を、黒魔術の源である瘴気──原初魔素に耐え、扱えるからだ。

 創造体(オリジン)であるサシャやアイリ、クインシーも耐えられない魔素すらも、この星の魂ではない私には何の害もない。


 サシャの前に立ち、祝福を授けるように頭に触れる。その上からそっと口付ける。


 渡すのは祝福でも聖なる力でもない。


「…………ぁぁあああ……ぐぅ……」

 すぐにサシャが自分の胸元を掴んで呻いた。

 エキドナの瘴気は楽々耐えられても、私が渡す瘴気(ちから)はツライみたいだ。


 十分溜め、サシャは「うらぁあっ!」と気合の声とともに立ち上がる。……ハァハァ言ってるけど。


 クインシーの遠隔結界のおかけで体外に漏れてきてはいないけど、サシャの体の内側には魔王の力──瘴気が渦巻いているはず。


「さっすが、お嬢!」

 サシャはギラギラした目でこちらを見てくる。

「こんなもの抱えてケロッとしてんだもんな……!」

 時々、顔を歪めている。瘴気(ちから)の制御に苦心しているみたいだ。


「クインの結界からは漏れない量だし、ちょびっとだよ、頑張って」

「……──おおよっ!」

 さっと飛び上がり、王城の壁を跳び跳び登って中へ入って行った。


 私もすぐ、路地横の家を庇なんかに手や足をかけ、三階屋上まで登る。アイリは黙ってついてきた。

 ララもポケットの中にいる。


 少し高い煙突のヘリまで飛んで乗れば、王城の庭や騎士団演習場が見渡せた。


「──せめて、見届ける」


 魔王であることを、心底、心底やめたいと思う。

 こんなのはもう、うんざりだ。

 真っ直ぐ前を向く。迷いが無いように。


 演習場の真ん中から、強く眩い光が辺りに散った。


 …………エキドナ。


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