七十三話 迷宮刑務所
なんかヤバイそうなの出てきます(人間)。
「そんなバカな!? 一体どうやって……!?」
千葉県内某所にある、街から遠く離れたとある場所で。
深夜の見回りをしていた若い看守は、眠たい目を見開いて大声を張り上げた。
――『迷宮刑務所』。それがこの施設の名前だ。
刑務所と言うより軍事施設かと錯覚するほどの、ぶ厚く高い鋼鉄の塀に囲われ、一階と地下一階からなる頑丈すぎる建物。
普通の刑務所とは比べるまでもない。
内から見ても外から見ても、ネズミ一匹出入りできない、現代に蘇った要塞のごとくだ。
……もちろん、そこまで頑丈かつ厳重にするのは理由がある。
交通事故を起こした者が交通刑務所に入れられるように。
迷宮で力を得た者が罪を犯した場合、必ずここに入れられて服役する事になるのだ。
つまり、『探索者専用』の刑務所である。
これは日本だけでなく、全世界共通ルールの一つ。
人外な力を持つ彼らを完全に監視・収容するためには、専用の特殊な刑務所が必須だった。
にもかかわらず――破壊されている。
地下一階にある、外界からは完全に隔離された独房の一室。
空気さえも遮断しそうなそのぶ厚く硬い堅牢な扉が、中から派手にブチ破られていたのだ。
「くッ、理由は後だ! これはマズイ事になったぞ……!」
若い看守は、無残な姿となった『ミスリル合金』製の扉を見て、一瞬にして全身に冷や汗をかく。
しかし、そこは若くても看守という立場にいる者。
ほんの一秒フリーズしただけで、すぐに走り出して近くにあった非常サイレンのボタンを殴りつけるように鳴らす。
そして刑務所内に響く、けたたましいまでのサイレン音。
絶対に鳴ってはいけない警報音が鳴った瞬間、深夜の静けさを失った迷宮刑務所は混乱の底に叩き落とされた。
刑務所からの『脱獄』。
その音を聞けば、誰の説明がなくともこの場の全員が理解できるだろう。
「ったく、今かようるせえな! 何時だと思ってんだよ!」
「看守さんよお、今頃気づいたのかよ! 見回りの隙を突かれちまったなあ!」
「いいねえ。深夜の逃走劇の幕開けってわけかい?」
サイレン音で起きた囚人も、その前の脱獄の際の音で起きていた囚人も。
まるで海外ドラマの凶悪な囚人のごとく、それぞれに房の扉をガンガンと叩き、煽るように看守に声を浴びせていく。
そんな異様な状況の中、看守は囚人達を無視して廊下を走る。
……これはいつもの事だ。
迷宮で力を得て罪を犯した者は、皆総じて驕り高ぶり、カン違いが甚だしい。
ゆえに、普通の犯罪者よりも基本的にタチが悪いとされている。
人の限界を超えた身体能力に、【スキル】により発動される超常現象の数々。
自分が全能の神にでもなったかのように、自分を中心に世界が回っていると本気で思っているのだ。
そして今回、脱獄を図った者も同様である。
だが、こうして房の扉や、地上へと続く同じミスリル合金製の扉を破ったのを見ても。
『力』においては、他の囚人とは一線を画していた。
まだ歴史は浅いとはいえ、未来永劫、破られるはずなどなかった厳重な警備を破ったその男は――。
「早く! 急いで知らせなければ……ッ!」
今はこれ以上ないほどの緊急事態。
眠気が吹き飛んだ若い看守は、地上にある看守棟を目指して全速力で走っていく。
◆
「あり得ん! 房の警備は万全だったはずだ!」
「だが実際に破られたのだろう!? ヤツの【スキル】の力があれば――」
「その【スキル】がなぜ発動したというのだ!? それを封じるのが警備の本質だっただろう!」
見回りをした若い看守の報告と、未だ鳴りやまない非常サイレンの音を受けて。
同じく宿直担当だった先輩看守二人は、緊急事態を前に動揺を隠せなかった。
その動揺は……彼の言う通り、房全体のセキュリティを考えれば理解できる。
ミスリル合金製の扉という、目に見えて分かる厳重さに加えて。
もう一つ、肝心要となる『絶対的』な警備態勢があるからだ。
『パルディウムガス』。並びに『ネルシウムガス』。
どちらも迷宮産の素材から作られる特殊なもので、二十四時間三百六十五日、刑務所内全ての房の中に流入させているガスだ。
……かと言って、命を脅かすような危険な類のガスではない。
『パルディウムガス』は【スキル】の『無効化』を。
『ネルシウムガス』は身体能力の『抑制』を。
つまり、人外な力を持つ元探索者達の力を削ぎ落し、その脅威を大幅に軽減させるものだ。
まだ理由こそ解明されていないが、極めて高い効果を発揮する二種類のガス。
まさに唯一無二の、探索者への切り札だった。
だというのに破られたのだから……動揺の一つもするだろう。
彼ら二人と若い看守の屋内にいる者達をはじめ、
屋外で見回りしている者も、近くの宿舎で叩き起こされた非番の者も、職員全員が衝撃を受けていた。
だから彼らは迅速に対応する。
圧倒的な力を持つ囚人の脱獄など、たった一人であっても、暴動に匹敵するほどの極めて深刻な状況だ。
……しかも、追い打ちをかけるかのように。
「よりによってアイツか! 考えうる限り一番最悪じゃねえか……!」
緊急事態に呼応するかのように、急に降りだした激しい雨の中。
『対囚人用』の強力なテーザー銃を片手に、看守棟から飛び出した先輩看守の一人が叫ぶ。
脱獄を図ったのは、迷宮刑務所において最も凶悪かつ手強い男。
二人の探索者を殺害し、多くの一般人にも大ケガを負わせた――いわゆる『死刑囚』の一人だった。
元はソロで活動する凄腕探索者。
その凶暴性で道さえ踏み外さなければ、確実に『迷宮決壊』解決作戦にも呼ばれていた男だ。
「まだ敷地内にいるかどうか……! 先輩、私はあっちを探してきます!」
「頼む! どこまで力が戻っているか分からねえ、気をつけるんだぞ!」
「はい!」
若い看守は力強くうなずき、嫌な汗をかきながらも走る。
たとえ何があっても、それこそ命を賭してでも必ず制圧すると決意しながら。
◆
――同時刻、迷宮刑務所と外界を隔てる鋼鉄の門の前にて。
耳触りな非常サイレンの音を聞きながら、男は不気味な笑みを浮かべて悠然と立っていた。
百九十センチはある大柄な体で、一目で筋肉質と分かるその男の足元にあるのは……石ころなどではない。
男を見つけて身柄を確保するため襲いかかった、屈強な看守達が転がっている。
無念にも全員が返り討ちに。
命を落としてこそいないものの、早く処置しなければ大事に至るほどのケガを負っていた。
「オイオイオイ。ったく、せっかくこれからシャバの空気を吸おうってのに……あいにくの雨かよウザってえな」
だが、男は看守などお構いなし。
彼らの体と武器を破壊した時点ですでに興味を失ったらしく、ここには自分一人だけかのように呟く。
濡れた薄緑色の囚人服の上を脱ぎ捨て、派手なタトゥーが刻まれた上半身を露わにさせる。
特に丸太のように太い両腕は、本来の肌が見えないほどタトゥー一色となっていた
そして、その鋭すぎる目つき(特徴的な三白眼)で天を睨んでから、門に向って歩き出す。
身体能力で飛び越える事が可能でも、男はそうはせずにスタスタと閉じられた門に近づいていく。
直後。ドゴォオン――! と。
けたたましいサイレン音に交じって、大地を揺るがす轟音が闇夜に響いた。
堂々と、傲慢に、攻撃的に。
男は真正面から、自分の道を塞ぐ邪魔なものを破壊したのだ。
そうやって力を誇示した後はもう、瓦礫を踏みしめながら足を前に出すだけ――。
十二月三十一日、今年最後の日。
世間が新たな年を迎えるための節目となるその日――猛獣が野に放たれた。
最初はこの話を入れようか迷ったのですが、探索者の犯罪者がいないのは不自然かな? と思って書いてみました。




