二百六話 滅竜作戦(1)
リングのように囲む岩壁。絨毯にも似た足元の草原。オーロラのごとき霧の天井。
三色からなるその巨大空間の奥に――この島の主である竜はいた。
漆黒の鱗に覆われた全長は四十メートル超え。
大樹並の脚に獰猛な爪を伸ばし、巨体の前後には長く太い首と尾が。
頭には捩じれた二本角が後ろへと流れる形で生えて、背中には立派な両翼がついている。
人間の前に姿を現したのは、約三年前の『岐阜の迷宮』以来。
あの時と同じ外見と威圧感をもって、黒竜は巨体を丸めて静かに眠っていた。
――バイィーン……バイィーン……。
そんな中、重圧という名の空気に似合わぬ『奇妙な音』が鳴る。
大階段の方からその音は聞こえ、徐々に黒竜がいる奥の方へと近づいていく。
『グルフゥウウ……』
瞑っていた目蓋が開かれて黄金色の瞳が露わになる。
弱者ならそれだけで失神するだろう視線や吐息と共に、黒竜は丸めていた巨体をだるそうに起こす。
――バイィイーン。
青青しい草が生い茂った地を『それ』は弾む。
大階段から一直線に接近し続けて――黒竜との距離が五十メートルを切った。
ゴゴォオオオ――ッ!
次に巨大空間に生まれたのは、一気に吹き抜けた絶対強者の『威圧』。
その侵入者、ショッキングピンクの二メートル大の球体を認識した黒竜が、敵意を向けて放ったものだ。
だが、意識を持たぬ『ただの物体』は止まらない。
黒竜の桁違いな威圧を一身に受けてなお、関係ないとばかりに何度も弾んで接近していく。
――ズズゥン!
対して、威圧を放っていた黒竜が動いた。
大きく一歩、二歩と巨体を揺らして前進すると、ズザァン! と。
右前脚の鉤爪が一閃。
ショッキングピンクの異質な球体は、最強生物の一撃を受けていとも簡単に裂かれてしまう。
――その直後。
「ナイスだ! サポート助かったぞヒノッキー!」
巨大空間から球体が消え、再び黒竜だけが存在する場に戻ったと思いきや、
次に現れたのは、薄紫色の骨の鎧を纏った存在だった。
ショッキングピンクの球体改め、【ヘイトボール】(大玉)。
次に現れた存在はその無害な玉とは違い、竜には及ばずとも圧倒的な威圧感を放っている。
黒竜の意識が逸れていた隙に、彼は自慢の足音を消して近づく事に成功していた。
『グロロォオオァアアア――!!』
瞬間。ただの吐息とは違う明確な咆哮が黒竜の口から放たれる。
だがそれを受けても、骨の鎧の侵入者――『ミミズクの探索者』は怯まない。
殺人的なオーラと息の根を止めんばかりのプレッシャー。
そんな亜竜さえも凌駕する『真の竜』の威容を目の前にしても、
ズズゥン……! と、自慢の重さを取り戻して正面から向かい合うと――。
「さあ、手合わせ願おうか。――開幕の一撃は俺からだ!」
宣言と共に放たれるのは、人間側の『最高火力』を誇る技。
『食い溜めの一撃』。
満腹状態からエネルギーを一気に消費し、規格外な威力を叩き出す開幕限定の一撃である。
――ドゴォオオオオオオン!
推定二百牛力、二百頭分の闘牛の力がタックルとなって一点に集中。
飛び上がる形で放たれたその一撃は、派手な重低音を響かせながら黒竜のアゴをカチ上げた。
『グロロォオオ……!』
さすがの黒竜も口からうめき声を発する。
倒れずともあまりの威力に長い首は大きく弾かれ、四足で立つ漆黒の巨体のバランスがわずかに崩れた。
舞台は日本、『紀伊水道の迷宮』。
こうして人類二度目となる、世界が注目する『滅竜作戦』は始まった。
◆
「よし入ったぞ! けどマジか、お前やっぱりバケモンじゃねえか……!」
当初の予定通り、開幕の一撃となる俺の大技、『食い溜めの一撃』が決まった。
これで道中の船で一人、パンやバナナをつまんでいた影の努力(?)は報われたと言っていいだろう。
……が、しかしだ。
『滅竜隊』で俺が最初に一発を入れて思い知ったのが……改めての竜のヤバさだった。
アゴまで覆われている硬い鱗。さらにはサイズ以上の重さ。
手応えこそあったものの、同時にこれからの戦いに『危機感』を覚えるほどの、反則級の耐久力を感じ取ってしまったぞ。
おまけにいざ接近して、至近距離での竜の威圧感に空っぽの胃が縮み上がる感覚も。
漆黒なのにどこか神々しさも感じさせ、たった一人で立ち向かう事など到底できないが――。
「よくやった太郎! おかげで上手くセットできたみたいよッ!」
ここで葵姉さんが近くにダン! と荒々しく着地。
【空中殺法】で宙を蹴って俺に続き、獲物の前に到達するや否や、武器の棘つき棍棒を担いだまま獰猛に歯を見せて笑う。
「いやはや、友葉君のあの一撃でダウンさえしないとは……。これは長くなりそうだな」
「ほっほっほ。まあ梅西よ、そっちの方が倒した時の達成感は大きいじゃろうて」
全方位にビリビリと黒竜の威圧が効く中、続々と頼れる仲間達が戦場へ。
一人は『巨人の公務員』こと梅西隊長。
【巨人族】の効果で四メートルの巨人となり、纏う特殊な金属製の鎧はこの大きさまで伸びてフィットしている。
逆に武器の木製ハンマーは人間サイズのままで、まるで子供のオモチャのようだ。
もう一人は『老将の探索者』こと八重樫さん。
かつて花蓮もお世話になった日本一の従魔師は、成長限界に達した二体の『指名首』の従魔、エクスプロードリザードとツインヘッドグランパスを従えている。
皆も黒竜に接近し、とてつもない圧力を受けているはずだ。……それでも、誰も一歩たりとも後ずさったりはしない。
四つに分かれたチームの一つ、最も危険な『正面チーム』の一員として。
『グロロォオオアアア!!』
そんな感じで正面チーム全十二名。
体勢を戻した黒竜の激しい風圧を伴う咆哮を浴びながら、各自決められた位置につく。
「ぐぬぬ!? 何て迫力……さすがは竜ちゃんだね!」
『キュルルゥウ……!』
「……これが竜ですか。皆さん、サポートは任せてください!」
二十メートルほど下がった後ろより、回復担当の花蓮とフェリポン、さらには副隊長にして選ばれたヒノッキー(檜屋純次)が叫ぶ。
そこには他の支援または中・遠距離タイプの【スキル】を持つメンバーの姿も。
俺達は彼らに援護される形で、黒竜の目の前でずっと暴れ回る形だ。
「おう! いろいろ頼んだぞ皆!」
すでに戦闘体勢に入った黒竜から目線は外さず、後ろの仲間にそう叫び返すと同時。
空間ごと裂かんばかりの、漆黒の太い右前脚と爪による『引っかき攻撃』を――俺は避けずにガードしにいく。
「ぬ、ぐぅッ!」
凄まじい音と衝撃が鎧と全身に走るが、結果はセーフ。
ただ、その威力に踏ん張った百トンオーバーの体が横に大きくズレる。
足元の草は土ごとめくれ上がり、右脚が足首まで地面にメリ込んでしまう。
平さんのビンタで『防御力の一点上げ』をしてもらったのに……俺の背筋には冷たいものがツーッと走った。
――マジかよ。これが最強生物、『頂点捕食者』たる竜の力ってわけか。
亜竜・妖骨竜の攻撃も凄まじいものがあったが……。
たしかに、今こうして実際に受けてみれば、あの亜竜でも『準最強格』止まりである理由がハッキリと分かるぞ。
「強烈だなオイ! 通常攻撃がこれほど重いとは……!」
とはいえ、俺はコレでいい。
別に重量級フィジカルモンスターとしての意地を張った無茶な行動ではないからな。
黒竜の前を担当する正面チーム。
そこで俺だけに与えられ、俺だけにしかできないのがこの仕事だ。
つまりは『盾』役。
開幕の一撃こそ入れたが、俺は基本的にメインターゲットとして受けに回る事に。
肝心のダメージは正面チームなら葵姉さん達が、そして他の三チームに任せるのが作戦だった。
――もちろん、絶対にあるだろう『ブレス』や『噛みつき攻撃』は避けさせてもらう。
逆にそれ以外、威力が低め(といっても充分、高いが)の爪攻撃などは全て受け止めるつもりだ。
これはベルリンでの一度目の『滅竜作戦』、そこで先駆者達が命懸けで得た、最も竜の意識を引きつけられる行動らしい。
そして、すでに作戦通り。
必殺の『食い溜めの一撃』と纏う『妖骨竜の鎧』のオーラ、さらには今のガード成功もあって、
黒竜の恐ろしい黄金色の瞳は、俺を一番の標的としてロックオンしているぞ。
「よく耐えた! ブン殴るのは任せろ太郎!」
「最強であっても無敵ではない。竜だろうと必ず仕留めてやるぞ!」
「ほっほっほ! ミミズクに女オーガに巨人に――何とも豪華な最前線じゃのう。ワシらも交ぜさせてもらうぞい!」
正面チームの主力(前衛)が叫び、今度は彼らが黒竜へと飛びかかる。
相手は圧倒的な攻撃力と耐久力を持っているが、巨体ゆえにスピードだけはそこまでではない。
そこへ素早い動きで一撃を加え、他のメンバーも中距離から一斉に攻撃を仕掛けた。
「では少しだけ離れます! お願いします!」
と、俺はここで前線から一時撤退。
花蓮やヒノッキーのところまで下がり、花蓮から『あるもの』を受け取った。
盾役なのに何しているんだ? と聞かれたら、それはもちろん――。
ぐぎゅるるる……!
過去最大の威圧を受ける中、殺気に満ちた戦場で俺の腹の虫が鳴く。
……何度も言うが、さっき『食い溜めの一撃』を使ったからな。
腹が減っては戦ができぬ。
なので一旦、盾役を放棄してから、受け取ったゼリー飲料(市販ではなく『DRT』専用)を一気に流し込んでいく。
「っしゃ!」
そしてすぐにズシィン! と前へ。
八重樫さんのエクスプロードリザード(火薬な臭いの爆炎トカゲ)と黒竜の間に入ると、襲いくる恐怖の爪をまたガードして受け止める。
『キュルルルゥ!』
直後、全身鎧な俺を包み込む淡いピンクの優しい霧。
まだ【過剰燃焼】は切れていない。
だが竜の攻撃を二回受けたところで、後方のフェリポンから『精霊の治癒』が届いてきた。
これで空腹状態を脱して、わずかに響いたダメージも即行で回復――。
俺は『ブルルルゥウ!』と『闘牛の威嚇』をかましてから、草の大地を何度も踏み締め、音と震動を生み出して挑発する。
――ではでは、改めて。
人類二度目となる『滅竜作戦』、誰も死なせない『完全勝利』を狙う戦いの開幕だ。
「いくぞ黒竜! 日本のヒーロー達の力をとくと見やがれ!」




