百五十五話 終わりと始まり
「友葉さん……ど、どうしてここに……!」
男の憧れである『ミミズクの探索者』の太郎が現れた。
ゴツイ鎧のその右肩には、相棒のズク坊を乗せたまま。
一人でいる男の姿を発見するや否や、地面を激しく揺らして巨大ホールへと駆けていく。
『上野の迷宮』の草だらけの壁は発光せずに視界が利かない。
今回は照明担当でもある『火ダルマモード』のすぐるがいないため、太郎は頭に久々のヘッドライトを装着していた。
……それでもさすがは『無顔番の鎧』、門番製の億超え装備か。
強者の証は伊達ではなく、不似合いなヘッドライトがあったとしても。
その全身鎧の威圧的な重戦士の姿は、男の目に輝かしく映っていた。
「それはこっちのセリフだっての! つうかお前、やっぱりソロの探索者だったのか。……ったく、一人で潜ってこんな場所まで進むとは……」
「ホーホゥ。とにかく無事で良かったぞ。上手く戦闘は避けられたっぽいな」
ファンの男を見つけて、ホッと息を吐く太郎とズク坊。
潜り慣れた自分達にとっては庭のような場所でも、男にとっては危険すぎる場所だ。
――とはいえ、である。
他人ではあるから、首根っこを掴んで無理に引っ張り出すわけにもいかず。
当り前だが迷宮に潜るのは探索者の自由。
自ら『責任』を取るというのなら、他の探索者がどうこうできるものではない。
(……でもまあ、ファンなら俺とズク坊の忠告を聞いてくれるはずだ)
そう半分確信して、ズク坊を乗せた太郎は巨大ホールをさらに進む。
やはりギルドでチラッと見た時と同じく、ヘッドライトに照らされた男の顔と雰囲気は少し普通とは違っていた。
「ま、待ってください!」
その時だった。
太郎達がまだ広場の三分の一、二十メートルも進んでいないところで。
奥にいた男は絞りだすような声で、右手を突き出す格好を取って太郎の歩みを制止した。
「!? おま、その指……! この前会った時よりも傷が増えてるじゃないか!」
「ッ!?」
右手を見た太郎に言われて、無意識に突き出していた手を引っ込める男。
公園前の夜の歩道で握手をしたあの時。
ほんの一瞬の事だったが、太郎の目はしっかりと男の右手の状態を確認していたのだ。
「ホーホゥ。つまり何だ。ここへ潜る前に迷宮でモンスターにやられたのか」
ズク坊の何気ない指摘に、男は顔を俯かせる。
『『横浜の迷宮』の一層でやられた』。
そこまではバレていないが……男は憧れの存在を前に猛烈な恥ずかしさを覚えてしまう。
「仰る……通りです。古い傷も新しい傷も、どちらも迷宮で負ったものです」
男はもう二本と半端な一本しかない右手を握る。
そしてそれを、自分が二度繰り返した挫折を、笑ったような泣きそうなような顔で見つめた。
「……?」
一方、太郎は制止されて足を止めたままだ。
自分のファンである男はなぜ『上野の迷宮』にきたのか?
さらには今、どういう心境でここにいるのか?
まだ会うのは二度目というのもあり、太郎は男の感情が全く読めない。
雰囲気を見ても顔を見ても、ぶ厚い仮面と鎧を纏われている感覚だった。
「ホーホゥ?」
それは相棒であるズク坊も同じだ。
太郎の鎧の右肩に止まったまま、ファンの男の考えまでは読めないが……。
「とにかく戻るぞ。ここに長居するのはお前にとって危険すぎるぞホーホゥ!」
「そ、そうだな。おい俺のファン! 地上まで守ったるから一緒に戻ろう!」
まだ離れた距離から叫び、右手と翼を伸ばす太郎とズク坊。
しかし、男はふるふると。
憧れの相手を前に俯いたまま、何度も何度も首を横に振った。
「……できません。たとえあなたの言葉でも――僕はもう戻りません」
静かに、聞こえるギリギリの声で男はそう言った。
相変わらず笑ったような泣いたような、あるいは悟ったような何とも取れない表情で。
◆
「は!? おい何を言ってるんだ。どんな強力な【スキル】を得たか知らないけど、とにかくソロでここは早すぎるって!」
「バタローの言う通りだ! とにかく戻るぞ。あんまり駄々をこねるなら、すぐるみたいに翼で引っ叩くぞホーホゥ!」
男のまさかの答えに、驚きつつもさらに強く叫ぶ二人。
その直後。太郎は条件反射で答えたものの、
男の『もう戻らない』というワードにふと気づき……嫌な予感を感じてしまう。
「お前、まさか……」
兜の下、額に変な汗をかき始めた太郎は、恐る恐る『それ』を口にする。
「まさか――死ぬつもりなのか?」
信じられない、というより信じたくないが、もしそうであるならば。
他の探索者とは違う、男の読めない独特な雰囲気や表情も納得がいく。
実際、こうして見た男の姿は、探索者というよりも自殺志願者のそれだった。
「んなッ、本当かバタロー!? アイツは自分の命を粗末にするつもりなのかホーホゥ!?」
「……まだ確定なわけじゃないさ。とにかく、何があったか話してくれ。人にブチまければ少しは楽になるはずだ!」
太郎はより必死な声で、けれど冷静さを保って言う。
だが、男は答えない。
否、太郎の言葉自体には答えるも、その想いには答えなかったのだ。
俯いたまま、ようやく口を開いたと思いきや、
「こんな僕みたいな敗者の事なんて……とてもあなたには言えません。……でも、もし許してもらえるのなら……少しだけ」
言って、男は顔を上げる。
一見、キリッとした精悍な顔つきのようでも、目には涙が溜まっていた。
「僕はつい先日、偶然にも『とある【スキル】』を取りました」
相変わらずギリギリで聞こえる声が、巨大ホールに静かに響き渡る。
「だから『使ってみたかった』。今日まで抑えよう、封印しようとは思いましたが……どうしても使いたくなってしまったんです」
男の声はまだ小さい。目からは一筋の涙がこぼれていた。
「そ、そうか。ならもういいだろう。ここに来るまでに一回くらいは使ったんだろ? 【スキル】って滅茶苦茶ファンタジーだよな!」
平静を努めて言葉をかける太郎。
右肩のズク坊は重い空気を察し、珍しく大人しくして二人のやりとりを見守っている。
「……いえ、まだ使っていません。最初で最後、せっかくならと憧れの方の迷宮に足を運びましたが……なぜかミノタウルスが出てくれなくて」
男は言うと、健在な右手の親指で流れた涙を拭き取った。
「今日まで何もかも上手くいきませんでした。サラリーマンにもなれず、探索者にもなれず。……けど、最後にまたあなたに会えました」
また俯き、すぐに顔を上げてから。
男はどう見ても無理な笑顔を作り、一人納得するようにうなずいてから――再度口を開く。
「僕の名前は堀田幹夫。最弱のモンスターすら倒せない……ただの底辺の負け犬です」
男はついに名を名乗った。
不自然な笑顔を浮かべたまま、けれどなぜか見る者に悲壮感は感じさせずに。
(何、だ……?)
瞬間。鎧に守られた太郎の全身に、突然、ピリッと電気のようなものが走った。
今までにない得体の知れない感覚。
前方にいる男――堀田幹夫からは敵意など微塵もないというのに。
何か底知れぬものを、探索者としての本能が感じ取ったのだ。
「友葉さん。ここまで来てくれてありがとうございます。心のどこかで僕は、あなたを待っていたのかもしれません」
ここで初めて、幹夫は太郎の目を真っすぐと見た。
「僕はダメでした。だから、どうか僕を。『僕とコイツ』を踏み台にして――あなたはさらに高みへといってください」
幹夫はさらに右肩のズク坊に視線を移して、二コリと。
またも初めて、ここで本当の意味での笑顔を見せた。
「は? 踏み台って……一体何を言ってるんだ!」
「こら! 幹夫と言ったな? お前だって資格を持つ立派な探索者――自分を卑下するのはやめるんだホーホゥ!」
幹夫の発言に、すかさず太郎とズク坊は大声で返す。
だが、それは当の本人には届いていなかった。
幹夫はフーッと深く息を吐き、また太郎とズク坊の目を交互に見ると、
「ご迷惑をかけます。本当に身勝手ですみません。……けど、あなたなら。主人公になれるあなたなら――」
幹夫は目を閉じ、全身から力を抜いた。
まるで迷宮の空気に身を任すように。巨大ホールの暗闇に溶けるかのように。
彼を纏う雰囲気はもう、探索者のものでも自殺志願者のものでもない。
別の『何か』。
だがかつて一度、太郎は似たようなものを体験していたような――。
(父さん母さん、ごめんなさい。……結局、僕は自分の弱さに勝てませんでした)
幹夫は閉じた目をゆっくりと開ける。
言葉にはせずとも『さようなら』と、遠い地上にいる親へとその想いを送った。
(そして友葉さん……お願いします)
幹夫は逃げずに真っすぐと見る。
最後に憧れの存在の雄姿を、若きヒーローの姿を、涙で滲む目に焼き付けた。
そして言う。
今までのような自信のない小さな声とは違う、誰の耳にもハッキリと聞こえる力強い声で。
「――【亜竜召喚】」
その時、『上野の迷宮』が激しく震えた。




