百五十三話 出会い
まだ男のターン。
「あ、あれは……!?」
二度目の挫折によって、地上へと戻る事を決めた男。
沈んだ気分のまま来た道を戻っていたところ、視線の先に『あるもの』を捉えた。
およそ五、六十メートル先。
出入り口へのルートからは外れる右の通路に、淡く発光する壁とは比較にならない、眩いばかりの輝きを発見したのだ。
その正体は青白く輝く光の六面体――【スキルボックス】である。
「ッ!」
瞬間、ドクン! と男の心臓が大きな鼓動を打つ。
……当り前と言えば当り前の反応だ。
自分の能力不足と適性のなさで、ついさっき挫折したばかりでも、
運良く強い【スキル】を手にできれば、探索者としてやっていける可能性が生まれるのだから。
とはいえ、過度な期待は禁物だ。
初心者向けの、下の下レベルの迷宮の一層で出る【スキルボックス】などたかが知れている。
(――けど、それでも)
我ながら往生際が悪いと思いつつも、男は駆け足でその【スキルボックス】の方へ。
もう【腕力強化】でも【反応速度上昇】でも何でもいい。
今の情けない自分よりも強くなれるのならば――。
そうして驚くほど早く、【スキルボックス】のもとに到達した男。
周囲を見渡しても誰一人いない。
この状況が意味するものはつまり、出現させた探索者が『所有権を放棄』したという事だ。
「…………、」
さっきまでの胸の高鳴りから一転、男は不思議と冷静になっていた。
まずは確認を。中身は一体、何なのか?
さらに一歩前に出て、男は確認できる距離まで近づいて、
「……………………え?」
男の口から、その短すぎる言葉が出るまで。
銀色の文字が脳内に浮かんでから、すでに十秒以上が経過していた。
確認してなお、意味不明。
いや中身自体は男も把握したのだが――『全てにおいて』理解が追いつかなかったのだ。
「こんな、ものが存在、するのか……?」
二度目の迷宮という新米探索者でも分かる。
中身的にも場所的にも、決して出ていいものではない、と。
とてもじゃないが手に負えない。どこかの誰かが所有権を放棄したのも納得だ。
だから男は震えてしまう。
モンスターを前に大切な指を失った時とは、また違うベクトルの恐怖を覚えていた。
……しかし、その中でほんのわずかに。
これを取ればどうなるのか? と、違う意味で震えている自分も存在していた。
「――僕は……」
ぐるぐると頭の中が思考で回転する。
またこれからの人生ではなく、過去の人生が走馬灯のようにフラッシュバックした。
そして、最後に。
男の脳裏になぜか浮かんだのは、若くして迷宮業界に名を轟かせた憧れの存在だ。
――この時、ファンといえども男は知らなかった。
何の因果かちょうど二年前の今日。
今立っている場所と『ほとんど同じ場所』で、その憧れの探索者は相棒と出会い、そして前代未聞な【スキル】を取っていた事を。
「……ほんの一瞬だけだとしても。僕だって探索者に――」
目の前に輝くものを見て、男の顔つきが変わる。
何かを覚悟したような、大きな決意を胸に決めたような。
とにかく指を失い挫折した時とは違い、別人のような顔をしていた。
この時、男がどういう心境だったかは本人にしか分からない。
ただ一つ、確実に言える事があるとすれば。
男は考え抜いた末に、自ら欠けた右手を伸ばしてその【スキル】を取ったという事だった。
◆
「――まったく、無理はするんじゃないよ青年」
「あはは……すいません。自分の力を見誤ってこのザマです」
『横浜の迷宮』を出て、男は担当のギルドに戻ってきた。
もちろん素材は一つも取っていないので、真っすぐ向かったのは受付カウンターではない。
清潔感ある白い床と天井に、何台かベッドも置かれて薬品の匂いがする『救護室』だ。
どこの探索者ギルド内にも必ずあるその部屋。
特にここは毎日多くの初心者が潜るため、他のギルドと比べると大忙しである。
「今回は中指一本だけで済んだようだけど……。下手すれば命を落としていたかもしれないんだよ?」
他にも何人かの探索者が治療を受ける中、男に対して治療を行うのは五十代の女性だ。
……ただ彼女のみ、白衣という救護員としての格好だけは同じでも、
その両手は淡いオレンジの光を帯びて――応急処置がなされていた男の中指を包み込んでいた。
つまりは、医療行為という名の【スキル】の発動。
彼女が持つ【回復魔術】の能力によって。
包帯が取られて剥き出しとなった酷い傷口が、あれよあれよという間に塞がっていく。
「す、すごいですね……」
「まあこれは摩訶不思議な『魔法』だからね。……けど、失った指までは戻らないよ」
「はい。そこはもう覚悟していますので」
救護員である彼女の言葉に、男は小さくうなずいた。
治療はわずか十数秒で終了。
男は一度、第一関節から先がない中指を動かして確認してから、
「ありがとうございます」と、深く頭を下げて礼を言うと、すぐに踵を返して救護室から出ていく。
「……、ふうむ?」
一方、【スキル】での処置を終えた彼女は小首を傾げた。
ちょうど今の者で治療待ちの者が途切れたので、彼女――鴻池成実はイスをくるっと回転させて、窓の外の景色を眺める。
成実はもうここで五年近く勤めているベテラン救護員だ。
一人だけ【回復魔術】で負傷者を治すため、『横浜の迷宮』担当ギルドの名物の一人でもある。
「成実さーん。ちょっと遅くなりました。それじゃお昼休憩いきましょうか?」
と、そこへ。
男と入れ替わるような形で、救護室に入ってきたのはもう一人の名物だ。
その美貌から探索者に連絡先を聞かれるのは日常茶飯事。
姉には『影姫の探索者』こと吉村緑子を持つ、迷宮業界では有名な美人姉妹の吉村日菜子である。
「あれ? どうしたんですか成実さん。そんな難解なパズルを解くみたいな顔をして」
「……いやね、ちょっとベテランの勘というか……『初めて見る子』が今さっき来てね」
「初めて見る子、ですか?」
「ああ、ちょっと普通とは違うというか何というか……」
「え!?」
まさかまだ見ぬ将来有望な探索者が!?
眉をひそめて言う成実の言葉を聞いて、日菜子のやる気スイッチならぬ、スカウトマンスイッチ(?)が入る。
ならばすぐに話をして、ギルドからの支援も受けられる『特定探索者』に推薦を――。
「違うよ。むしろ『逆』ね」
そんな日菜子の暴走気味な思考を見透かしてか、成実は首を横に振る。
「あの傷は一層のトカゲに噛みちぎられたもの。普通ならそんな初っ端から躓けば、悔しそうな顔か絶望的な顔をするんだけど……」
今まで少数ながらも、『完全に探索者に向いていない』者を見てきたからこそ。
成実は男のどこか晴れやかな顔が、けれど少しだけ漏れていた、『負のオーラ』ともいうべきものが気になっていたのだ。
「……ふむ。じゃあ精神的には強いのかな? 成実さんが気になったくらいだから、てっきり太郎君の再来かと思ったわ」
「太郎? ああ、あの重量兵器な『ミミズクの探索者』か。……いやそれはないね。実際、『初めて見る子』とは言ったけど……一年くらい前かな? ショックを受けた彼の顔を見た覚えがあるよ」
『完全に探索者に向いていない』者の中でも、一層で元に戻せない傷を負う者はさらに少ない。
だから成実は覚えていた。
自分が治療を担当していなくても、真面目そうなあの彼が指を失って放心状態だった事を。
「それがまた現れて、同じようにケガをしたのに今日は……。迷宮の中で彼に何かあったのかね?」
「うーん、どうなんでしょうね。他の探索者の方に何かしら影響を受けたとか?」
男が迷宮内で何を感じて何を得たのか。
それはベテラン救護員にも看板受付嬢にも分からない。
だから当然、この後に起きる『大きな出来事』など知るよしもなかった。
活動報告にも書いたのですが、更新が2週間ほど止まりそうです。
またもや中途半端なところで本当にすいません(orz)。
あと8月からと書いたのですが、だいぶ早まって今週からになりました。
遅くても10日までには次の話が上げられるかと思います。




